レイモンが突き出した黒い樹脂をよく観察してみる。
 両面テープの裏側に物を引っ掻ける為の突起があるそれは、一見すると目立たない生活雑貨だが、上部に直径一ミリにも満たない穴が空いており、どうやらそれがレンズらしい。背面にはやや厚みが持たせてあり、両面テープが張っている裏カバーをレイモンが外すと、中からスイッチらしき突起と、ケーブルを接続するための差し込み口が現れて、俺は唖然とする。道理でフックに違和感を感じた筈である。
 安っぽい生活雑貨など、いちいち何を買ったかと正確に記憶していないが、このような細工をしてある道具を自分で設置したわけがない。
 続いてレイモンがスーツの内ポケットから、キーホルダーに取りつけられた、カードタイプの道具を取り出すと、それを部屋のあちこちへ向けては、室内を念入りに探り始めた。五分後、彼が見付けた隠しカメラに盗聴器の類は、裕に十個を超えていた。
「いやいや、敵もなかなかやりますなあ。懐中電灯に置時計、ライターにボールペン……売り場で目に付くままに買ってきたようです」
「このタブレット菓子もそうなのか?」
 メジャーなメーカーのラベルが貼ってある菓子を指差すと、レイモンが白いケースを斜めに傾け、アドルフの質問へ応えてみせた。
「要するにどれも、中へ同じような物が仕込んであるってだけですがね」
 樹脂の表面に小さな穴が空いてあり、そこにどうやら無線の小型カメラが埋め込んであるらしい。ケースをスライドさせると、中にはしっかりミントタブレットが入っているが、どうやら七粒が限界のようだった。手に取って見るまで、これは気が付かないだろう。
 レイモンは引き続き、キッチンや寝室へ入り、カメラをさらに十個、盗聴器を十五個見付けてきた。最初は気味悪さから青褪めていた俺も、ここまでくると呆れの方が勝ってしまう。
「仕込んだのは最近みたいだな」
 最初に見付けたフック型のカメラを手に取って、アドルフが言った。
 なるほど、両面テープの粘着部分は、わりと綺麗に剥がされている。時間が経っていれば、もっと表面が荒れているだろう。
「さしずめ物取りを装いつつ、こいつらを仕掛ける方が、ヤツの目的だったんじゃないですかね。だとすると、発見が早くてよかった」
 レイモンはそう結論付けたようだったが、俺はますますわけがわからない。
 金を持っているわけでもない、価値の高い情報を握っているわけでもない、俺なんかを監視して、犯人は一体何を得たかったというのだろうか。性犯罪目的のストーカーだとしても、四十を過ぎた中年男を、ここまでして突け狙うモノ好きなど、そうそういるとは思えない。まして、隣に行けば、つい最近、渚のような若い美人が引っ越してきたばかりだというのにである。歪んだ性的欲求を満たすにしても、普通はそちらを狙うだろう。
 アドルフとレイモンに手伝ってもらいながら、キッチンの惨状や寝室もあらかた片付けつつ、俺達はさらに十個ばかりの不審な物体を見付け、そのうちの七個が盗聴器だと判明した。とりあえず、犯人の動機が不明で、正体もわからない以上、引き続きアドルフの家へいたほうがいいのではないかとレイモンから忠告される。
 片付けた結果、洗面所やバスルームに積み上げられたゴミ袋を、そして扉が壊されたクローゼットを、割られた窓ガラスを隠すために、移動させて立て掛けられたソファを見て溜息を吐く。そのソファすらも、ナイフを滅多刺しに突きたてられ、買い変えを余儀なくされている代物だ。キッチンの道具も、半分ぐらいが買い変える必要がある。一番金がかかるのが、赤ワインをぶちまけられ、引き抜かれたコードや配線類をズタズタにされた冷蔵庫だろう……ふつふつと犯人に怒りを覚えるが、ここまで台無しにされた俺の生活空間という現実に、諦念を覚えざるを得ない。
「いっそ、引っ越すかなあ……」
 たいして大きな部屋ではないが、何者かの悪意によって滅茶苦茶に壊された空間にいる限り、俺はこの事実を引き摺らずにはいられないことだろう。我ながら力ない声でそう呟くと。
「そのままうちにいてくれたって、俺は構わないんだぞ」
 感情の読めない声でアドルフから言われ、俺は戸惑った。
 今朝がた俺は、泊めてくれたこの男を置き去りにして、断りもなく部屋を出てきてしまったところだ。おまけに昨夜は、彼のベッドではなくリビングのソファで休むことを俺は選び、それに対してアドルフは何も言いはしなかったが、快く思っていないだろうことは明らかである。そのアドルフが厚意を示してくれるまま、ズルズルと甘え続けていていいのだろうか。
 アパルトマンの前で張り込みに戻るというレイモンが、筒状に丸めた新聞でポンポンと壁を叩きながら玄関へ向かうと、一足先に出て行った。そして今朝がた前の通りを歩いていた、新聞片手のビジネスマンが、レイモンであったことに、俺は今さら気が付いた。
 アドルフによると、レイモンの事務所で雇っているスタッフがさらに三名、付近で聞き込み調査をしてくれており、顔の効く刑事からも随時、情報が来るだろうということだった。つくづく頼りになる男たちだと、俺はレイモンに、そしてもちろんアドルフへも感謝した。
 ただし、俺やアドルフが直接動いて犯人探しをすることについては、レイモンから強く禁じられているらしい。レイモンもまた、元刑事であり、下手に素人が動き回っては、危険であるのみならず、逆に犯人から警戒されて、調査の弊害になると言う理由だった。



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