『スリーズ』ホテルの玄関を出て、エリファと俺はシャントルーヴ駅を目指していた。
あれから間もなくミノリが部屋へ戻ってきて、話を打ち切らざるをえなくなり、俺はエリファが身を寄せているというモーベールの家まで送ってやろうと申し出たのだが、アドルフに反対された。
確かに今頃は警察でいっぱいになっているであろう、『アスタルテ』へ乗り込むのは、あまり気が進まないし、ロジェ・ドークルの弟を同伴しているとわかると、警察の注意を盛大に引くことになる。
賢明でないことはわかっていたが、俺としては色々と気になることがあったのだ。
殺されたドークルが、愛していた人形たちが、なぜ突然あの庭から消滅したのか。
そして従業員でもないモーベールを、俺は二度も見かけている・・・つまり、日常的に彼は、あの辺りを歩いている可能性が高い。
そのモーベールは、ドークルに殺されかけたエリファを匿っており、おそらく二人は恋愛関係にある。
さらに俺はエリファから、あの晩寝込みを襲われた・・・・そう、確かに鍵も閉めていた筈のあの部屋へ、エリファは侵入し、俺を裸にして股間へ顔を埋めていたのだ、・・・・モーベールの見ている目の前で。
アドルフのいる場所ではとても聞くことのできないこの疑問を、俺はきちんと納得のいく形で、エリファから説明してほしかった。
だから『アスタルテ』まで送ると、再び申し出たが、今度はエリファ本人から断られてしまった。
「これ以上レオンに勘ぐられたくないからね・・・それに、フルニレさんにも心配かけちゃうでしょう?」
話を聞きだすきっかけを掴むために、遅めの昼飯に誘っていた駅裏のレストランから出てくると、エリファは振り向きざまにそう言った。
茶目っ気のある笑顔が、悪戯っぽく俺を見上げている。
「お前・・・見られていることを、知っていたのかよ」
てっきりモーベールがいたことに、気付いていなかったとばかりに思っていた俺は、エリファに呆れた。
「最初は知らなかったよ。でも、ピエールがずっと同じ所ばかり見ていたから・・・あ、フルニレさんもいないし、ピエールって呼んでいいでょう? せっかくいいことしているのに、ピエールったら、なんだかずっとソワソワしていて落ち着かないんだもの、ああ、誰かいるんだな〜ってすぐにわかったよ。兄さんじゃないのは、残念だったけど」
「お前なあ・・・見せつけるためにやったのか? 何てガキだまったく。そもそもどうやって入った。ピッキングか?」
「違うよ、ちゃんと鍵を持っているもの・・・ほら。・・・そんな、怒らないで、良い男が台無し。本当はあの部屋に、兄さんがいると思ったんだ、だから入ったの」
金色のクラッシックなデザインを持つ鍵を見せながら、エリファは言った。
「ドークルが・・・どういう意味だ」
自分の兄がいると思っていたから部屋へ入った・・・かつて自分を殺そうとした兄に会うために?
そもそも、そのドークルは弟にそっくりなラブドールを、恐らくは年代順に合わせて何体も作り続け、さらにその人形を相手に性欲を満たしていた男だ。
そこまで考えて、アドルフが言っていた言葉を思い出す。
嫉妬・・・・それはつまり、まさかと思うが。
「あの部屋は、僕とロジェが何度も愛し合っていた部屋だから」
華奢な手に収まった鍵を愛しそうに見つめながら、何とも言えない笑顔を浮かべてエリファは言った。
壮絶な色気・・・たかが20歳そこそこのエリファに、こんな顔をさせるとは・・・ドークルとの間に一体、どんな逢瀬があったというのだ。
いや、同性というばかりではない、義理の兄弟とはいえ、ドークルとエリファは殆ど血が繋がっている、実の兄弟も同然の関係のはず。
もっと大変なことに俺は気が付いて、思わず足を止めた。
「お前・・・11の時から義理の親父の暴力を受けていると言ったな。それから兄貴とは、たびたび会っていたのか?」
エリファの母親が再婚しているということは、父親の元に残ったのであろうドークルとは、すでに世帯が別れている可能性が高い。
その後、エリファがドークルを頼って来た時に、兄弟は過ちを犯してしまった・・・そういうことを言っているのだろうか。
「さっきも言ったじゃない。僕が家を出たのは5年前・・・17のとき。そのときにロジェが僕以外の誰かと愛し合っているのを見てしまって、カッとなって非難したら、動揺した彼に突き飛ばされて気を失っちゃったの。その傷がこれ。・・・ロジェは多分、そこまでのつもりはなかったと思うんだけど、レオンがね・・・凄く怒っちゃって、何をされるかわからないからって、僕が家に近づくのをいつも嫌がるんだ。だからロジェに見つかる可能性が高い昼間は、ほとんど部屋を出してもらえない。・・・それと、家を出るまでは、ロジェと全然会っていなかったよ。とっても会いたかったけど、そんなことをすると、ママがゴーチエに殴られちゃうから」
ゴーチエというのは、多分エリファの義理の父親の名前だろう。
どうやらエリファの傷は凶器によって傷つけられたものではなく、ドークルと揉み合った際に、突き飛ばされて、どこかにぶつけたということか・・・そうすると、確かに多少は印象が変わるが、それでも傷害は傷害だ。
何よりエリファが11でドークルと離れ離れになり、17で漸く再会した際に、ロジェの”浮気”を言い咎めたのだとすれば、二人が関係を持っていたのは、その前の機会・・・つまり、ドークルは10歳かそこらの弟に手を出していたということだ。
「お前・・・兄貴が憎くはないのか」
児童虐待、近親相姦・・・社会通念上はそう呼ばれる行為だろう。
到底認めるわけにはいかない。
「憎い・・・? そうだね、憎いに決まってるよ・・・だって、ロジェは浮気していたんだから。僕ってものがありながらね。・・・あ、タクシーが来たみたい」
国道方向へ向かう曲がり角を、一台の白いタクシーがロータリーへ向けて入ってきた。
「エリファ・・・最後にひとつ、教えてくれ。なぜ、あんなことをした・・・つまり、その・・・」
フェラチオという単語を使って良いものかどうか、情けないことに俺は躊躇っていた。
「ああ、あれね・・・僕も最初はすぐに出て行くつもりだったんだけど、誘ってきたのはピエールのほうだよ?」
「何言ってんだ、そんなわけないだろう! 俺は寝ていたんだぞ、お前に圧し掛かられて起きたんだ」
「またそんなこと言っちゃって・・・僕にしゃぶられて気持ちよくイッたから目が覚めたんじゃない。当事者を相手に嘘を吐いたって、意味がないでしょう。けれど、している間中ずっとあの人の名前呼んでるもの、なんだか途中で馬鹿馬鹿しくなってきて、止めようかって思っちゃったよ。でも、そんなピエールが、あんまり色っぽかったから、悪戯してやろうって気にもなったんだけどね。・・・じゃあ、僕はそろそろ帰るね」
顔から火が出るっていうのは、こういうことを言うのだろう。
恥ずかしさで今すぐ逃げたい気分だったが、もうひとつだけどうしても確かめておきたいことがあった。
「モーベールの家は、ホテルのすぐ近所にあるのか? お前がそこに住んでるってことは、あいつは独身で一人暮らしか?」
「レオンの家は確かにロジェん家の近所で独身だけど、お母さんと住んでるよ。それに僕はレオンの家に住んでるわけじゃない。シャントルーヴ墓地の旧納骨堂だよ」
信じ難い言葉を残して、今度こそエリファを乗せたタクシーはロータリーから出て行った。
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