「どう……して…………」
 俺に覆い被さり、顔を間近に寄せていた筈のアンシーは、どこかへ消えていた。耳元で絶え間なくハッハッと聞こえる、獣の息遣い。自分に起きている現象が信じられず、俺は混乱する。
「嘘だろ……退けろよ……」
 俺に覆い被さっていたのはアンシーではなく、彼と共に部屋へ入ってきた黒いドーベルマンだった。そしていつの間にか足首の拘束を解かれていた俺は、股を広げ、腰を折り、股間を突き出すようにして、床よりも少し高い場所へ、背中から上半身を横たえている。これではまるで、犬に交尾を促しているような恰好だ。
「放せよ、やめてくれっ……畜生!」
 手は相変わらず後ろで一つに束ねられて使えない。必死になって身を捩ろうにも、股を大きく広げられた膝は、誰かの手によって固定されており、動かせなかった。俺にこのような姿勢を強いているのは、マルセルとルイだ。
 二人を睨みつけると、より一層股間を開かされ、更に足を高く持ちあげられる。
「うわっ……やめろ、馬鹿野郎……!」
 背を丸めるようにして尻が宙に浮き、もはや受け入れる体制だ。妙な形に捻じ曲げられた肩の付け根が痛み、肺が圧迫されそうな姿勢に息苦しさを覚える。視点が変わったことで、自分がソファに寝かされているのだと気が付いた。そして目の前の毛皮から飛び出した物を見付け、俺は青褪めた。目の色を変え、狂ったドーベルマンが俺に乗りあげてくる。
「違う、俺は雌でも犬でもない……やめろ、それだけはやめてくれ……」
 人間の物とは全く異なる赤黒い生殖器を、何度も内腿へ擦りつける獣。相変わらずハッハッと絶え間ない息遣いを繰り返し、長く垂れさがった舌と、だらしなく開かれたままの大きな口から、ポタポタと涎が零れ落ちては、俺の顔を濡らしていった。跳ねのけようとしても、俺を雌犬と誤解し、発情しきった犬は、信じられないほど強い力で俺の胸に前足をかけ、何としても交尾を成功へ導くつもりのようだ。だが、肝心のペニスは場所を外してばかりで、一向に穴へ収まる気配がない。
 じれったい……ふと、そんなことを感じている自分に気が付き、ぞっとする。
 俺は今、何を考えた?
 そのときだ。白く華奢な手が横から伸びて、犬の性器に細い指が巻き付いた。
「何を……する気なんだ……」
 薬指と小指に長い飾り爪を付けた、女の様なその手が、今や最大限に勃起した獣の性器の、滑って尖った先端を、俺のあの場所へ宛がい、性交を促そうとする。
「やめろ……うわあああああああああっ…………!」
 次の瞬間とてつもない衝撃が俺を襲っていた。一気に交わりを深めてきたドーベルマンは、浮いた後ろ足でもどかしそうに宙を掻きながら、猛烈なスピードで腰を打ちつけてくる。

 嘘だろ……いくらなんでも、こんなこと……犬なんかと、俺は……。

 己の身に降りかかった出来事が信じられず、けっして信じたくはなく、あたかも現実から逃避するようにきつく目を閉じる。
 ハッハッと短く繰り返される荒い呼吸と、今や猛烈に押し寄せてくる獣の臭気。何よりも、凄まじい勢いで打ちつけられる腰の衝撃のせいで、その度に刺激されてしまう前立腺が引き起こす止めようもない快感が、俺に真実を突きつけた……。
「う……あんっ……や、やめっ……んあああっ……い……いいい…………」
 必死に歯を食いしばっていた口元は次第に緩み、耳が捉えたのは、俄かに自分のものだとは信じがたい、はしたない程の喘ぎ声だった。俺は行為で紛れもない快楽を得ていたのだ。
 手足の神経が痺れ、腰がゾクリと蠢くような感覚と、麻薬の様な酩酊感に酔いしれる。たまらず尻を動かし、一層深い繋がりを求めて、わが身を貫く雄をさらに欲する。
「んん……いい……そこ、ああ……もっと……」

