『ゴドリー巡査部長の事件簿〜バックス・ロウ殺人事件〜』
・・・ ・・・ 第3部 ・・・ ・・・ 署へ戻ってみると、既に『イエロー・ローズ』の店主、エイドリアン・グラントが、少女達を違法に売春させていたことを認めていた。
雇われていた少女達は、いずれも12歳から16歳までの、英語を殆ど話せない外国人ばかりである。
労働力供給過多のイーストエンドにおいて、まともな就職口が見つからない彼女達と、表向きの雑貨店経営において雇用契約を結び、殆どが住所不定である少女達へ衣食住も提供してやる代わりに、売春行為をさせていたようである。
主にサービスが提供されていた場所は、最初にコマーシャル・ストリート署が踏み込んだ、東洋趣味に溢れる部屋のみであり、俺があとから踏み込んだ部屋は、驚くべき事に少女達の居住空間だった。
確認をしただけでも、アザミを含んで7人いた彼女達は、全員があの場所へ押し込まれて衣食住を共にしていたのである。
プライバシーも何も、あったものではない。
その他、表向きの店舗である雑貨店と厨房の、合計4室が『イエロー・ローズ』の店主、エイドリアン・グラントが、ビルの所有者と契約を結ぶ賃貸不動産の全てだった。
下世話な話になるが、『イエロー・ローズ』で少女達を買った客は、あの部屋で楽しむか、もう少しゆっくりと少女を独占したい場合は、余分に料金を払って彼女達を店から連れ出すしかないということになる。
確かに、中年の域にいるような街娼と、路地の片隅で慌ただしく用を済ませるよりは、幾らかましなのかもしれないが、その条件で料金は、ウェストエンドの高級娼家並の金額を請求されるのだ。
顧客名簿には、有名な企業の役員や政治家、あるいは、わりと大きな個人商店のオーナーといった人ばかりが、名前を連ねているのも、当然かもしれない。
クリーヴランド・ストリート19番地の男娼館にしてもそうだが、世の中には、己の性的嗜好を満足させるために、金に糸目を付けない人種がいる。
そして魚心あれば水心で、彼らの欲求に答えるためのサービスを、しっかりと用意してくる、金儲けが上手い連中がいるのだ。
一方で、衣食住すらままならない貧しい異国の少女達が、不当な条件で彼らに酷使されている現実を、俺たちが見逃すべきではない。
しかし、そのような過酷である仕事すらも奪われて、住む場所も収入源も失った彼女達が、再び路上へ放り出されて、これからどうやって生きていくだろうか。
法の下に違法業者を摘発したとしても、被害者である少女達に対して、警察はそこまでの責任を負うことができない。
グラントの店へ商品を卸していた、支那人の仲介人から、俺は調書を取り終えた。
刑事課へ戻ってみると、どうやら取り調べが必要な関係者は、その男が最後だったとわかった。
支那人卸業者のラオ・ヤンミンは、雑貨屋としての『イエロー・ローズ』へ、鍋や皿、花瓶などといった生活雑貨を卸していたが、追求しているうちに、売春宿の存在を知っているばかりか、あの部屋にあった高級絨毯や珍しい東洋の彫り物、上質な香炉、果ては少女達が身に付けていた、日本の着物に至るまで、ほとんどの小物類を納入いたのが、この男だと判明した。
つまり、『イエロー・ローズ』の東洋趣味を演出していた、影の功労者が、このラオだったということである。
時計を見ると、12時近かった。
刑事課に残っている職員は、長椅子で仮眠中の当直の刑事と、任意で残っているもう一人だけで、あとは全員、既に帰ったようである。
アバラインの姿も見えない。
「お疲れ」
居残って、溜め込んでいる報告書を書いていた刑事に挨拶をして、俺も署を後にする。
アザミの存在については、どういうわけか誰も認知していないようだった。
警察側から名前が出てこない理由については、アバラインと俺の嘘が、現状まかり通っているせいだとしても、『イエロー・ローズ』側からも出てこなかったのだから、奇妙である。
「アザミが男である事は、当然グラントも承知している筈だろう。そうなると、男性客と性行為をさせるために彼を雇用したことが立証されてしまえば、グラントも余計な罪状を負うことになる。隠せるものなら隠したいんじゃないか?」
ベスナル・グリーンから署へ戻る馬車の中で、アバラインはこのように状況を推察していた。
「けれど、少女達や、他の従業員は、事情が異なるんじゃないですか。誰かの口から、アザミの名前が出でいても、良さそうなものなのに・・・」
「ちなみに、詳細が不明な東洋人が一名いる。その子はメイ・ユンファという名前の15歳の少女で、本日より勤務開始の予定だったが、出勤時刻を過ぎても店へ来なかったそうだ。ここからは俺の勝手な考えだが・・・・実際には『イエロー・ローズ』で働いてもいない、名前も年齢も嘘であるこの東洋人について、誰かが徹底的に調べ上げようという気まぐれを起こさない限り、アザミと『イエロー・ローズ』の関係性にまでは辿り着かないのではないか思う」
何の感情も籠もらない声で、アバラインはそう言うと、窓の外へ視線を移し、その後は署へ到着するまで、お互い会話はなかった。
つまり、『イエロー・ローズ』に関して言えば、アザミは殆ど事件とは無関係であり、俺が心配するほど、法的にアザミが危機的状況に晒されているというわけではないということだ。
だからといって、現場にいた関係者を、刑事である俺が勝手に連れだし匿った事実が、隠し通せるものではないだろうし、正当化するつもりもない。
いずれ追求されるときが来れば、甘んじて処分を受けるつもりだった。
巻き込んでしまったアバラインには、本当に申し訳ないと思っている。
ところで警察が踏み込んだ、本来の容疑である人身売買についてだが、これに関してグラントは否認している。
店舗やグラントの自宅から容疑を裏付けるような物証も出てきておらず、現状では人身売買で立件できる見込みがない。