モーベールはエリファを守りたかったのだ。
ただ、それだけだ。
「ちょっと待ってよ・・・だってこのままじゃピエールが可哀相。ちゃんと恋人もいるのに・・・僕はピエールの部屋に忍び込んで、彼の寝込みを襲っただけだよ。だからピエールに行動の選択権はない・・・寝ていたんだもの。まあ、気持ち良さそうだったから、起きても抵抗はなかったけどね。・・・ごめんなさい、フルニレさん」
「いや、かまわん。すべてこいつが悪い」
「おい、なんでだよ! ・・・聞いてたろ、今の!?」
「若者の規範となるのが大人の務めだろ。子供に罪はない」
「てめえが言うな!」
アドルフに対するあらゆる思いを込めた俺のツッコミに、ほぼ声を掻き消されながら、年配の刑事がエリファに訊く。
「君は誰だね?」
「エリファ・ジョアネ・・・先日なくなったロジェ・ドークルの弟です」
刑事達の表情に緊張が走る。
「名字が違うようだが」
「両親が離婚して、僕は母に引き取られていましたから」
「今は違うのかい?」
「5年前から家出中です。・・・今は彼・・・レオンのところにいます」
「なるほど・・・それで、その・・・まあ所謂恋仲になったと」
何をそれほど勿体ぶる必要があるのか、年配の刑事は恋仲という言葉を、やけに慎重に口にした。
見たところ定年間近と言った年具合の男にとっては、同性同士の恋人という概念すら、異端のものなのかもしれない。
もっともゲイ差別を表情から消そうともしていない、若い刑事よりは、ずっと分別があると思うが。
「まあ、そういうことですが、・・・でも、ごめんなさい。レオンには感謝していますし、たしかにセックスもしましたが、僕はロジェのことが忘れられなかったんです」
「失礼・・・誰が忘れられないって言ったかね?」
年配の刑事が聞き返した。
聞こえなかったのではないだろう。
経験豊富な刑事である筈の彼の常識が、理解力を阻害していただけだ。
「ロジェですよ・・・ロジェ・ドークル。兄です」
「忘れられないとは・・・その、君たちは兄弟だよね。親同士が離婚したとは言っても・・・君がお兄さんに甘えたいということかな」
刑事は自分に理解出来る範囲で、色々と想像に工夫を凝らしながら、エリファに説明を求めていた。
まあ、・・・理解できるわけはあるまい。
事情は極めて複雑だ。
暫くそんなやりとりが続き、エリファは時間をかけて自分とロジェ・ドークルの関係を刑事達に明らかにした。
その間、モーベールは相変わらず無表情であり、無言を決め込んでいたが、心は痛みに苛まれていたことだろう。
気の毒な男だった。
「要するに・・・君は腹違いであるお兄さんを愛していたと・・・その、男として・・・この言い方が適当かどうかはわからないが」
「ゲイに対して男としても何もないな、たしかに。セックスをするかしないか、あるいはそこに恋愛感情が介在するか・・・それだけだ。男であれ女であれ、同性愛なのに、愛し方の区別として、性別を強調する意味はない」
刑事に対する軽蔑を隠そうともせずに、アドルフが言った。
「すまないね・・・どうも年をとると、頭が固くなるようで、いかん・・・」
「ああ、いや・・・」
すると自分の理解の足りなさを素直に刑事に詫びられて、アドルフが曖昧に返答をする。
狭量で排他的だった己の発言を後悔したのだろう。
アドルフはゲイである自分にプライドを持っており、彼なりの美学を確立している。
その点において彼はけして譲らない。
たとえばキリスト教と同性愛は、基本的に相容れない精神だとして、アドルフは無宗教を決め込んでいる。
そこに話が及ぶと、俺とアドルフの論議は平行線だ。
だからこのように相手からあっさりと折れられることに、慣れていないのだろう。
アドルフが気不味そうに下を向く。
「許せなかったんですよ・・・僕以外の誰かを、愛してしまったロジェが」
エリファが言った。
「お兄さんには、別に恋人がいたのかい? そういう証言は・・・?」
「いえ、聞いておりません」
年配の刑事が若い刑事に確認するが、否定が返ってくる。
「いましたよ5人も・・・だから僕がバラバラにしてやったんです。あんなもの・・・壊れたら目が覚めると思っていたのに・・・」
