「あのな、先に行っておくが・・・本当に汚いぞ」
勢いでアザミを連れて帰ったはいいが、馬車に乗っている間に、現在の部屋の状況をどんどんと思い出し、俺は前もって彼に警告をしておくことにした。
「大丈夫ですよ。僕は救貧院で生活していたこともあるんですから」
天使のような顔でアザミは微笑んだ。
「いや、それでもな・・・そういうのとは、また別な汚さで、色々と散らかっているから」
最後に掃除したのは、何日前だっただろうかと考え始め、そのとき暖炉に火が入っていたことまで思い出し、俺はこのままアザミを連れて入ることの危険性に、漸く気が付いていた。
「だったら、僕が片付けますから任せてください。うちではいつも、掃除は僕の仕事でしたし、短い期間でしたが、『マダム・マギーの家』では、プロの技術も仕込まれましたから」
「いや、余計なことは考えなくても構わないから・・・その、済まないがここで少しだけ待っていてくれないか、ちょっとだけ整理してくるから」
玄関口にアザミを立たせておいて、一人だけ部屋へ入る。
覚悟はしていたが、こうしてみると、本当に酷い有様だった。
いや、酷いなんでものじゃない。
足の踏み場がないという形容が、可愛らしく思えてくるほどの散らかりようだ。
「おいおい、俺は一体夕べ、どこで寝たっていうんだ・・・」
ベッドに放り出されていたスーツは、確かに昨日来ていた気がするが、それ以外にも灰皿や新聞、特定のページが開かれたままの雑誌、タオルに片方だけの靴などが載っていて、毛布は肩身が狭そうに壁際で丸まっており、皺くちゃになったシーツはだらしなく床に半分ずり落ちていた。
カーペットの上には丸めたシャツやスラックスが落ちており、雑誌や小説、チェス盤、クリケットのバットなどの間に、下着や靴下が点在している・・・・このうちの何枚かは洗濯済みなのだが、どれだったか思い出せない。
俺はベッドの上の雑誌を取り上げて、ため息を吐く。
「こういうモンがあるから、迂闊に女を呼べないんだよな・・・」
全裸の女がベッドに寝そべっている、写実的なイラストが描かれたページを見て、俺は雑誌を閉じる。
この雑誌はこういう絵が必ず載っているから、この1年以上毎週欠かさずに購入していた。
愛読者の独身男性は、絶対に俺一人ではない筈だ。
「そうですよね、この雑誌は確かに女の人には見せられないかも」
「だろ。だから、絵だけ切り取って、絶対に見つからない場所で別に保管して、雑誌は適当に処分・・・って、うわっ、アザミなんで入ってきて・・・」
「あ、すいません・・・あの、大家さんが、良かったらどうぞって、これを持って来られたもので・・・、ここ女の人が大家さんなんですね。いきなりあれこれ訊かれて、ちょっとおっかないかなって、びっくりしましたけど・・・でも、わざわざお夕飯持ってきてくれるっていうことは、本当は良い人なんですよね、きっと。・・・ここに置いていいですか? ああ、でも食べ物を直に床に置いちゃ不味いですよね。ええと・・・あった、机はそっちですね」
「お、おい、駄目だって、そっちは危険・・・!」
恐らくは、二人分のサンドウィッチが詰まっているバスケットを抱えて、アザミがちょこちょこと、キッチンへ入って行こうとする。
俺は慌てて彼を止めようとしたが、遅かった。
「あ・・・ええと・・・」
アザミの前に躍り出ると、机に広げてある肌色展覧会状態の、雑誌の切り抜きと、過去の作品が保管してあるクッキーの缶・・・、思えばこのクッキーも、未亡人の大家、アンジェラ・ゴードウィンが持ってきてくれた、蜜蜂印でおなじみの、クローバー・ハーツ社から出ているアソート缶だった。
蜂蜜をたっぷりと生地に練り込んであるから、どれも凄く美味しかったという記憶がある。
気が利くのはとてもありがたいのだが、何かと理由を付けては部屋へ上がろうとするから、ここの大家はちょっと油断がならない。
それはともかく・・・、運が悪いことに、このクローバー・ハーツも蓋を開けっ放しにしてあったものだから、中身が丸見えだった。
それらを纏めて抱えると、俺はまっすぐにゴミ箱へ向かった。
ゴミ箱の前で立ち止まる。
捨てるべきだ。
それはわかっているのだが・・・。
「これ、落としましたよ」
ご丁寧に、落とした一枚を床から拾い上げて、アザミが傍まで持ってきてくれた。
それは局部も顕わに長椅子へ脚を広げて座っている女の絵だ・・・しかも、東洋人のモデルだった。
女の顔が、アザミと重なって見えてしまう。
俺は手にしていた絵と、缶の中身をゴミ箱へゴッソリぶちまけると、アザミから受け取った切り抜きも一緒に放り込み、その上へ缶を逆さに置いて見えないように蓋をした。
「み・・・見苦しいもん、見せたな」
「いいえ・・・でも、捨てちゃっていいんですか? 大事なものだったんじゃ・・・」
「大事なわけがないだろうが、あんなもん。いいんだよ」
さらば俺の可愛い恋人達・・・。
その後、とりあえず人が住める環境を作るべく、大掃除をすることになった。
「これ、どこに置いたらいいですか?」
すぐに手伝い始めたアザミが、気になる物品を見つけるたびに、丁寧に手を止めて、俺に確認をしてくれる。
