「お前っ……!」
年の頃は二十歳前後。一見白人に見えるが、よく見るとどこかアジア系の血が混じっているようにも思える。
「乱暴な真似をしたことは謝ります」
男……、マルセルによると、この青年がルイというのだろう。ルイは俺へ一歩近づくと、片膝を突いて腰を落とし、殊勝にもそう言って素直に詫びてきた。そういう点においては、マルセルに比べると、遥かに礼儀を弁えている。だからといって、いいえ、どう致しましてと許せるものでない。
「乱暴なんてもんじゃねえだろうが。拳銃を突きつけて脅迫した上、こんな真似しやがって……! 今すぐこいつを解いて、ここを出せ!」
「うわぁ〜、外に放り出しちゃっていいの? そんな姿で路上に放置されちゃったら、頭の可笑しい不良や浮浪者に公園へ連れ込まれてレイプされちゃうよ。それとも、そういう趣味なのかな……フフフ。アドルフが知ったら、どんな顔するだろう。まあ、その前に公然猥褻罪で引っ張られると思うけど」
「てめえ……」
どこまでも人を馬鹿にした態度を改めようとしないマルセルを、俺はきつく睨みあげた。
「確かに俺がしたことは、紛れもない犯罪です。けれど、ムッシュウ、日頃あなたはあのタクシー乗り場付近で、一体どういうことをなさってますか? 今日俺は、あなたにタクシー乗り場の場所を訊き、あなたは俺を車へ乗せた。直後に俺はあなたを脅して、ここへ連れて来たから、乗車賃を請求されることはなかったが、俺が銃を出さなきゃ、あなたは過剰な料金を要求していた筈だ。まさか、空港からパリ市内まで三十分以上もかかる距離を、ただの慈善精神で見知らぬ男を乗せてやったなんて言うつもりはないでしょう? あなたはあそこにいた他の闇タクシーと変わらないことをしている……それも一度や二度じゃない。どうです、違いますか?」
あくまで穏やかに、問い詰めるルイの口調や眼差しには、どこか相手を逃がさない強さがあった。
彼が今言った話の大部分は、その気になればいくらでも反論可能な、言ってみれば、ハッタリと切り捨てて良い程度の内容だ。この青年は空港で俺の車に乗ってすぐに銃を突きつけたのであり、俺は結局彼に金の話などする余裕すらもなかった。その一件をもって、日頃から俺が不当な乗車料金をふっかけている常習犯だと、彼が知る余地などありはしない。だが、突きつけられている内容は、全て事実である。しかも、現状こうして全裸で拘束され、監禁されている立場で、今その内容について議論するだけの精神力は、俺にはなかった。やはりこちらの分が悪い。
「一体、何がしたい……さっさと目的を言え!」
吐き捨てるように言うと、俺を間へ挟むように、マルセルがルイと向かい合って座り……。
「まあまあ、そう焦らないでよ。夜は長いんだから、たっぷりと楽しまないと」
そう言って銃口の先で腰の辺りを再び撫であげた。
「…………っ!」
ひんやりとした鉄が局部へ触れようとする一瞬、ゾワリと全身の毛穴が開くのを感じる。俺は慌てて身を捩ると、銃口から逃げようとしたが、拘束が邪魔になり、さらにルイの足に阻まれて、上手くいかない。
「やだな、ひょっとして感じちゃった?」
「マグナム弾をブチこまれようとして、何も感じないヤツがどこにいる!」
「ごまかさないでよ、本当は固いモノで刺激されて、意識したくせに。それとも、こっちを刺激してほしいって意味なのかな……」
銃口がさらに肌を這いまわり、尻の表面を滑り落ちた。固くて長さのある銃身を持つ、GP100の先端が、窄まりに押しあてられる。今度こそ俺は、全身に鳥肌が立った。
「やっ、止めろっ……畜生っ、どけってば!」
不自由な身体で精一杯もがき、纏められた足や膝でカーペットを蹴りながら、逃げようと必死になるが、ルイの足が俺をその場に押しとどめようとする。上半身を捩って別方向に逃げようともがいても、一緒にルガーの銃口が付いてきて、ずっと尻の皮膚を圧迫していた。どこまで人をからかえば気が済むのか。腹立たしいやら情けないやらで、目の前が滲んでくる。
ふとルイの足が目の前から消え、ほぼ同時に背後で重さのある固いものが落下するゴトリとした衝撃音と、それがカーペットの上を急回転しながら遠ざかっていくような摩擦音が聞こえてきた。次の瞬間、マルセルがあげた細い悲鳴らしき短い声と、非難めいた言葉を耳にする。
「やだもうっ……、何するんだよ、ルイ!」
振り返ると、華奢な白い右手から、不釣り合いなリボルバーが消えている。どういうわけかルイは、武器を持つマルセルの手を蹴って、銃を弾き飛ばしたようだ。ハンマーは落とされていたから、下手をすれば暴発した可能性があった筈だが、暴挙に出たところを見ると、実は弾など入っていなかったのかもしれない。あるいはよく出来たモデルガンだったのか……いずれにしろ、取り乱した自分を少々恥じる。
「いつまでも、見苦しい光景を見せつけるな。いい加減にうんざりだ」
言われた内容は酷いものだが、仮にモデルガンだとしても、今にも俺の尻に銃口を突っ込んできそうだったマルセルの勢いを思えば、助けられたことになるのだろう。少しだけルイに感謝をした。
マルセルがやれやれと言った感じに溜息を吐く。
「わかったよ……まったくもう、ルイってば気難しいんだから」
「マルセルの趣味が悪すぎるんだ。それより、さっさと……おい、お前……!」
「うわっ……」
ルイが何かを言いかけた瞬間、驚くようなスピードで黒い影が目の前をよぎっていく。
俺の上を飛び越え、マルセルの傍で立ち止まったそれは、弾むような息遣いを聞かせたかと思うと、次の瞬間、自分が今しがたやって来た方向へ向かって、元気よく一吠えした。
黒いドーベルマンだ。
「アンシー……」
同じ方向を向いたルイが、そう呟くと、まるで犬に呼び寄せられたように、艶やかな装いの人物が入ってくる。
アンシーというのは、彼女……いや、彼だろうか? 恐らくこの人物の名前だろう。
「サロメ……」
俺は思わず、その名前を口にしていた。
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