なぜ気付かなかった・・・エリファは自ら示唆していたではないか。


憎い・・・? そうだね、憎いに決まってるよ・・・だって、ロジェは浮気していたんだから。僕ってものがありながらね。


ほんの子供でしかなかったエリファを弄び、その似姿である人形たちを相手に、秘めた欲望をぶつけていたロジェ・ドークル。
兄弟の間で近親相姦行為を繰り返していた二人は、当時確かに愛し合っていた。
少なくとも子供ながらにエリファは、実の兄であるドークルに愛情を抱いていたのだ。
許されざる関係であり、常識的に考えれば児童虐待にあたるような仕打ちを受けながら、エリファの強い思いは消えることがなく、だからこそ自分の似姿である人形という、”自分以外の者”を愛するドークルが許せなかったのだ。

だって、ロジェは浮気していたんだから。僕ってものがありながらね。

月明かりに包まれた、梅花藻が浮かぶ池の庭。
あの夜、そこに並んでいたラブドール達を、エリファはおそらく破壊した。
その事実を知ったドークルとトラブルになり、エリファはドークルを殺してしまったのだろうか・・・自分以外を愛する、憎い兄を。
「だとしたら、・・・なぜ鍵束が落ちていたんだ?」
不意にアドルフが言って、改めて気がつく。
事件にモーベールが関係ないのであれば、あの鍵束の存在は不可解だ。
「ああっ、糞・・・わからねえ」
漸く全てが明るみになったと思えば、また振り出しである。
兎の絆創膏を巻いた手で、思わず頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
「あなたたちは、ひょっとして・・・探偵さんですか?」
新しいキャンディーを口へ放り込みながら、ドクターが訊いた。
「いや・・・、そういうわけではないんだが・・・」
アドルフが言葉を濁した。
それに、破壊された人形達が発見された場所も、中庭ではなくゴミ集積場である。
もっと言えば、なぜドークルは犬に襲われたのだ。
たしかに犬たちは、本当の飼い主であるドークルに懐かないと聞いていたが、自宅であると同時にホテルの庭だ。
そんな場所にドーベルマンがウロウロしているはずがないではないか。
「・・・エリファが犬を嗾けた、か・・・?」
しかし、何のために?
そのとき、開きっぱなしの扉の外から、突然の喧騒が聞こえてくる。
俺達がロビーへ戻ってみると、フロアの中央で人だかりができていた
「待って下さい、ドークルさんは自殺されたのです! 私は知っています・・・」
不意にそのような激白が耳に飛び込んできて、俺とアドルフは顔を見合わせる。
「失礼・・・」
宿泊客や、仕事の手を止めている従業員達を掻き分けながら、人の輪の中へ入ってみた。
最初に目についたのは、背の高いレオン・モーベールの黒髪。
その両脇をスーツ姿の男たちが固め、モーベールは黒っぽい繋ぎ姿の両腕を後ろで手錠によって拘束されていた。
ということはスーツ姿の男たちは刑事だろう。
彼らの前には、ホテル館内でときおり見かける、灰色のワンピースを着た女性が立ち塞がっていた。
ゴム手袋を嵌めた手には清掃用のモップが握られ、少し離れたところにゴミ袋を広げたワゴンが放置されている。
ホテルの清掃スタッフだろう。
黒髪をコンパクトに纏めて、髪が落ちないように布でカバーをしている彼女は、見たところ50歳を下らないだろうが、色白の肌に目鼻立ちのすっきりとした顔立ち、深みのある青い瞳は印象的だ。
若い頃はなかなかの美人だったことだろう。
この一介の女性清掃スタッフが大胆にも就業中に、連行中の刑事達の邪魔をして、意見を表明していたようだった。
「公務執行妨害です。そこを退きなさい・・・7時50分警告」
若い刑事が腕時計を確認しながら、乾いた事務的な口調で女に告げる。
女はますます縋りつかんばかりに前のめりになって、刑事達へ訴え続けた。
この女は何者なのだろうか。
「ドークルさんが日頃から睡眠薬を常用していたことは、ホテルの従業員であればみんなが知っていることです。一昨日の夜、オーナーはとても酔っておられました。気丈に振る舞っていらっしゃいましたが、ときどき思いつめた表情をされることに、私は気付いておりました。あれは自殺に間違いありません・・・」
「母さん、もういいから・・・」
静かな男の声がヒステリックな女の訴えを制する。
モーベールだ。
「母親か・・・」
隣でアドルフが呟いた。



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