フラットを出た俺は、玄関前に停められている4輪馬車を見つけるなり、拳を握りしめた。
律儀に馬車の前で直立不動の姿勢を保ちながら、俺を待っていた制服警官を目指し、歩幅を広く取る。
「おい、ジョン! さっきはよくも、いいところで邪魔してくれやがったな!」
大声で怒鳴ってやると、ニールはさっと顔色を変えて慌てだす。
「あ、あの・・・巡査部長、先ほどは申し訳ありませんでした・・・ですが、その・・・」
掌を広げてあたふたと俺に近づいてくるニールの、胸ぐらを掴み、今度は凄んで見せた。
「てめぇ、アザミのセミヌード、ちゃっかり見ただろ、なあ!?」
もっとも、こちらは冗談半分なので、顔は笑っていた筈なのだが。
「あ、あれは事故のようなものでして、僕はそんなつもりでは、けして・・・」
「やっぱり見たんじゃねぇか! こら、一発殴らせろ!」
拳を握りしめて、構える振りをする。
「すいません! 謝りますから、どうか今は・・・」
「謝って済むか、記憶を刮ぎ落とせ!」
「刮ぎ落とします・・・、言われた通りにしますから、ですから、今は、もうその話は・・・」
どうやって刮ぎ落とすつもりなのかと、突っ込みたいところだったが、それにしてもあまりにニールの反応が怯えきっているので、俺は漸く不信に思った。
「ところで、お前さっきから何をそんなに・・・」
突然、目の前に停まっている馬車の扉が、大きく開く。
一瞬で心臓が凍てついた。
「いつまで待たせるつもりだ」
「・・・・・・・・・」
暗闇でさえ冷たく光る、ヘイゼルの瞳に射すくめられて、血流が氷河と化した気がした。
「ですから、今はその話は止してくださいと・・・・さっきから僕は・・・」
警部補がいるなら、最初にそう言え、馬鹿者!
・・・と、俺は心でニールに怒鳴り散らした。
そして最初は冗談で済ませるつもりだったが、署へ戻ったあとで、ニールを思う存分殴ろうと決めてから馬車へ乗り込んだ。
アバラインが奥へ移動してくれて、空いた隣のスペースへ腰を下ろす。
御者が馬を出し、一路ホワイトチャペルへ向かった。
「急かして悪かったな」
何の感情も籠もっていないような声が、隣でそう言った。
「いえ・・・。すいません、その・・・勝手に帰ってしまって・・・」
どう考えても、今度こそ始末書は免れないだろう。
「それは構わない。アザミ・ジョーンズをお前に保護させたのは俺だ。彼は無事か?」
「はい、特に怪我はしていないようですし、体調も悪くはないみたいです」
俺が怪我をさせるところではあったのだが。
「それは何よりだ」
「あの・・・警視へは、その・・・」
周辺の聞き込みへ行ったと伝える・・・アバラインはそう言って、俺の勝手を許してくれていた。
「心配はいらない。アザミの件も、たまたま付近を通りかかった少女が、裏庭で怪我をしたのを発見したために、お前が病院へ連れて行ったと伝えてある。彼の名前は一切出ていない」
「そうですか・・・・」
安心した。
同時にアバラインのきめ細やかな気遣いに、心の底から感謝した。
「・・・・暫く、匿うつもりなのか」
「え・・・?」
思いがけない質問だった。
「アザミ・ジョーンズは元々、救貧院にいただろう。帰る場所などない筈だ。・・・だとしたら・・・お前の性格を考えたら、そうとしか・・・」
「そのつもりです」
「・・・彼と一緒に、暮らすんだな」
アバラインの声が、せつなそうに聞こえた。
先ほどから、ずっと窓へ向けられたままの横顔。
美しいシルエットは、やや後ろ向きに見えており、ヘイゼルの瞳を見ることはできなかったが、その目が潤んでいるような気がしていた。
(第2部・了)
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