エリファが忌々しそうに告白する。
「だからお前は、ラブドールを切り刻んだのか?」
弟にそっくりな人形を愛する兄の異常性。
それでも兄への気持ちが変わらない弟は、人形を破壊して、それが無機物であることを示そうとした・・・そういうことだったのだ。
「だが、結果は思ったとおりにはいかなかったんだな?」
アドルフが確認すると、エリファは黙って頷いた。
「すまんが、ラブドールってのは何だ?」
また年配の刑事が、話についていけなくなっていた。
・・・いや、普通は馴染みがないものだろう。
「ダッチワイフのことですよ。最近ではより人間に近い物が作られるようになっていて、日本の『東洋ファクトリー』あたりが実の人間と遜色のないものを作っています、・・・まあ値段はシリコン一体型ボディで3万〜3万5千フランと、少々高めなんですが、買って損はないと思いますよ。大きさも成人女性の160センチぐらいから、140センチ程度の少女サイズまで揃っていて、ウィッグやバストサイズも好みで選択可能なんです。最近では美白シリーズなんていうのも出ているところが日本人らしいですよね。僕のお勧めは断然プチシリーズの未来ちゃんです。あどけない表情に困ったような八の字型の眉毛が、なんとも保護欲をそそってくれるんですよ・・・この間日本の友人から送ってもらった白いトレーナーと紺色のブルマに着替えさせてみたんですが、もう可愛くってたまらないですよ。張り込みで明け方なんかに帰るじゃないですか。でも部屋に入ると未来がベッドに座って「おかえりなさい、お兄ちゃん。・・・未来の為に、お仕事無理しないでね」なんて言いながら、出迎えてくれるんですよ・・・もう、一気に疲れなんて吹き飛んでしまいます。でも最初に迎えた嫁の葵が、うっかり西日で日焼けしちゃいましてね・・・来週供養のために里帰りさせることになったんです。心が痛みます。ちなみに秋葉原には同社のショールームもあるらしいですよ」
若い刑事が灰色の瞳を爛々と輝かせながら、赤裸々に自らの性癖を語り終えると、暫しの沈黙が『アスタルテ』のロビーにおりた。
事態を引き起こすきっかけとなる素朴な質問をした年配刑事が、軽く咳払いをすると。
「よくわかった・・・署に戻ったら、有給休暇を申請しておけよ。幻聴が聞こえるまで扱き使って悪かったな。・・・つまり昨夜未明、ホテル裏のゴミ集積所で発見された、腕や脚が胴部分より切り離されているシリコン人形は、君の仕業というわけか」
年配刑事が確認すると。
「ええ。墓地の倉庫からレオンの鉈を盗み出して、庭に並んでいる人形たちをバラバラにしました。そしてロジェを呼び出して人形を見せると、彼は僕にこう言ったんです。・・・“けだもの”って」
エリファの翡翠色の瞳から光が消えた。
「そこで言い合いになり、モーベール氏が君を庇ってドークル氏を?」
「違いますよ・・・レオンは僕を助けようとしてくれただけ。あのときと同じ・・・この怪我をしたときも、レオンは怪我が治るまでずっと傍にいてくれて、行くところのない僕に居場所を作ってくれた。優しい人なんです」
「その傷も、ドークル氏が・・・?」
「はい。悪いのは僕なんだけど・・・そのときも言い合いになって、突き飛ばされた衝撃で、庭石にぶつけたんです」
ドークルは自分と人形の性交を目撃した弟を、最悪殺すつもりで傷つけた。
ところが、気が変わったか、動かなくなったエリファを見て怖くなり、その身柄は幸いにしてレオンに保護されたのだ。
下手をすれば、そのときに遺体となって発見されていた可能性もある、大問題だった。
それなのにエリファにはそのことに対する兄への恨みもなく、変わらず愛し、求め続けていたのだ。
だからこそ、彼をけだもの呼ばわりした兄が許せなかった・・・そういうことだろう。
「犬を嗾けたのも君かね?」
「それは・・・私です」
年配の刑事の質問に、思わぬところから返事がきた。
イヤサント・モーベール・・・レオン・モーベールの母親だ。

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