Epilogue 2
エリファが『アスタルテ』から連行されて間もなく、『スリーズ』へ戻ろうとする俺とアドルフの元へ、モーベールはやってきた。
「色々、ご迷惑をおかけしました」
開口一番にモーベールは謝った。
「いや、俺もあんたを誤解していたみたいだし・・・。これからどうするんだ? お袋さんとどこかへ引っ越すのか?」
モーベールはともかく、話を聞いているかぎり、イヤサントにとって、シャントルーヴは嫌な思い出ばかりの村という気がする。
ドークルが死んだ今となっては、ホテルもいつまで営業しているかわからないだろうし、思い切ってどこかへ引っ越して母親に楽をさせてやるという道もあるだろう。
モーベールはまだ若い。
「エリファを置いて出て行くわけには・・・お袋には悪いですが」
「待つのか・・・だが、エリファは、人形との浮気も許せないほど、自分の兄貴に執着しているような男だぞ」
残酷かと思いつつも、俺はモーベールに言った。
更に言えば、眠っている俺の股間へ顔を埋めて来た事実もある。
悪いが貞操観念はないに等しいだろうし、モーベールが思うほどエリファに彼への愛情があるとも思えず、何年も待つ価値があるように感じられなかった。
「わかっています。それでも待っていてやりたいんですよ。俺がいなくなれば、多分エリファに頼る相手はなくなりますから」
モーベールは淀みなく言いきった。
たぶん自分の思いが報われないことなど、最初から承知の上だったのだろう。
考えてみれば当然だ。
モーベールはこの5年間、ずっとエリファと接してきているのだ。
エリファの本心に気付かないわけがない。
「そうか・・・だったら、好きなだけ待っていてやるんだな。ただし、お袋さん孝行は必ずしろ。孝行したいときに親はなしって言うだろう」
「綺麗な顔してオッサンみたいだ」
モーベールが珍しく笑顔を見せた。
「俺はじゅうぶんオッサンだよ・・・お前よりはな」
黒い繋ぎの胸に、軽く拳をぶつける。
そう言って車へ乗ろうとすると。
「・・・あのラスネールさん、いろいろとすみませんでした」
中途半端な体勢で呼びとめられて、俺はモーベールを振り返る。
「いろいろ?」
まあモーベールには、たびたび無礼な態度をとられた気はするが、改めて謝られるほどのものではない。
ドアに手をかけたまま俺が思案していると。
「たとえば昨夜とか・・・」
言っている意味がわかって、途端に気不味くなる。
そういえば昨夜、この男にアドルフとのディープキスを見られていたのだ。
「ああ、いや・・・そのこちらこそ」
なんと言い訳すればよいものやら。
結局その後、なんだかんだで、俺は遂にアドルフとセックスまでしてしまったのだ。
そして昨夜は確かに外から施錠されていた筈の小屋の扉が、朝には開いていた・・・下手をすれば、俺達がしている現場まで、見られていた可能性がある。
「小屋にいらしたことに気付かず、外から鍵を閉めてしまって・・・。明け方エリファが呼びに来て、あいつに叱られました。ちゃんと確認してから戸締りしろって・・・本当に、すみませんでした」
そう言うとモーベールは深々と頭を下げてくれた。
明け方ということは、とりあえず最中を見られたわけではなさそうで一先ず胸を撫で下ろす。
しかし自分たちがどういう姿で寝ていたかを考えると、まあ何をしていたかなど聞かれるまでもないだろう。
「ってことは・・・何時頃、開けに来てくれていたんだ? その・・・全然気づかなかったもんで」
それでも俺が虚しく質問すると。
「5時頃・・・だったかな。俺もちゃんと時間見ていたわけではないんですが、とにかくエリファが急いで鍵を開けろと騒ぐもんで。あいつが深夜の散歩から戻るのが、いつもそのぐらいの時間なので、たぶん5時頃だと思います」
「深夜の散歩・・・? そんなことしているのか?」
そういえばエリファも、そんな話をしていた気がする。
昼間はドークルの家に近づくなと言われているとか何とか・・・。
「ええ。明るいうちはあまり出歩かないように言ってあるもので、どうしても昼夜逆転になってしまうようです・・・その、オーナーはあいつが死んだと思っていた筈なので、遭遇すると何があるかわからないですから」
「それじゃあドークルはエリファが生きていたことを、知らなかったのか」
「はい・・・俺はオーナーから、エリファの死体を始末するように、言われていましたから・・・」
しかし生きていることに気がついたモーベールは、エリファを密かに看護しているうちに、情が移ったということだ。
それであれば、モーベールがドークルを好きになれない理由がわからなくもない。
ドークルは紳士の仮面を被りながら、冷酷な面を持ち合わせる男ということなのか・・・それとも、自分ではどうにもできず、モーベールを頼るしかなかったのか。
そうなるとドークルはモーベールに弱みを握らせていることになると思うのだが、モーベールがそれを理由に強請るような男でないことは、今ならわかる。
最初の夜に、俺とミノリがこのモーベールからいきなり怒鳴られたのは、旧納骨堂の前だった。
おそらくは、匿っている立場としてエリファを迂闊に目撃させたくはないモーベールは、一刻も早く俺達を、あの場所から追い払いたかったのだろう。
あるいは、散歩に出てしまったエリファと俺達が遭遇することを恐れていたためかもしれない。
モーベールは話を続けた。
「エリファが散歩から帰ろうとすると、坂の上からラスネールさんの声が聞こえてきたらしいです。そして窓から中を覗いてみると、おふたりが閉じ込められていたと・・・。それにしも、早朝から随分と盛り上がっていらっしゃったんですね。エリファの散歩コースは坂の下の筈なんですが、そこまで声が聞こえて来るというのは、少々騒ぎ過ぎというか・・・。閉じ込めた身であまり強く言える立場ではないのですが、死者の眠る場所で、あまり賑やかにされるのは不謹慎かと」
俺は羞恥心で死にそうだった。
その話から想像すると、恐らくエリファが、実際に俺達がいることに気付いたのはもう少し早い時間だった筈だ。
その上で、彼なりに気を遣って、明け方5時頃まで待ってからモーベールを呼びに行ったのかも知れない。
幸いモーベールの話を聞くかぎり、彼は鍵だけを開けて中は覗かずそのまま立ち去ったのだろう。
だがエリファは何故俺達が小屋にいたことに気付いたか・・・エリファには、多分見られていたのだ・・・俺とアドルフがしていたことを。
「なるほどな・・・、ではその恒例の深夜の散歩中とやらに、お前の寝込みも襲いに来たってことか。まったく困った少年だ」
モーベールの話を聞きながら、隣でずっと肩をひくつかせていたアドルフが、笑いを噛み殺しながら言った。
俺はスニーカーの爪先でアドルフの膝を蹴飛ばすと、エンジンを掛けて車を出す。
09
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