ハンバリー・ストリート29番地からブリック・レーンに向けて、ほんの数メートル歩いたところで、再び足が止まる。
「親の因果が子に報い、かわいそうなのはこの子でござい〜」
舞台慣れでもしているのだろうか。
やけに芝居がかった口調の呼び込み文句が聞こえてきた場所は、例の人形店の隣にある空き地。
一見したところ子供に見える、身長1メートルにも満たない男は、立派なタキシードに身を包み、通りを行きかう人々を空き地の奥へと引き込んでいた。
「さあさあ、御代は見てのお帰りだよ〜。入った、入った!」
住所で言えば24番地にあたるこの場所の所有者は建設会社になっているが、とくに届出のある営業施設は何もない。
タキシードの小人に誘われ、労働者風の二人連れが入っていくその先には、建設会社が管理しているのであろう、木材や煉瓦の山・・・その奥に、不気味なテントが二つ建てられていた。
一軒は、どうやらお化け屋敷。
ミイラ男や吸血鬼の、おどろおどろしい看板が立ててある。
労働者たちが入っていったのは、もう一軒のほう。
そちらには、胸も露な髪の長い女が、蛇になっている下半身でとぐろを巻き、誘いかけるような微笑を浮かべてこちらを見ていた。
その下に、『Lily’s Show』と書いてある。
リリーというのは、絵の女の名前だろうか。
「無許可営業の見世物小屋のようだな」
通りに戻った小人を見送り、アバラインが言った。
「そのようですね。やめさせましょう」
再び始まった呼び込みを、まずは止めるべく、俺も通りへ戻ろうとする。
その矢先、またしても上司に手首を握られてしまった。
「まあ待て」
「これも・・・見逃すんですか?」
捕んできた手を振り切らずに、少し呆れながらアバラインを振り返る。
建設会社や近隣住民から苦情が出ているというのであればともかく、確かにあまり喧しく取り締まるのもどうかと思われる。
警察が違法営業行為に対して見て見ぬふりは、よくないことだが、上司が放っておけというのなら従わざるを得ないだろう。
考えてみれば、ここで偉そうに踏み込んだところで、刑事の癖にこんなつまらない取り締まりをしている暇があるなら、とっとと殺人犯を捕まえろと、却ってクレームを誘い込むのがオチかも知れない。
そんなことを、ぐるぐる考えていると。
「どうせだから、入ってみよう」
上司の提案に、俺は耳を疑った。
「今なんと仰い・・・って、ちょっと!?」
アバラインが俺を抜かして、さっさとテントへ向かう。
俺は慌てて後を追いかけた。
「入り口はここでいいようだな・・・ほう、いろいろあるぞ。最初は巨人のショーだ。呼び込みは小人だったのに、中には大男もいるらしい。蛇女は最後みたいだ」
あっという間に入ってしまったアバラインが、列に並びながら首を伸ばして前方を覗き込み、通路の間仕切りに張りつけてある、ラインナップの張り紙を見て、無邪気に騒ぎ始めた。
日頃は冷静な上司の、意外な側面を見せ付けられて、今更ひきかえせとは言い出しにくくなる。
だが、あまり期待をしすぎるのも考えものだ。
見世物小屋というものには大抵カラクリがあって、見終わった後でがっかりさせられることの方が多い。
代金後払いといいつつも、出口には屈強な男たちが立っていて、ほぼ強制的に鑑賞代を徴収される。
入り口にあった蛇女のような、色っぽい看板の絵に誘われて入ってみると、結局出てきたのは老女だったり、蛇のゴム人形だったりというような、詐欺紛いは珍しくない。
「蛇女なんていませんって。・・・水を差すようですが、大抵こういうところは、客を馬鹿にしたような仕掛けを・・・」
どうやら見世物小屋初心者らしいアバラインが、あとから落胆しないように、経験者の立場から解説していると。
「ようこそいらっしゃいました! 最初にお見せいたしますのは、世にも恐ろしい巨大な男。アルビオンかはたまたゴリアテの末裔か・・・」
俺の言葉をかき消すような大声を張りあげて、ステージに出てきた男が賑やかに演説を始めた。
丸顔に人懐こい笑顔を浮かべたタキシード姿の彼は、見世物小屋の司会者のようだった。
男は手に持った小槌でときおり小さな台を叩いて観客の注意を引きながら、芝居がかった調子で出演者を紹介していく。
「相変わらずの名演説だな」
どこか懐かしそうな調子で、アバラインがそう呟いた。
