『La boheme, la boheme <<cinq>>』下



『アスタルテ』へ戻ったのは、午前7時過ぎのことだった。
小屋の外に朝早く墓参りに訪れた老婆の姿を発見し、助けを求めるつもりで何気なく窓を押してみると開いたのだ。
それを見ていたアドルフが扉を押してみると、あっさり外へ出られた。
知らぬ間にモーベールが、モザイク小屋へやって来て鍵を開けていたのか、それとも施錠されたと勝手に早合点しただけで、実は最初から、鍵など掛けられていなかったのか。
・・・いや、昨夜は確かに閉じ込められていた筈だ。
やはり、俺達が寝ている間に、モーベールが来ていたのだろう。
そう考えると、不気味で仕方がない。
明け方に降っていた静かな雨は、日が昇るに連れてすっかりと晴れ上がり、この日も日中はかなり気温が上がりそうな気配だった。
通勤途中のサラリーマンや、散歩中の老人たちと何度か擦れ違う。
墓地の敷地が生活道路にもなっているというのは、本当のことのようだった。
シャントルーヴ墓地から『アスタルテ』の中庭へ入り、レストランを通過してホテルへ入る。
ホテルの敷地には、昨日以上に警察関係者らしきビジネススーツが多く、ロビーは刑事だらけといっても過言ではなさそうだった。
「ピエール」
ロビーの手前で、アドルフに呼び止められて彼の視線を追う。
すると、10歳ぐらいの子供が一人、こちらへ向かって歩いてくるところだった。
通路の奥にはトイレがある。
「ロビーで待っている、親のところへ戻るんだろう」
子供が一人で、宿泊しているとも思えないので、俺がそう言うと。
「膝を見てみろ・・・兎だ」
「兎・・・?」
半ズボンを履いた少年の膝には、見覚えのある絆創膏が貼ってあった。
「ああ、昨夜中庭に落ちていた動物絆創膏か・・・ってことは、あの子供のものなのか?」
「それはわからんが・・・たぶん、出所はあそこじゃないのか?」
そう言って、アドルフは通路の奥を指し示す。
そこには、男子トイレの斜め向かいあたりに、こじんまりとした部屋がひとつあった。
扉が開放された入り口からは、白衣で忙しく歩き回っている男の姿が見えている。
「医務室か」
それほど大きなホテルというわけでもないのに、珍しいと感じた。
「そういえば、お前喉が痛いんだったな」
何かを企んでいるような口ぶりでアドルフが俺を視線で促しながら、そちらへ向かおうとする。
「いや、別にもういいって、今は普通に声が出ているから」
俺が断ると。
「だったら、他の場所を診てもらうか? たとえば、真っ赤に腫れあがっている・・・」
「いらねえって言ってるだろうがっ・・・!」
「どうかされましたか?」
調子に乗りだしたアドルフに俺が声を荒げたところで、件の医務室から声をかけられた。
「すみません、絆創膏をひとついただけますか?」
アドルフはそう言って俺の手を振りほどき、ひとりで医務室へ行ってしまった。

 02

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