「官舎の簡易キッチンだから、大したものは出来ない」
そう言われながらも、思いがけず俺は、アバラインの手料理にありつくことができた。
「めっちゃ美味いです。慣れてますよね、あんな短時間でこんな飯が出来るなんて・・・」
肉料理のソースに千切ったパンを浸して口へ運びながら、俺は愛する人の丹精込めて作られたご馳走に感謝した。
「そう無理に持ちあげるな。手抜き料理だ。・・・まあ、慣れてるといえば、一人になって長いから、慣れてはいるな」
グラスのワインを口へ運びながら、アバラインがしみじみと言う。
言われてみれば、彼は若い頃に一度結婚をしている。
詳しいことは知らないが、間もなく奥さんに先立たれ、結婚生活はごく短い期間だったと聞いていた。
キャラハンと付き合っていた期間が、20代の頃に4年間あったということは、恐らく奥さんが亡くなった後に、その時代が来るのだろう。
「キャラハン警視と付き合っていた頃も、やっぱこんな料理作ったりしていたんですか?」
好奇心半分、やっかみ半分で、ついそんな質問を口走る。
「当時もしなかったわけじゃないが、あの人はどちらかというと、俺を連れてあちこち、有名なレストランへ食事に行ったり、観劇やコンサートへ行きたがったりした。あの頃は俺も、もう少し不器用だったこともあるかもしれんがな・・・。それでもエマは躰が弱かったから、台所に立っていたのは俺の方が多かったし、飯が不味かったとは思わないんだが・・・ああ、余計なことを喋りすぎたな。すまない、聞き流してくれ」
余計なこと・・・とは。
話の流れから言って、初めて聞く奥さんのことだろうか。
エマ。
俺はこのとき、アバラインの死んだ妻の名前を初めて聞いていた。
亡くなったのは、恐らく病のせいなのだろう。
「どうして別れたんです?」
キャラハンとの話について、俺がさらに質問をすると。
「まあ・・・いろいろあってな」
急に話を誤魔化された。
「いろいろって?」
「いろいろは、いろいろだ。お前だって、付き合っていた相手ぐらいいただろう」
「ええ、いましたよ」
考えてみれば、俺は碌な女と付き合ってこなかった気がする。
やれ、ウェスト・エンドのどこぞの高級レストランへ連れていけだの、ランガムのスイートに泊めろだの、フランスへ旅行させろだの、深夜3時に天井の蜘蛛を退治しろだの・・・こちらは5時半に起きて出勤だというのにだ。
ああいう女どもはきっと、キャラハンのような男と付き合えば、幸せなのかもしれない。
まあ、キャラハンが蜘蛛退治をするかは知らないが。
「俺はいちいち、お前の膨大な女遍歴について質問したことがあるか」
「はい?」
いきなりアバラインが、キレ始めたように感じる。
よく見れば、少し目が据わっている気がした。
しかも人数を伝えたこともないのに、女遍歴の部分になぜ、わざわざ『膨大な』と修飾詞が付けられているのだろうか・・・確かに少ない方ではないだろうとは思うが。
「ライアンとは確かに付き合った。けれど、それはもう終わった話だ。それで充分じゃないか」
「そりゃ、終わってたらね」
「何が言いたい」
「あんたがそう思っていても、向こうはそうじゃないかもしれない」
「俺が信じられないっていうのか」
「そうは言ってないけどさ・・・だって、相手は本庁の警視で、俺の目から見ても洗練されてる、良い男でさ・・・そんな野郎が、ヤードに戻ればあんたの周りをウロウロしてるのかと思うと・・・」
自分で言っていて、なんだか情けなくなってきた。
結局俺が落ち着かないのは、自信のなさが原因ということなのだ。
不意にアバラインが席を立つ。
「来い」
そう声をかけたかと思うと、一人でダイニングを出て行ってしまう。
俺も後を追いかけた。
「えっと・・・フレッド?」
扉の向こうは、寝室だ。
正面の壁に寄せられたシングルベッドがひとつと、飾り気のない白モスリンのカーテンが掛けられた窓際に、医学雑誌が置いてある小さな書き物机と椅子がひとつずつ。
扉のすぐ横には、木目が剥き出しになった、安っぽい洋服ダンスと、その隣にぎっしりと辞書や犯罪関係、心理学系の本が詰まっている本棚。
あるのはそれだけだ。
ダイニングもそうだが、ここには余計な物が一切排除されている。
官舎ということもあるから、当然なのかも知れないが、これがアバラインの日常空間なのだ。
そう思うと、少しだけ寂しい気がした。
アバラインはこちらへ背をむけたまま、徐に来ていたベストを脱ぎ捨てた。
続いてシャツを脱ぎ、華奢でありながらしなやかなその背中が露わになる。
「ええっと・・・フレッド?」
いきなりの展開に俺は頭が付いていけなくなっていた。
「何をしている。お前も脱げ」
「ああ、はい・・・いや、でもさ」
俺も言われるまま、自分のネクタイを解き始めたが、手がまごついて上手く行かない。
それを見ていたアバラインが、溜息をついて近づくと、俺の手からネクタイを奪ってスルスルと抜き取ってしまう。
続いてベストやシャツを脱がされ、ベルトに手をかけられた。
俺は慌てて彼の手を止める。
「なぜだ? したくないのか?」
「そうじゃないけど・・・なんか、あんた変だから」
酔っているせいかもしれない。
だが、今のアバラインはどこか不自然に感じられた。
本当は、したくないのにこうしているのは、俺ではなくてアバラインのように感じられたのだ。