「ひょっとして・・・お知り合いですか?」
「まあ、ちょっとな」
それならば、アバラインの気紛れも納得がいく。
「トミー、ゴリアテはいいから、とっととリリーを出してくれよ!」
隣にいた労働者風の男が、ステージへ野次を飛ばした。
リリーというのは、入り口にあった看板の蛇女のことだろう。
男に続けとばかりに、同じような声が数箇所からあがる。
「旦那方、そう仰らずに。可哀相にステージの袖で、ジェイソンが拗ねちまってますよ・・・、まあまあ」
司会のトミーが野次を無視することなく冗談で返し、ステージの横を振り向いて、誰かを宥めるような仕草をすると、途端に客席が笑いに包まれた。
客席が和んだところで、いよいよショーがスタートする。
「とりあえず、老女やゴム人形の線は消えたな」
「なんのことだ?」
蛇女が若い女でなければ、おそらくは殆どが常連らしいここの観客たちも、あのようにリリーへ期待はしないだろう。
隣で不思議そうに首をかしげているアバラインへ、俺が笑って誤魔化していると、ステージへ大男のジェイソンが丸太を抱えながら、のっしのっしと登場した。
どうやら大男の見世物は、いわゆる怪力ショーだったようだ。
登場前から観客より侮辱を受けていたジェイソンは、鬱憤を晴らすためか、或いは悔しさから来る破れかぶれかはわからないが、投げ飛ばした丸太で、テントの一部を派手に引き裂くハプニングが起きてしまい、司会のトミーを慌てさせた。
しかし結果的に観客は大いに盛り上がり、ジェイソンには盛大な拍手と歓声が送られ、本人も誇らしげな様子だった。
続いて登場したのは、腰で繋がったシャム双生児の少女たち。
愛らしい揃いのワンピースを着た彼女達は、ステージで簡単なトランプ手品を見せてくれた。
その後は、体の左右が男と女に分かれている人間、足が4本ある男、髭がある女などが次々と出てきて、ブラックユーモアたっぷりの社会風刺芝居を見せてくれる。
こうなってくると、或いは・・・という気がしないでもないが、その考えを即座に自分で否定する。
世の中に彼らのような畸形が存在していることは確かだが、いくらなんでも蛇女はありえない。
蛇のゴム人形から顔を突き出しているだけなのか、そうでなければ照明効果で錯覚を狙うつもりなのか・・・結局はそんなところで、誤魔化されるのだろう。
それでも観客たちから、あれほどの支持を受けているのだ。
最低限、あの看板に負けないぐらいの美女が出てくることは、期待していい筈だ。
或いは・・・あの絵のような、豊満な乳房を露にして・・・。
呼び込みをしていた小人の軽業が終わると、再三ステージへ現れていた司会の男が、次のショーを紹介する。
「好きで食べるのか、心の病で食べなきゃならぬのか・・・」
トミーがナレーションを始めたとたんに、観客たちから盛大な歓声が沸き起こった。
おそらくはショーの決まり文句だったのだろうが、その言葉に俺は疑問を覚える。
「食べる・・・? いったい何を食べるんだ?」
「待ってました、リリーちゃん!」
アバラインの隣にいる労働者が、口の周りを両手で囲いながら、まだ出てきていない最後の演者へ熱い声援を送った。
「哀れな女は恋もしなけりゃ、情けも知らぬ。知らぬは幸か不幸か。本日最後の太夫、蛇女リリーの悪食ショーを、今からごらん頂きます」
司会がナレーションを締めると、髪の長い、赤いドレスを身にまとった若い女が、手に蓋つきの四角い籠を持ってステージ中央へ現れた。
「よっ、蛇女!」
「リリーちゃん、今日も綺麗だよ〜!」
テントでしかないこの小さな見世物小屋は、満員とはいえせいぜい50名足らずの客しか入っていないだろうか。
ステージに立っている女は、客席から見たところ20歳そこそこ。
身長はおよそ150センチ程度で、顔を薄気味悪そうに白く塗ってはいるものの、外見は看板の期待を裏切らない美少女だ。
胸こそドレスのレースで隠されており、看板の妖艶な蛇女とは違って、豊満な乳房とは言いがたいだろうが、一見すると愛らしいこの少女が、蛇女などという不気味な渾名をつけられるのだ。
果たして、どのような演技を見せてくれるのだろうかという、不思議な期待が沸いてくる。
「悪食・・・って言ったな」
司会のナレーションを今さら思い出し、不意に嫌な予感が頭を過ぎったころ。
リリーが手にしていた籠の蓋を開けて、華奢な右手を中へ突っ込む。
