貼り巡らしたガラスモザイクを煌めかせる、セメント作りの窓枠と、まだ明けきらないモーヴ色の空を俺は見ていた。
頭を巡る思考の内容は、自分がアナルセックスというものを舐めていたと思い知った後悔。
そして長く続き過ぎたアドルフとの春が、漸く終わりを告げた自覚だろうか。
むず痒い鼻をひくつかせながら、自分の肌が直接触れている固いセメントに、昨夜の記憶が思い出され、堪らず羞恥に頭を振る。
正確には、背中と身体の右側半分は、筋肉質な男の身体に抱かれていたというのが正しいのだが・・・。
「起きたのか」
身じろぎした瞬間、俺の肩から滑り落ちた衣を、掛け直しながらアドルフが言う。
そのさりげない仕草のお陰で、初めて自分の身体に、黒いシャツが掛けられていることに気がついた。
アドルフのシャツだ。
半身を起こしつつ振り返ってみると、上半身は裸の当の本人と目が合う。
「そんなんじゃ、お前が風邪引くだろ」
そう言ってアドルフにシャツを返すと、俺も辺りに散らばっていた自分の服を探して身に付けた。
身体が鉛のように重く節々が痛い。
「酷い声だが・・・喉、大丈夫か?」
「空気が乾燥していたんだろ・・・喉ぐらい飴でも舐めてりゃ、すぐ治る」
他の場所の方が、よほどダメージが大きい。
無茶をするには、自分は年をとりすぎたと実感せざるを得なかった。
「今日は雨みたいなんだが・・・まあいい」
アドルフに言われて、改めて外をよく見ると、確かに静かな雨模様だった。
今日は一日この天気なのだろうか。
改めて建物を見直す。
早朝の淡い日差しに包まれて、天井に鏤められている、青を基調とした大小のガラスが、微かな光を反射させていた。
その一箇所に俺は目を留める。
「あれ・・・ちょっと待てよ、ここって・・・」
窓の前へ近づき、そのまま視線を上に向けた。
アドルフもシャツのボタンを留めながら俺の隣にやってくる。
「修繕してあるな・・・雨漏りでもしていたんじゃないのか?」
「そうだな・・・それもつい最近・・・」
一箇所だけ剥がれ落ちたガラスモザイクの天井に、白いパテを塗り込めた、真新しい補修個所がかなり目立っていた。
心の中で何かがひかかる。
この修繕をしたのは当然、レオン・モーベールだろう。
そして昨日はあれほど汚かったこの小屋が、すっかり綺麗に片付けられているということは、一昨日から昨日までの間に、モーベールがこの天井を補修して中を掃除していったということだ。
バロンの飼い主である女によると、モーベールが雨具に長靴を履き、作業袋を抱えて仕事から一昨日の夜に家へ帰って来たのは、深夜の1時過ぎだという。
その時間帯は確かに、土砂降りだったのだから間違いないだろう。
そして強い雨は、殺されたドークルの遺体を濡らして、衣服を身体へ張り付かせ、持っていたブリーフケースをも濡らした筈だが、その下に落ちていたミノリの預かり証は綺麗なままだった。
つまりドークルが殺されたのは、雨が降り出す前ということだ。
なのに、シャントルーヴ墓地の鍵束には、ドークルの血液が付着して、アスタルテの庭に落ちていた・・・?
「ちょっと待てよ・・・」
「俺はどこにも行かないというか、行きようもないが」
考えを纏めながら、思わず口に出ていた適当な言葉へ、丁寧にアドルフが返事をしてくれる。
そういえば俺とアドルフは、モーベールによってここへ閉じ込められていたのだ。
思いがけぬ昨夜の劇的な体験によって、その事実をすっかり忘れていたことに、俺は自分で呆れた。
「なあ、シャントルーヴ墓地の鍵束にはドークルの血が付いていたんだよな・・・それは奇妙なことじゃないか?」
俺は考えながら、アドルフへ話しかけた。
「どのように奇妙だと感じたのか、それを説明してくれ」
「だって、そうだろ・・・素直に考えれば、それはモーベールがドークルを殺害した際に、何らかの接触によって、所持していた鍵束に血が付いた。そして現場から逃走するドークルが鍵束を途中で落としたということなのだろうが、あの晩は土砂降りでドークルの遺体もかなり濡れていたんだろ。どうして鍵束に血が付いたままなんだ?」
「それはどこに落ちていたかによるな。たとえばミノリの預かり証は、ドークルが落としたブリーフケースの下に落ちていたから、綺麗なままだった」
「つまりドークルが殺されたのは、雨が降るより前ということだ。・・・なあ、昨夜会った、犬の散歩中の女が言っていたことを覚えてるか?」
「お前を男と認識しなかったバロンの飼い主のことか」
アドルフが言った意味が理解できなかったが、そのまま俺は受け流した。
「そうだ、バロンだ。あの犬の飼い主は、モーベールが雨具と長靴を履いて、遅くまで墓地で仕事をしていたと言っていただろ。それってひょっとして、この修繕箇所のことなんじゃないのか?」
そう言いながら、俺は天井の補修部分を指し示す。
「・・・あるいはそうかもな」
「俺達は今ここに閉じ込められている・・・つまり、ここは基本的に、夜は閉まっているわけだ。だとしたら、モーベールはドークルを殺害し、そのあとでここを修理してから現場へ戻り、鍵を落としたことになる」
「しかも、ドークルの血が付着した鍵を・・・確かに妙だな。だが、必ずしもモーベールは、深夜にここの修理をしていたとは限らんぞ。あるいは殺害直後に鍵を現場に取り落とし、その後で墓場に来てひと仕事していたのかもしれんし」
アドルフに言われて、改めてその不自然さに気が付く。
そもそも、人ひとり殺害した直後に、深夜の一時まで人目につく屋外で仕事をするとしたら、よほどの神経の持ち主だ。
モーベールは殺していないのかもしれない。
だとしたら、逆になぜモーベールの鍵に、ドークルの血液が付着したまま落ちていたのだ?
『La boheme, la boheme <<cinq>>』下
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