「捨てちまってくれ」
「わかりました」
それ以外は実に手際よく、部屋のいろいろな場所を片付けていた。
なるほど、掃除が得意というのは、本当だったようだ。
民族衣装の大きな袖を、背中でクロスさせている細い紐で留めたアザミが、その後も次々に見つかったヌードイラストを1箇所へ纏めている。
彼の中で俺の株は、どのあたりまで暴落してしまったのだろうか。
一通り見られる程度に部屋を片付け終わり、ゴミを纏めた袋を縛って時計を見る。
既に8時を回っていた。
「腹が減ったぜ・・・そうだ、サンドウィッチあるんだったな」
ふと窓の外を見る。
アバラインは今頃どうしているのだろうか・・・。
結果的に俺は現場を放棄し、私的な感情で重要参考人を連れ出して、仕事をサボってしまったことになる。
こんなことは、初めてだった。
「僕、お茶淹れますね・・・ええと、缶はこれかな」
台所ではアザミが食器棚を探り、食事の準備を始めてくれていた。
不意にたまらない気持ちになる。
「アザミ・・・」
「はい・・・えっ・・・」
背後から忍び寄り、小さなその躰を抱きしめた。
首筋に顔を埋めて、なめらかなその肌に口唇を押しつけると、ビクリと躰を振るわせて、敏感な反応が返ってくる。
「よくも俺の大事な宝物を、一つ残らず処分してくれたな」
「えっ・・・あ、でもそれは・・・やっあぁ・・・」
今度は耳朶を口に含み、舌先で舐めながら、着物の分け目を右手で探る。
もはや一刻も早く、アザミを裸にしたかった。
「あれが何のために置いてあった物か、お前だって男ならわからない筈はないだろう?」
つい先ほど彼に処分してくれと言い、自分でもゴミ箱へ捨てたばかりなのに、これは酷い言いがかりだったが、今の俺はまともな思考ができないほど、理性が萎縮し、本能が剥き出しになっている。
「ですから、その絵はちゃんと・・・や、・・・そこは・・・だめ・・・」
どうやらアザミは耳が弱いらしく、攻めるぶんだけ、反応が面白いぐらいに返ってきた。
首筋はピンク色に染まり、褐色の瞳を潤ませながら、目を細めて、そこから一筋の涙がこぼれ落ちる。
悲しみの為ではなく、官能による物だ。
アザミも感じているのである。
こうなっては、もう抑えなど効くはずはなく、その必要もない。
俺はアザミを引っ張り、寝室へ連れて行くと、今しがた彼が綺麗に片付けてくれたその場所へ、背中から押し倒した。
「クソっ・・・このドレスは一体どうなっているんだ!」
「あ・・・あの・・・それは・・・ちょ・・・ちょっと待っ・・・」
無理矢理裾を捲り上げて、脚を顕わにする。
変わった形の小さな靴下を履き、立てた膝頭を合わせている白い脚もまた、少女のものにしか見えなかった。
力を入れて膝を割り開き、内股に舌を這わせると、アザミは仰け反りながら、声を出し始める。
ベルトの下が苦しくなってきた。
もう少し奥が見たかったが、ややこしい衣裳は重ね着になっていて、合わせ目は深く、膝から上が殆ど見えない。
やたらと大きな布で出来ている、ベルトの内側から着物を引きずり出して、どうにか下だけでも脱がせられないものかと苦戦していると。
「あ・・・えっと・・・」
手の甲に、アザミの掌が置かれた。
漸く我に返る。
ベッドに横たわり、潤んだ瞳で俺を見つめ返している、小さな少年。
長い黒髪がシーツの上で乱れ、可愛らしいリボンは解けて、一つは何時の間にかどこかへ消えていた。
滑らかな首筋の皮膚に付けられた、痛々しい鬱血は、俺が今し方残した物だ。
不意にドアがノックされる。
来客を良いことに、いたたまれず俺は立ち上がり、玄関へ逃げた。
「すいません、巡査部長。アバライン警部補が・・・・・・って、ああっ、ごめんなさいっ!」
ニールだった。
彼は図々しくも、一旦玄関から入ってこようとしていたが、部屋の奥に何かを見つけて、真っ赤になり、背中を向けてしまった。
どうやらアバラインの命令で、俺を迎えに来たらしい。
まあ、考えたら当然だろう。
そろそろ仕事へ戻らないといけない。
「わかった、すぐ行くから、ちょっとだけ待っててくれ」
「あ、あの・・・下で待っています。お先に、失礼します!」
慌ただしくニールが階段へ向かう。
玄関を閉めて、寝室へ戻ると、着乱れたままのアザミが部屋の真ん中でぽつんと立っていた。
恐らくはこの姿を、ニールへ見せつけていたのだろうかと思うと、腹立たしいことこの上ない。
後で、絶対に奴の顔を一発殴っておこうと思う。
「お仕事、なんですよね・・・」
「ああ。帰りは多分遅くなる・・・その、アザミ・・・さっきは・・」
「気をつけて、行ってらしてください。僕、何か作って待っていますね。サンドウィッチだけじゃ物足りないでしょう」
「アザミ・・」
俺がしようとしたことを、わかっていない筈はなかった。
それを責めることもなく、アザミは笑って許してくれようとしたのだ。
愛しい。
「あの・・・刑事さん?」
「ジョージでいい」
「・・・・ジョージ・・・あ・・・」
初めて俺の名前を呼んでくれたその口唇を、己のもので塞いだ。

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