その手につかんでいたのは。
「ほう、やるな」
隣でアバラインが感心したような声を漏らした。
「蛇を・・・・手掴み、だと・・・?」
呆気にとられている間にも、リリーは右手首に蛇を絡みつかせたり、その尻尾を左手で掴んで、蛇の腹を舌先でじっくりと舐め上げたりしてみせる・・・その仕草がなんとも淫靡だ。
「リリー、俺のアナコンダも舐めてくれ!」
「アナコンダじゃなくて、ミミズの間違いだろう?」
常連客同士が大きな声で下品な冗談を飛ばしあって、観客たちがふたたび笑いに包まれた。
男ならば、所詮考えることは同じだったようだ。
こういうショーなら、人気が出るのも頷ける・・・そう思った矢先のこと。
リリーが蛇の首と胴の中ほどをぐっと握りしめ、細長い体を真一文字にして構えた次の瞬間、その腹あたりへいっきに噛み付いた・・・。
「な・・・何をした!?」
続いて奥歯でぎりぎりと噛み締めつつ、蛇の胴体を力任せに下へ引っ張り、とうとう哀れな爬虫類は腹から引き千切られてしまった。
「いいぞー、リリー!」
「蛇が真っ二つだ〜!」
常連客たちは、やんやの歓声をリリーへ浴びせる。
リリーは噛み千切った蛇の頭と体を彼らへ見せ付けるように、両手で掲げる。
腹からは生々しくも、赤黒く細い内臓がはみ出しており、細長い尻尾の先は、未だにちょろちょろと蠢いて、リリーの手首へ絡みつこうとしていた。
こういった現象は、言わば生命の神秘とでも言えたかも知れないが、俺は感動どころではなかった。
「き・・・気分が・・・」
ステージの上ではリリーが蛇の腹を指で押さえ、ぎゅうぎゅうと絞り出し、滴る血液を啜り始めている。
ここらが俺の限界だった。
堪え切れず口元を押さえて、すごすごと後ろへ退散する。
アバラインはというと、今や食い入るようにヘイゼルの熱い視線をステージへ向けていた。
残酷ショーへ夢中になっている上司へ声をかけるのも躊躇われ、とりあえず来た道を戻ってみるが、入り口だからここからは出られないと、屈強な兄貴たちに睨まれてしまう。
仕方なく、さらに取り立てが厳しそうな鑑賞料徴収係が立っているであろう、反対側の出口を目指すが、今度は混雑に止められた。
観客たちはというと、すっかりステージ上のリリーに魅せられているようで、無邪気にショーを楽しんでいる。
考えてみれば日曜の昼だ。
礼拝帰りの寄り道なのか、あるいはいつでも見世物小屋は、このように賑わっているものなのだろうか。
町では凶悪な殺人事件が起きていようと、日々の貧困に喘いでいようと、楽しむときには徹底して楽しむ。
もちろん外へ出てしまえば、厳しい現実が待っているが、生活の苦しさをいっとき忘れさせてくれる娯楽の提供は、俺が考えている以上に大切なのかもしれない。
最初に俺は、呼び込みをやめさせようとしたが、そうしていれば、ここにショーを楽しんでいる彼らはいなかった。
アバラインが止めたときは、警察へのクレームに繋がる可能性を嫌ったからだと、俺は考えたが、案外、本当の理由は別のところにあったのだろうか。
もっとも、人前で蛇を食いちぎる行為は、悪趣味以外の何ものでもないが。
客席の後方で立ち往生している間に、大きな拍手と、司会の挨拶が聞こえてきた。
どうやらすべての演目が終了したらしい。
全体でせいぜい30分程度だっただろうか。
群集が出口へ動きだし、俺も料金を支払い、彼らに続いてテントを出る。
「ジョージ」
少し後ろを歩いて来たアバラインが、外で声をかけてきた。
「すいません、勝手に動いちゃって。どうもああいうのは・・・って、えっと・・・」
彼からはぐれた言い訳をしていると、再び手首を掴まれどこかへ引っ張られる。
出口の表示とは逆の方向へ、アバラインは行こうとしていた。
「蛇女に会いに行くぞ」
「はい!?」
通路の先には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた貼り紙。
しかしアバラインは、あっさりとその規制を無視して、俺を暗幕の外へ連れ出した。
外はビルの谷間に位置する、昼さがりの明るい広場。
暗幕を出た向こう側には、空き地の奥半分ほどが広がっている。
ステージがあるテントから少し離れた場所に、何台かの馬車が止めてあり、手前に焚き火をした跡と、火を囲むような配置で、二つのテーブルと10脚ほどの椅子が置かれて、そこにはショーを終えた太夫たちが、思い思いの時間を過ごしていた。