 ピエール……。

 身体じゅうで吹き荒れる、底知れぬほどの快感という嵐に翻弄されて、俺の名を呼ぶ甘くせつない響きを聞いた。明らかに幻聴でしかないその声に突き動かされ、胸が締め付けられるような思いを抱えて、目の前の男に縋りつこうとするが、叶うはずもない。

 アドルフ……、ああ、アドルフ……・。

 お前を抱きしめたいのに。
 大きな背中へ両腕を回そうとした俺は、しかし自分が拘束されていることを思い出し、即座に諦めざるをえなかった。それでも、どうにかに相手に気持ちを伝えたくて、咄嗟に受け止めている場所を、強く何度か絞めつける。そうすることで、相手を刺激すると同時に、より一層質量を増した男の太さや熱さを、己も存分に味わった。

 凄い……たまらない……。

 内側から押し寄せてくる快感の深さで、頭の芯がぼんやりとし始め、思考が白濁としていった。もはや何も考えられず、俺が同じことを繰り返すたび、男の物がさらに大きくなっていくような気さえして、貪欲に悦楽だけを追い求める。
 そして。
「クゥン……!」
 荒い息遣いの間に、そんな犬のせつない鳴き声が鼓膜に届き、俺は弾かれたように目を開く。そして再び稼働を始めた理性が、残酷な現実を確認した。自分が今交わっている相手が、獣であるのだと……。よりにもよって、このような動物と思いを寄せる男を間違えて、俺は……っ!
 己を恥じいり、憤り、絶望し、そして強く軽蔑した。
 再び犬が、喉を鳴らしながら、今度は短く吠えた。次の瞬間、俺に腹を重ねている獣は、腰の律動をピタリと止めてしまい、続いて腹の中へ熱い迸りが満たされていく。
「う…………うそ、だろ……!?」
 犬が俺に射精を始めたのだ。どんどんと熱を持ち始める下腹部……それらは本来であれば雌犬を孕ませ、彼らの仔を為すべき行為。

 止めろ、放してくれ……俺はお前らの雌じゃない!

 心ではそう叫びたいのに、俺の口から零れ続けるのは、呆けた喘ぎでしかない。やるせないような気持ちの中で、同時に内部で起こっている異変にも気が付く。接合部分の窄まりに、内側から急激な圧力がかかり始めていた。
「よ……よせっ……痛いっ、切れるっ……!」
 いつのまにか根元がボール状に膨らんでいた犬の性器は、しっかりと俺の中へ全てが収められており、押し返そうとも、暴れようとも、もはや抜ける様子がない。
 どうすればいいのか。
 もがけばもがくほど、柔らかい人間の皮膚に圧し掛かった犬の前足は、鋭い爪を食いこませ、引っ掻き、その度に毛細血管が血を流す。相手はドーベルマンだ。下手に強く抵抗すれば、今度は大きな顎と鋭い牙が、深々と俺を傷つけ肉を食らおうとするだろう。そうなると、命の保証すらない。
 いつの間にか俺の手足は拘束を解かれていて、マルセルやルイの姿はおろか、俺に犬と交尾を強いたアンシーもどこかへ行ってしまったようだ。中華風のこの広く大きな部屋にいるのは、目の前の獣と俺だけ。なのに、もはや抵抗する気力も失っていた俺は、彼の雌を征服して満足げな犬に組み敷かれたままだ。
「畜生……畜生……」
 いつまでも注ぎ込まれる精液と、逆流を許さない接合部の塊。獣の子種で腹がどんどん満たされていくのを、止める術もなく受け止め続けた俺は、終わりのない狂った快楽という地獄に浸り、いつしか意識を手放した。



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