俺達を慌てさせたカレの話は、要するにドークルの父親であるテオドールが、実に下半身のだらしない男だということだった。
テオドールは35年前にロジェの母親であるエディト嬢と結婚するが、結婚前も結婚後も女遊びに絶え間がなく、愛人がいない状態がなかったらしい。
30年前にはこのシャントルーヴで梅毒が流行し、当時まともな医療機関がなかったこの村では、若い男女が10人以上も死んでいると言う。
「梅毒・・・?」
俺は思わずアドルフを見た。
死の直前に素行が悪くなった女達と、彼女達に誑かされた男達が次々と命を落とす流行病・・・アドルフの言っていた通りだった。
かつてのペストがドラキュラを生んだように、30年前の梅毒がシャントルーヴの人を怯えさせ、テオドールという吸血鬼を作りあげていたのだ。
加えてこの吸血鬼は、私腹を肥やす為に人々の生活をも危機に陥れた。
身に迫る死の恐怖と、着き纏う生活不安・・・・それがこのシャントルーヴへ伝わる吸血鬼伝説の正体なのか・・・。
しかしながら、この流行病は吸血鬼自身をも怯えさせていたようだった。
「命を落とした女たちや、その男友達は、みんなテオドールの遊び仲間だったんだ。だからこの病気には当然テオドールも怯えることになった。野郎は一人でリヨンへ向かって、病院を何軒も梯子しながら徹底的に検査を受けまくったらしいぞ。肝心な梅毒は幸いと言うか気の利かない事に感染してなかったらしいんだが、お陰で不摂生から来るたぐいの病気がいくつか見つかって、そのまま現地で療養することになった。そんなわけで1年ぐらい帰って来なかったよ。どうせ看護婦と浮気でもしていたせいで、長引いたんだろうがね、病気の女房と4歳のガキを放ったらかしにしてな。・・・まあそんな経緯もあって、このシャントルーヴにもまともな医療施設を誘致したり、道路作ったりっていう都市化計画に拍車がかかったわけだが、その頃になるとすっかり良い女に成長していたエディトの妹を口説いたり、その一方で従業員の女を妊娠中絶させたりやりたい放題だった。しかもエディトの妹が落ちると、あっさりこの従業員は解雇されちまったんだぜ・・・屑だろ。そのうち、今度はエディトの妹を妊娠させちまったんだが、今度はさすがに堕ろせとも言えず、子供は庶子として生まれた。そしてまもなくエディトが亡くなり、すぐにテオドールはその妹ウラリーと再婚することになる・・・・つまりロジェは14歳になって、姉貴みたいな若い女が自分の弟を連れて、母親面しにやってきたわけさ。普段から大人しいロジェが、あの頃はさらに輪をかけて、毎日なんだかぼんやりしていて、心ここにあらずって感じだったな・・・。日頃から静かな野郎だったが、当時は学校でもめっきり口数が少なくなって、また苛められんじゃねえかと心配したよ。・・・その後も死ぬまでテオドールは村中の女に手を出していた。ロジェは優しい奴だから口には出さなかったが、病気がちなお袋を顧みない親父のことを、本当は恨んでいたと俺は思うぜ」
その後カレに車を引き渡し、ホテルが決まり次第連絡すると伝えて、俺達は『アスタルテ』を後にした。
「口の聞き方は乱暴だったが、悪い男じゃなさそうだったな」
駅方面へ続く炎天下の長い道を歩きながら、俺はカレの話を思いかえす。
「学生時代の二人の関係が目に浮かんだよ」
すると、アドルフがそう言っていやらしい笑みを浮かべた。
おそらくは、クラスの苛めっ子連中から、金持ちの大人しいロジェ坊ちゃんを庇っていたリシャール・カレは、心密かに恋をしていた・・・そう言いたいのだろう。
いかにもアドルフらしい発想ではあるが、もちろん真相は知る由もない。
しかしながら、ロジェ・ドークルの生い立ちとその家族像は、なかなか興味深かった。
さきほどの話だと、ロジェには半分血の繋がった弟がいることになる・・・いや、母親は姉妹なのだから、ほとんど実の兄弟も同然だろう。
そして多くの村人から恨みを買っていたらしい、ロジェの横暴な父親、テオドール・ドークル。
果たしてカレの言う通り、シャントルーヴに伝わる吸血鬼伝説の正体は、テオドールということなのだろうか。
そのような父親の振る舞いを見て、複雑な家庭環境に育ったロジェは、人ではなく少年人形を愛するようになり・・・あの少年は、一体誰だったのだろうか。
夢みるような明るい色の大きな瞳と、ふっくらとしていながら上品な赤い口唇・・・・それらの美貌を傷つけている醜い額の痕。
よもや命を持った人形ということでもあるまい。
あるいは、よく出来たゴーレム人形?
女遊びの絶えない父親に嫌気が指したロジェ少年は、引きこもりがちな日々を送るうちに錬金術を習得し、日本製の精巧なラブドールへ遂に息を吹きこむことに成功した・・・!?
「いやいや、そんな馬鹿なことはあるまい」
「何が?」
我知れず声に出していた夢想へ、ミノリが勝手に割り込んで来た。
口の傍を拭ってやると、指先に付いてきたトロリとした赤いその雫を舌の上へ運ぶ。
「ラズベリーかと思ったが、チェリーか」
それを見ていたミノリが発狂した。
どうやら『アスタルテ』のブランマンジェは、この時期チェリージャムが添えてあるらしかった。
「あまりうちの画家で遊ばないでくれるか。・・・・ああ、タクシーが来た」
手足をバタバタとさせているミノリを引き摺って、幸いにもすぐに見つけることができたタクシーの後部座席へアドルフが乗り込む。
普通であればホテルで呼んでもらうものだろうが、アドルフがあれだけ失礼な態度をとった以上、再びドークルが立っているフロントへ引き返す気になれなかったのだ。
おかげで3人とも汗だくである。
メーターに細工がないか確認しながら、俺も助手席に腰を下ろすと、ひとまず国鉄駅へ行ってくれと頼んだ。
駅まで行けば、ホテルも探し易いことだろう。
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