新しい手品の練習をしている、シャム双生児の姉妹達。
お喋りに興じている、髭の女や、巨人と小人。
ステージには出ていなかった畸形達も、次のステージ進行を確認しあったり、腹ごしらえのパンやチーズを食べていたりと、忙しそうだった。
不思議な光景だと、素直に俺は感じていた。
「あら、刑事さん」
そこへステージへの通用口らしき場所から出てきた女が、俺たちに向かって声をかけてくる。
蛇女のリリーだった。
「やあ、リリー」
アバラインが挨拶を返して、俺は呆気にとられた。
「彼女とも知り合いだったんですか・・・?」
俺の質問に、意味ありげな目配せを返すアバライン。
まず間違いなく、肯定と言う意味だろう。
「そっちの背の高いお兄さんは、刑事さんの彼氏?」
「まあな。・・・メリック氏とは、あれから会っているのか?」
リリーの際どい質問までもを、アバラインがあっさり肯定してしまい、俺は焦った。
警官が男色を公に認めるのは、大問題だろう。
しかし、どうやら互いに挨拶がわりの冗談のつもりだったらしく、俺の心配をよそに、二人はさっさと次の話題へ移行してしまった。
「今やジョーは、すっかりセレブのステイタスだよ? あたいたちなんか相手にされないだろうさ」
どこか寂しそうな調子でリリーが言った。
「ええと・・・メリック氏って、ひょっとして・・・」
聞き覚えのあるその姓に、少しばかり古ぼけた記憶を俺は必死で手繰り寄せた。
「ジョウゼフ・ケアリー・メリック。エレファントマンさ。リリーは彼の元同僚だよ」
「あのエレファントマンを知っているのか!?」
エレファントマンことジョウゼフ・メリックが、このホワイトチャペルで見世物になっていたことは有名だ。
哀れなその姿を目の当たりにした、医師のフレデリック・トリーヴスが、ロンドン病院で彼に居場所を与え、その後、社交界の花形であるケンドール夫人や、畏れ多くもアレクサンドラ妃が彼を見舞ったことで、メリック氏の立場はガラリと変わった。
有名人たちの間では、ロンドン病院にあるメリック氏の部屋を訪問することが流行となり、そのスケジュールを調整しているトリーヴス医師は、主治医というよりもむしろメリック氏のマネージャーだと新聞は皮肉る。
なるほど、リリーの言うとおり、今やメリック氏自身がセレブのステイタスと言っても過言ではないかもしれない。
それにしても、ジョウゼフ・メリックが見世物小屋にいたのは、今から5年も前のことである。
目の前にいる少女は、せいぜい20歳ぐらいのものだろうに・・・。
そこで俺は、この少女が先ほどステージで、ぎしぎしと蛇を食い千切っていた強烈な光景を思い出した。
「なんだい、そんなに見つめて。誘おうったって無駄だよ、あたい男には興味ないから」
「いや、そうじゃなくてさ・・・君、本当に蛇を食べちゃったの?」
たった今、少女から爆弾発言を聞かされた気がしていたが、俺の視線はリリーの口元へ釘付けになっていた。
ステージから降りて、メイクも落としてしまったらしいリリーのあどけない顔には、桃色の小さな唇と、その隙間から覗く真珠のような可愛らしい歯が並んでいる。
歯列の薄い隙間からは、赤い舌がチラチラと覗いており・・・あの舌がさきほど、艶かしい動きで蛇の腹を這いまわり、その歯は鱗に覆われた生肉を、真っ二つに噛み千切っていたのだ。
「よかったら、息嗅いでみるかい? まだうがいしてないからさ」
そう言った次の瞬間には、俺に向かってリリーが勢いよく、息を吐いていた。
一瞬鼻を摘まむのが遅れて、込み上げる吐き気にたまらず跪く俺の隣では、アバラインがタイミングよくリリーに背を向けており、都合よく現れた別の男を出迎えていた。
「アバラインの旦那・・・」
「久しぶりだな、ノーマン」
ステージの上で見せていた軽快な調子と、にこやかな笑顔がすっかり消えていたため、すぐには誰だかわからなかった。
しかし、常連客からトミーと呼ばれていた筈のその男は、シルクハットとタキシードもそのままで、丸顔に強張った表情を貼り付けながら、アバラインの名前を呼んでいたのだ。
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