シャントルーヴ駅舎の真裏に建っている『スリーズ』は、ベージュを基調としたシンプルな内装を持つ、リーズナブルなホテルだった。
そこでシングル3室を確保し、部屋からカレへ連絡を入れてから近くのレストランで昼飯を摂る。
レストランは老婆が一人できりもりしている小さな店で、昨夜ドークルが出してくれたような家庭的なメニューばかりのようだった。
老婆の息子夫婦が駅舎を挟み、反対側のロータリーでレンタカー屋を経営しているそうで、俺達がパリから来たと知ると、会計の際レシートとともに、ちゃっかりサービスチケットを手渡してくれた。
というわけで、そのレンタカー屋でベンツを借りると、俺達は再びオートリーヴへ向かうことにした。
道中は昨夜起きた事故の影響もなく、高速をスムーズに移動して、小一時間ほどでシュヴァルの理想宮へ到着した。
「あれ・・・、なんか違うような」
チケット売り場を抜けて理想宮を前にしたミノリは、冴えない声でそう言うと首を傾げる。
「なるほど、これはまたピトレスクだな」
その隣に立ったアドルフが、サングラスの奥で淡い色の瞳を細めながら言った。
「ああ、まったく奇妙な建造物だ。・・・どうした、お前が描き足りないというからせっかく連れて来てやったのに、描かないのか?」
俺は煙草に火をつけると、一向に絵を描く気配のないミノリに声をかけた。
昨日は午前中に出発したものの、パリから5時間もかかるこの場所では、夕方の閉園までに満足なデッサンが出来なかったようなのだ。
そういうわけで、さきほどホテルを出て来るなり、ミノリはここへ戻りたいと騒ぎだした。
しかしながら、当の本人はF10サイズのスケッチブックを抱えたまま、さきほどからずっと変だ変だと言って首を傾げている。
「うん・・・えっとさ、なんかこう昨日と印象が違うんだよね。可笑しいなあ・・・おじさん、場所間違ってないよね」
「こんな自由奔放な建築が世界に二つとあって堪るか。どこからどう見ても、同じ場所だろ。この1枚の蔦の葉ですら、間違いなく昨日ここにあったことを俺は記憶しているぞ」
そう言いながら、入場口前にあるトンネルに絡まった植物の葉を、俺は適当に摘まんでみせた。
「うん、それはそうなんだけど・・・なんでかなあ。昨日は木々の緑がもっと鮮明で、建物自体になんとなく迫力があったっていうか、霊力みたいなものを感じたんだけどなあ・・・」
「お前、そういう種類の人間だったのか・・・」
アーティストを自負する連中に霊感だの魔力だの、変わった能力を持つ人種が多いという認識はあったが、よもやミノリがその一人だとは思っていなかった。
道理で天才である。
俺が納得しかけると。
「単純に空気のせいだろ」
あっさりとした言葉でアドルフが分析をした。
俺は説明を求める。
「空気?」
「一昨日の晩はアヴィニヨンも大概天気が荒れていた。リヨンも結構な被害があったというし、間にあるこのあたりも当然そうだろ。だから昨日は雨で洗い流された緑や宮殿の壁面から汚れが落ちて、冴えて見えていたんじゃないのか? そこまで美しかったのなら、俺もぜひとも、昨日のうちにここへ来てみたかったものだ」
そういうとアドルフは、ゴテゴテとした円柱が印象的な『北の正面』と呼ばれる建物の側面を、巨人たちが待っている東側へ向けてゆっくりと進んで行った。
俺は反対側へ向かって歩いてみる。
この建物に『理想宮』という名前がつけられたきっかけは、グルノーブルの詩人パラサクの詩にある。
1904年にここを訪れたパラサクは、『あなたの理想、あなたの宮殿』というタイトルの詩を書き、それを製作者の郵便配達夫、フェルディナン・シュヴァルへ贈ったのだ。
1895年には建築中の『理想宮』を訪問したカディエという人物が、完成予想図のデッサンを残しているが、そこには3人の巨人ではなく、ギリシャ的な豊穣の女神が並んでいる。
しかしカディエはこのデッサンを描いた2年後に逝去し、シュヴァルはその後8年かかってこの理想宮を完成させた。
建築中はこうした詩人や文化人がたびたびここを訪れ、シュヴァルの死後には国の重要建造物に指定されて修復も行われたが、建築当初のシュヴァルに理解を寄せる人はけして多くなかった。
郵便配達夫として30年勤務していたシュヴァルは、ある日配達中に躓いた石からインスピレーションを得て、その後33年の歳月をかけてこの理想宮を作りあげる。
配達中や仕事を終えた後に、手押し車を転がして、時には5キロ以上も歩きまわり、池を掘ったり、ふたつの滝の間に洞穴を作ったりしている男を見て、村の人々は彼を変人扱いしたという。
元々彼と家族の墓所としてシュヴァルはこの『霊廟』を建て始めたのだそうだ。
その後子供を先に亡くすという不幸に見舞われた彼は、この霊廟における葬儀と埋葬を望んだが、役所や教会がそれを認めることはなかった。
結局シュヴァルは、改めて村の墓地に自分たちの墓を建てており、家族とともにそこで眠っている。
凹凸の激しいこの宮殿で、もっとも直線が多用されている西の正面へ出てみると、バルコニーを支える円柱と、橋梁のように作られたドームの下に、小さな建物が並んでいた。
それぞれにヒンドゥー寺院やホワイトハウス、アルジェの四角い家といった名前が刻まれている。
それらを前に、ミノリはまだスケッチブックを抱えたままぼんやりと建ちつくし、緻密な彫刻を食い入るように眺めていた。
「昨日も思ったんだけどさ、なんていうかここって、ある種の万国博覧会って感じだよね」
「そうだな、あっちにはモスクやエジプト風の巨人もいるしな」
異教的なそういった感性が、聖職者に嫌われ、自分達の埋葬を断られた一因にもなったのであろうことは容易に想像が付く。
それ以外にもここには、ライオンや蛇、ゾウ等と言ったサバンナの動物たちや、ヤシの木やサボテンの木も、石によって作られていた。
確かに万国博覧会だ。
「この理想宮が30年余りの歳月をかけて建造されたのが1900年前後・・・つまりパリ万博を跨いだ時期にあたる。それも影響しているんじゃないか」
俺達と反対方向からぐるりと建物を一周してきたのだろうか、南側から現れたアドルフが言った。
「ああ、ひょっとしたら観に行っていた可能性はあるな」
パリ万博はそれまでのバロックやロココとは趣の違った、オリエンタル趣味をフランスにもたらした。
「アジアやアフリカといった植民地から、さまざまな芸術が入って来た時期でもあったからな。我がフランス国民は自国に居ながらにして、異国情緒へ思いを馳せ、見知らぬ文化に好奇心を掻きたてられていたわけだ。手記を読めばシュヴァルが敬虔なキリスト教徒であることはわかるし、多少行きすぎた情熱は持っていたかもしれないが、彼とてそういった平凡なフランス人の一人だったのだろう」
アドルフが分析すると。
「平凡どころか偉大だよ」
ミノリがそう言って、漸くスケッチブックを広げた。
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