視線の先にはマロニエの大木・・・いつかその木の根元に、ひとりの老女が涼んでいたことを思い出す。
その向こうには、漆喰のはがれおちた、古い建造物が建っている。
納骨堂だ・・・正確には旧納骨堂で、エリファがモーベールに匿ってもらっているという場所。
見るからに不気味なその建物を眺め、俺は意を決して近づいてみる。
しかし2メートルも前から、扉に錠が掛かっていることがわかってしまった。
生い茂る夏草を踏みしめながら、納骨堂の周りを歩いてみるが、他に入れそうな扉や窓が見つからない。
あるいは、エリファが言っている旧納骨堂とは、ここのことではなかったのか、それともそもそもエリファの話が嘘だったのだろうか。
「ここじゃないのか・・・」
辺りを見渡しながら他の場所を思い浮かべてみが、他にそれらしき建物も思い浮かばない。
「もう少し歩いてみるか」
アドルフに促され、旧納骨堂を後にした俺達は、周囲に視線を巡らしつつ歩き、いつしか坂を上っていた。
辺りは薄闇に包まれ始め、付近の集合住宅にも徐々に明かりが点き始めている。
日が落ちれば暗くなるのは時間の問題だ。
坂を上り、モザイク小屋まで辿りつく。
「他にそれらしい建物といったら、ここぐらいだよな」
何気なくモザイク小屋の扉に手をかけて押してみる。
中を覗いてすぐに、俺は変化へ気が付いた。
「まだ、開いているのか?」
そう言いながら横からアドルフも首を突っ込んできたので、中へ入ることにした。
「どうやら掃除したらしいな、綺麗になっている」
昨日の午前中にここを訪れたときには、ビールの空き缶や古新聞が散乱していたが、今は綺麗に掃除されていた。
「ほう・・・こうしてみると、なかなかのものだ」
そう言いながらアドルフがベンチに腰かけ、ぐるりと建物内へ視線を巡らした。
俺も中を歩いて探索してみる。
扉を入った場所にはテーブルとベンチ、その奥にも小さな部屋が続いている。
小部屋の壁際にはセメントで出来た二人掛けのベンチが、作りつけで設置され、入り口から突き当たりに、コート賭けのような出っ張りが3つ並んでおり、その一つに誰が残して行ったものか、木製のロザリオが掛けられていた。
この小部屋には窓がないため、いよいよ暗くなると何も見えないことだろう。
俺はアドルフがいる部屋へ戻る。
外はかなり夜に近づいており、窓には満月に近い月と、星の瞬きが見えていた。
そろそろ帰ったほうがいいだろうか。
「なあ、アド・・・」
声をかけようとして俺は息を呑んだ。
「おい、ピエール・・・」
そしてアドルフの腕を引っ張ると、さきほどのロザリオの部屋へ彼を押し込める。
後から入って俺が壁から少しだけ顔を出すと、間もなく扉からその人物は入って来た。
「・・・・・・・」
先ほど窓ガラスの向こう側へ、坂を上って来る姿が見えていたレオン・モーベールは、入り口付近で中を軽く確認すると、すぐに扉を閉めて出て行ってしまう。
さらに外から鍵を掛ける音が聞こえて来た。
戸締りに来たのだろう。
「なるほど、誘ってくれるにしては色気がないと思えば、こういうことか」
「静かにしろ、まだすぐそこにいる」
次にモーベールが窓の前へ現れ、そちらも外から錠を下ろす様子が見える。
そして足元に置いていたらしい麻袋を提げると、来た道を引き返して行った。
俺は腕時計を確認する。
「21時5分か・・・えらく遅い戸締りだな」
「そんな悠長なことを言っていていいのか? 一見したところ他に出口がないように見えるんだが」
アナログの針を確かめていた俺に向かって、アドルフが言って気が付いた。
俺達は閉じ込められていたのだ。

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