バックス・ロウ作業部隊はざっと6人ばかりで編成されている、オールド・モンタギュー救貧院の宿泊者たちだった。
年齢は、さきほどアバラインがブラシを取り上げた少年、アザミ・ジョーンズが一番若く、上はというと、魚屋の夫と死に別れた、快活なペパーミント夫人が63歳で最高齢だ。
性別の割合は、男が2人で女が4人。
明け方まで仕事をして戻ってきた途端に、また連れ出されたのだと言ったきり、疲れた顔をして黙りこくっている中年の男もいれば、20代の頃に海兵隊員とロマンスに落ちたという、当時の甘ったるい夢を見ながら休んでいたところを叩き起こされたと怒って、なぜか夢のあらすじを語り始めたペパーミント夫人のような者もいる。
「まったく、こんな時間は牛だって寝てるっていうのに、酷い話だよ。・・・それでさ、当時あたしはドックの辺りじゃ、ジェシカ・スウィーティーって呼ばれていてね・・・」
さきほどから大きな声でまくし立てているペパーミント夫人の、長い夢の話は、2度の中断を交えながら、結局、救貧院の玄関前まで続いた。
ほかの者はというと、皆一様に気力が感じられず、足を進めることで精一杯というように見える。
俺の足へ水をかけてくれた中年男も、欠伸ぐらいしか声を発していない。
2度目の中断中のこと。
「君はいつから救貧院へ?」
俺は隣をずっと歩いていたアザミに話を振ってみた。
「今日です」
「家族は?」
「ドーセット・ストリートに・・・でも、今日は戻るわけにいかなくて」
そう言うとアザミは俯いて、俺より少しだけ前を歩きだした。
あまり言いたくない話なのかもしれないので、俺もそれ以上は聞かないことにした。
17歳の少年が救貧院にいるからといって、それ自体は大して珍しいことでもない。
このホワイトチャペルには、彼よりも若い路上生活者が大勢いるし、それは俺が住んでいるベスナル・グリーンにしても同じだ。
大英帝国は我らがヴィクトリア女王陛下を中心に、今や世界一の栄華を誇っている先進国だが、輝ける光がそこにあれば、そのぶんだけ作り出される影も暗く深い。
救貧院へ到着し、彼らと別れると、施設員は送り届けた俺に礼の言葉を丁寧に述べつつ、明らかに迷惑そうな顔をして彼らを屋内へ迎え入れた。
ペパーミント夫人の夢はというと、アヘン戦争に向ったアーサー・トルーマン(海兵隊員)と死に分かれたジェシカ・スウィーティーは、彼のことを忘れられずに傷心を抱えて砂漠へ旅に出ることになった。
そして乗っていた2輪馬車が、突然、盗賊に襲われ、そこへ颯爽と駆け付けたのが、オリエンタルな黒髪を持つ神秘的な青年、サイードだ。
白馬に跨り、華麗な剣の捌きで30人もの大男を、たった一人で次々と追い払った彼の正体は、とあるアラブの国の王子だった。
震えるジェシカ・スウィーティーを馬の背に引き上げると、サイードは彼女を連れて城へ戻る。
そこでは1000人以上の召使を抱える、煌びやかな宮殿生活が待っていた。
間もなくサイードに求婚されるジェシカ・スウィーティーだが、彼女はどうしてもアーサー・トルーマンが忘れられない。
結局二人は別れ、彼女は単身英国へ戻ってゆく・・・というところで、第1幕は終了。
第2幕はまた来週とのことである。
・・・ということは、来週もオールド・モンタギュー救貧院を訪問しなくてはならないのだろうか。
現場へ戻り、明かりが漏れている倉庫へ入る。
リース・ラルフ・ルウェリン医師は、この界隈の開業医ということで、彼もまた寝ているところをニールに叩き起こされたらしい。
それでもすぐに、黒鞄を持って駆けつけてくれた真面目なルウェリンだったが、仮の検死を終えて、汲み水で手を洗っている彼は、俺たちへ不機嫌を隠そうともしなかった。
寝台に横たわる女を見て、俺は自分の目を疑う。
首に深々と刻まれたナイフの傷は、犯人のあからさまな殺意を物語っているようだ。
さらに悪いのは、医学の専門知識がない俺の目から見ても、それがなんの迷いもなく付けられたものだと、わかってしまったこと。
俺はそれだけで、ただならぬ戦慄を感じていた。
「見てみるかね」
不意に声をかけられ、ルウェリンは被害者の躰を覆っていたシーツの端を摘みあげる。
「っ・・・・・!」
このような状態の被害者を、俺は今まで見たことがなかった。
「左脇の傷は肋骨の下部から骨盤近くにまで達している。右脇にも下向きに何箇所か。性器にも突き傷があったよ。凶器はおそらく、15センチから20センチほどの鋭利なナイフ。たとえばコルク職人や靴職人が使うようなものだろうな。まったく悪魔の仕業だ。・・・やれやれ、こんなもんでいいかい、アバライン警部補? 私はもう帰らせてもらうよ」
「先生」
シーツを捲りあげたままにして足元の鞄を持ち、出口へ向かおうとするルウェリンの背中へ、アバラインが静かに呼びかけた。
「まだ何か?」
医師は立ち止まり振り返る。
「検死審問は明日の午後ですので、どうかよろしくお願いします」
「そんなことは、わかっておるよ・・・!」
ヒステリックにそう言った医師は、しかしそのまま暫く立ち止まっていた。
「ルウェリン先生?」
「いや・・・・、これは個人的な意見なんだが」
どうかしたのかと問いかけた俺に、迷いのある表情で一瞬だけ目を合わせたルウェリンは、すぐに足元へ視線を落とし、重い口調でこう続ける。
「こいつは間違いなく楽しんでいるよ」
一瞬、俺には何のことかわからなかった。
「殺人を?」
医師が省略した目的語を、アバラインが捕捉しながら確認した。
「解体を、だ」
低い声でそう言い残すと、ルウェリンは今度こそ帰っていった。

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