「あんたは?」
ゴムの木の植木鉢を乗せた台車を押している男は、見たところ30代半ば。
エプロン姿で頭に青いバンダナを巻いている。
「見ての通り植木屋ですよ・・・といっても雇われですけど。かつてはあたしも自分の店を持っていたが、畳んじまったんですよ。貴方がたはパリから? このへんでは見かけない顔だ」
「宿泊客だ。珍しいな、ここの住人は皆が皆、吸血鬼伝説に怯えていると思っていたぞ。レストランの連中や、宿泊客の日本人までもがそうだった。あんたは吸血鬼が怖くはないのか」
アドルフの質問へ植木屋は馬鹿にするような笑いを返した。
「そんな話をして喜ぶのはドークルだけでしょう。なんでもかんでも、都合の悪いことは吸血鬼のせいにしておけば、ここの連中は納得するんだから・・・土地が奪われたのも、仕事がなくなったのも、生活が苦しいのも、全部吸血鬼のせい。その裏ではドークルみたいな野郎が、でかい顔して笑ってるってのに、虐げられて言いかえしもしない。吸血鬼伝説に逃げて、思考停止しちまってるんだ。アホな連中ですよまったく」
「随分とドークルを嫌っているんだな。ひょっとしてあんたも土地を奪われたクチか」
そういえば先ほど店を畳んだと言っていた。
例の都市化計画とやらで、彼の店も潰されたのかもしれない。
「いえ・・・あたしが店を畳んだのは、ただ商売が下手だっただけですよ。もっとも、ドークルが議員に圧力をかけて、バスのルートを変えさせたお陰で、客足が遠のいたって意味じゃあ、潰されたようなもんですけどね」
結構恨みがあるらしい。
「つまり、あんたみたいにドークルへ恨みをもっている人間がドークルを殺害し、ドラキュラに殺られたってことにしている可能性だってあるわけか」
実際にこの村では、どういうわけか吸血鬼に殺されたのだと信じている連中が、少なからずいるようだった。
「変なこと言わないでください、あたしにはちゃんとアリバイがありますよ? 女房に聞いてください。だいたい、あたしが恨んでいるのはテオドール・ドークルのほうであって、ロジェのことは、ちっとも嫌っちゃいないですよ。ちょっと気味悪いところはあったけど、けして悪い野郎じゃない。寧ろ親父の横暴のせいで、学校で苛められたりして、可哀相だった。まあ、ロジェのことはリシャールが庇っていたから、そう酷い目に遭っていたわけではないんですけどね。・・・ただ、親父は間違いなく、吸血鬼伝説を利用してましたよ。村ん中をウロウロしている野犬は、全部森でテオドールが飼っていた犬だって話です。犬が頻繁に庭へ入って来て、家畜や家族が襲われるってんで、引っ越した一家がいるんですが、そこは今ドークルが引かせた道路になってますよ」
「吸血鬼が犬を操るって話のことか・・・あんた、ロジェやカレの同窓生だったんだな。で、この辺にいる野犬ってのは、実際にドークルが飼っていたのか?」
「とりあえず、家にはドーベルマンが2匹いるみたいです」
「いたのか?」
アドルフが聞いてきた。
「いや、記憶にないな。・・・鳴き声も聞いていない」
「普段はモーベールの母親が世話してるんですよ。どういうわけか、ロジェの野郎がまた、大の犬嫌いでね。姿を見ただけで逃げちまうもんだから、構う事もできやしない・・・笑える話でしょう?」
「墓守人が二人きりで暮らしているという、あの母親か・・・なんでまた、ドークルの犬の世話なんてしているんだ」
カレの話では、レオン・モーベールの父親は、テオドール・ドークルのせいで一度は職を失い、復職はしたものの生活は貧窮に追い込まれた筈だ。
その女房が、当のドークルのペットを世話するとは、実に奇妙だ。
「そりゃあイヤサント・モーベールはテオドールの愛人だった時期があるぐらいだから、情はあるんじゃないのかい」
「そうなのか・・・?」
テオドール・ドークルは見境なく村の女に手を出していたとは聞いていたが、墓守の母親までもが愛人だったとは。
つまりエリファ・ジョアネとレオン・モーベールは恋人関係にあるが、エリファの父親とレオンの母親が愛人同士だったということになる。
さらにエリファは兄であるロジェと愛し合っていたのであり・・・実に複雑な人間関係だ。
「ええ、テオドールがわざとモーベール一家を生活苦へ追い込み、美人なイヤサントを従業員として手元へ置いたって、もっぱらの噂ですよ」
「レオン・モーベールのお袋が、『アスタルテ』で働いてたのか」
「ああ、今も働いてますよ」
「そうなのか?」
となってくると、モーベール家とドークル家というのは、ほとんど家族ぐるみの付き合いになってくる。
だとすればレオンを『アスタルテ』の敷地で見かけても、それほど不自然なことではないかもしれない。
もちろん親同士が愛人関係にあったというのは、家族として看過できることではないだろうが。
