戻ったホワイトチャペル署では、正午から会議が待っていた。
各捜査員達がそれまでに収集した情報を突き合わせ、事実関係を組み立てて行く。
被害者のアニー・チャップマンが殺害されたのは、9月8日の午前4時半から6時までの間。
その間悲鳴は誰も聞いておらず、現場であるハンバリー・ストリート29番地の裏庭には、争った形跡もない。
このことから、被害者は不意を突かれ、瞬時に犯人へ屈したのだろうと思われた。
殺害方法としては、まずチャップマンの首に手をかけて犯人は殺そうとした。
だがそれだけでは死なず、次に左手で口元を強く押さえ、半ば息を止めるようにして、喉を掻き切った。
傷は犯人から見て左から右に走っており、犯人の利き手は右。
凶器については、靴屋のナイフでは長さが足りず、銃剣やあるいは医師が用いる器具だろうと思われた。
屠殺業者が使う刃物も可能性が高い。
また、治安面における注意喚起として、住民が非常に動揺しており、以前にもまして外国人排斥の傾向が強くなっているため、暴動が起きやすくなっている。
各捜査員はその点を意識して、速やかな騒動鎮圧に努めるようにということだった。
会議が終わるや否や、またしてもアバラインがアーノルド警視に呼ばれてしまい、俺は一人で聞き込みへ向かうことになった。
まずは昨夜戻りそびれたミラーズ・コートへ行ってみたが、またしても空振りに終わる。
その足でハンバリー・ストリートへ向かうと、ある住人から奇妙な証言を俺は聞いた。
「俺はここの壁に血が付いていたのを見たぜ」
労働者風の男が、自慢げにそう話しかけてくる。
彼が言っている場所は、住所で言えば25番地にあたり、本当だとすれば重要な証拠ということになるのだが・・・。
「たしかに色が可笑しいところもあるが・・・これって血痕か?」
薄茶色と黄色と灰色と緑色の間ぐらいの色をした、アフリカ大陸を上下に引き伸ばしたような変わった形の染みを凝視して、首を捻りながら俺が聞き返すと。
「誰かが消そうとしたに決まってるだろ。そんなものをいつまでも残しておくわけがない。きっと犯人がやったに違いないさ。とにかく、ここには血痕があったぜ。俺は見た」
男が言い切る。
するとそこへ、野菜ケースを運搬中の男が傍に立ち止って、口を挟んでくる。
「旦那、ひょっとして刑事かい?」
「ああ。ベスナル・グリーン署のジョージ・ゴドリー巡査部長だ」
俺が身分証明書を提示すると。
「配送中にこの辺の住人から聞いた話だけどさ。なんでも殺人のあった直後、ここらへんに血が付いた紙屑が落ちていたらしいぜ」
また血痕である。
「ここら辺というのはどこらへん?」
「だから、ここだよ、ここ」
「ここ?」
俺はペンで地面を差しながら確認する。
「そう、ここ」
男の肯定を受けて、『ハンバリー・ストリート25番地の壁に血痕』と書いたすぐ下に、『血が付いた紙屑』と書き添える。
「で、住民というのは誰のこと?」
「住民?」
俺が聞くと、野菜ケースを抱えた男がピンと来ないという顔をしたので、少し苛々とした。
気が付くと、壁の血痕について証言した男が、どこかへ消えている。
俺は今更、名前を聞き忘れたことを思い出していた。
「つまりその・・・あなたは、配送中にこの辺りの住民から、紙屑が落ちていたという話を聞いたわけですね。それは一体誰から聞いたんです?」
「そんなもん、いちいち覚えちゃいませんよ。だから住民です、住民」
結局要領を得ないまま、とりあえず紙屑証言の配送業者の名前と住所だけを聞いて、俺は聞き込みを一旦終了する。
続いて、例の見世物小屋へ行ってみた。
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