「別の男の影が見えた途端、興味がなくなったのか?」
挑発的な目で、アバラインが俺を追及した。
「そんなこと言ってないだろう」
「だったら何が気に入らない。何をしにここへ来た? 勝手に人の仕事へ首を突っ込んで、人の過去を暴こうとして・・・お前は一体、何がしたい!?」
そういうとアバラインは背を向け、そこにあった机に拳をぶつけた。
人の仕事・・・。
アバラインが内偵を続けている、クリーヴランド・ストリートの男娼館を俺が探しに行ったことなど、とうの昔に彼はお見通しだったのだ。
しかもそこで、彼の上司にあたるキャラハンに会い、二人の関係をたまたま知ったというだけで、俺はアバラインを問い詰めようとした。
自分のしたことを棚に上げて。
アバラインの過去。
4年に亘るキャラハンとの関係に終止符を打つには、それなりの経緯があったことは当然だ。
それを俺が知りたいと思うのは、現在彼と関係を持っている立場として、当然の心理だと俺は思う。
しかし、アバラインにも、言いにくいことはあるだろうし、打ち明けるにもタイミングがあるだろう。
結局俺がしたことは、アバラインを困らせただけなのだろうか。
「俺は・・・あんたが知りたい。あんたを俺だけの物にしたい。・・・あんたの仕事に首を突っ込んだことは、悪いと思ってるし、キャラハン警視にも怒られた。それでも、・・・どうしようもなかったんだ。この近くに、あんたが内偵を進めている男娼館があると思うと、気になってつい足を運んじまったし、あんたの元彼だって男から、あんたとのことを聞かされると、なんだか落ち着かなくて・・・全部俺のわがままだって、わかってんだけど」
「で・・・どうしたいんだ?」
アバラインが聞いてくる。
「あんたが、俺だけの物だって思わせてほしい。あんたの口で、俺にそう示してほしいんだ」
ゆっくりと彼がこちらを向いた。
ヘイゼルの目に挑発的な輝きはもう見当たらず、少しだけ涙で滲んでいるように見えた。
俺が・・・泣かしたのだ。
「馬鹿な奴だな・・・前にも言った筈だ。俺はずっと、お前のものだと・・・お前が望めば、何でもしてやると・・・」
そう言って、アバラインは俺の肩に両腕を回すと、柔らかい口唇を押し付けてきた。
「フレッド・・・あんたが好きだ」
「ああ、俺はお前のものだ。・・それとなんだっけ・・・俺の口で、それを示せと言っていたな」
そう言うと彼は、ヘイゼルの瞳で俺を見上げ、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべて、金具だけ外されていた、俺のベルトを完全に抜き取った。
「フレッド・・・?」
「今、示してやる・・・口でな」
挑発的な目でそういったかと思うと、俺の前に跪き、ファスナーを下ろしたスラックスから、勃ちあがりかけていたものを取り出して口に含まれる。
「ああ・・・フレッド・・・」
温かい粘膜に敏感な神経を刺激され、彼の癖のある長めの髪に、俺は堪らず指を差し込んで強く握りしめた。
弾みでプチプチと何本か、髪が千切れたが、アバラインは文句も言わずに行為を続けてくれた。
舌先で舐めあげられ、窪みを刺激され、先端を入れられて吸いあげられる。
添えられた手や口の中で、己の物が、徐々に主張を始め、止められないほどの射精感が俺を襲ってきた。
「出していいぞ」
口淫の合間に短くアバラインが促し、思わず俺は彼の髪を掴んで引き寄せた。
「ああっ・・・はぁ・・・っ」
断続的に放った精液を、アバラインはその口で受け止め、俺の物を飲み下しさえしてくれた。
彼に対する言いようのない愛しさと征服感が、この上なく募る。
「フレッド・・・」
堪らず彼を抱きあげてキスをした。
しかし口唇を重ねた瞬間、なんとも苦い味が伝わった。
「・・・こんなもん、よく飲んだな」
「お前のものだろ」
揶揄うと、照れくさそうな拳が頬に飛んできた。
その後彼を漸くベッドへ押し倒し、その躰を存分に味わう。
「官舎だからほどほどにしろ」
自分で裸になりながら、アバラインは俺に注意したが、抑えられないのは明らかに彼のほうだった。
「フレッド・・・声・・・不味いって・・・」
互いのネクタイで縛った手首の拳を、強く握りしめながら背を逸らせて高く喘ぎ続けるフレッドに俺は焦る。
留置場で彼を縛ったときは、勢いが余ってしたことだった。
そしてこの日は、日頃彼が寝ているベッドのポールへ、左右の手首をそれぞれ繋いだ俺に対し、彼は文句のひとつも言おうとはせず、まったくされるがままだった。
考えてみれば、留置場で初めてしたときも、アバラインに嫌がる様子は一切なかったことを、改めて思い出す。
やはり・・・キャラハンの言う通りということなのだろうか。
「ああっ、ジョージ・・・ジョージ・・・あぁあっ・・・!」
両膝を割り開くような恰好で上から圧し掛かり、己の物を彼の中で擦りつけるたびに、開きっぱなしの口唇からは雨霰と悲鳴のような喘ぎが飛び出してくる。
それを聞いている間に、俺の興奮も徐々に止まらなくなっていた。
「フレッド・・・くっ・・・ああっ・・・もうっ・・・出るっ・・・」
「いいっ・・・いい・・・ジョージ・・・、出して・・・いいから・・・」
そんな言葉に促され、俺は2度目の欲望を、思う存分彼の中へ叩きつけた。
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