それでも息子同士も恋仲にあるわけで・・・わけがわからなくなってくる。
「もっとも一度は辞めてますけどね・・・そりゃあ続けられるわけはないさ。雇用主の子供を妊娠しちまったんだから」
「ちょっと待て・・・まさか、それがレオンだっていうんじゃないだろうな」
「いやいや、そんな昔の話じゃあないよ、俺が知ってるぐらいなんだから。イヤサントは確かにテオドールの愛人だった。だが、それは殆どテオドールから強引に迫られてたって話ですよ。イヤサントは断りたかったんだろうけど、そうなると首を切られるかもしれないし、議員に圧力をかけられて、村からギヨームも職を解かれかねない。そうなっちまうと、子供もいるのに一家で路頭に迷っちまう。だからこそ、まさしくテオドールはイヤサントに目をつけたんだろうけどね。それでとうとうイヤサントが妊娠しちまった。子供の父親がテオドールとわかると、イヤサントはすぐに中絶したみたいですが、そのときに休みが続いたイヤサントを非難したり、複数の男友達がいるとありもしない噂を流して居辛くさせたりして、自主退職へ追い込まれたって話です。本当はイヤサントに男なんて、ギヨームと無理矢理迫ったテオドール以外にいないことなんか、みんなが知っていたってのに」
「聞けば聞くほど下種な野郎だな、テオドールってのは」
吸血鬼かどうかはともかくとして、人間ではないと勘ぐられるのも仕方がないかもしれない。
「しかし、そうなるとレオン・モーベールとしては、ドークル家に対してけして良い感情は抱けないのではないか?」
アドルフが言ってはっとした。
嘗て父親の仕事を奪われ、母親を手篭にされ、自らをも生活苦に追いやった男、テオドール・ドークルが憎いであろうことは疑う余地もないとして、それではその息子のロジェ・ドークルに対してはどうだろう。
エリファ・ジョアネもテオドールの息子ではあるが、レオンの母イヤサントがそうであったように、自分と同じ愛人の子という点では、逆に親近感を覚える可能性があるであろうし、実際にロジェによって傷を負わされたエリファを手当てして匿っているという。
今では恋人同士だ。
ロジェ自身は悪い男ではないと、この植木屋もカレも言っていたし、俺も優しい男だと思う。
だからロジェ・ドークルが誰かに恨まれる可能性は低いと思うが・・・・そこまで考えて、俺は一旦思考を停止した。
いや、この考えは早計ではないだろうか。
「これでレオンがロジェの親友だっていうんなら、何か弱みでも掴まれて言わされているとしか考えられないだろうけど、ロジェはそんなことができる野郎じゃないですよ」
植木屋は言った。
「ゴミ集積所で見つかったというバラバラ死体も、吸血鬼の仕業だと聞いた」
アドルフが言うと植木屋は豪快に笑った。
「バラバラ死体ってのは、発見したバタイユんとこのオヤジが早合点したのさ。人形だよ、人形。それも少年の姿をしたセックスドールで、5体分もあったって話ですよ。バタイユの爺はああいうの知らないのか、わかっててすっとボケてんのか知らないけどね。・・・持ち主が捨てたんでしょうけど、今頃恥ずかしくて怯えてる頃なんじゃないですか。バレちまったらもう村にはいらんねえでしょうよ」
ラブドールだ。
「アドルフ・・・俺は今朝、例の池の近くでレオン・モーベールと会っている。直後に池に行ったが、人形は消えていた」
「つまり、お前が見た人形の可能性が高いのか?」
「だろうな」
俺は頷いた。
「なるほど。・・・ちなみにこの夕刊によると、遺体の傍には被害者本人のブリーフケースと、5メートル程離れた場所にシャントルーヴ墓地の鍵束が落ちており、鍵束には被害者の血液が付着していたらしい」
俺は一旦思考停止していた可能性を、再び頭の中で急いで追究した。
誤解が原因だったとは言え、セックスドールとの行為を見られたロジェは、いたたまれなさからエリファを危うく殺すところだった。
そのエリファを保護し、今も匿っているというレオンは、エリファに恋をして、ロジェを憎んでいるという。
つまり、他の誰に理由がなくとも、エリファとレオンにはロジェを殺害する動機があるのだ。
だが、レオンと恋人同士になった今でも、エリファはロジェへの愛情を隠そうとしない。
もしもだ。
仮にレオンがロジェを殺したのだとして、未だにロジェを愛しているエリファが彼の元へ帰ったりすればどういうことになるだろうか。
エリファは愛する兄を殺害したレオンを許さないだろうし、ロジェを殺したレオンが、その殺害動機をもっともよく理解しているであろうエリファを、そのまま生かしておく保障もない。
どちらにしても、碌な結果になるわけがない。
「アドルフ・・・俺は『アスタルテ』へ戻る」
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