(登場人物紹介ページ)
・・・ ・・・ 第2部 ・・・ ・・・
9月11日火曜日。
一足先に官舎を出た俺は、その足でハンバリー・ストリートを目指す。
リジーから提供されていた『ジャルダン・スクレ』の伝票はアバラインが預かり、本日、本庁のキャラハンへ会いに行くのだそうだ。
所轄の窃盗及び傷害事件ごときに、なぜ本庁の警視を関わらせる必要があるのかと考えると、俺は面白くなかったが、確かに『ジャルダン・スクレ』のことにかけては、俺やアバラインが下手に頭を捻るよりも、キャラハンに聞く方が数段早い。
ハンバリー・ストリートへ着く。
まだ早い時間帯のせいか、見世物小屋の入り口は閉まったままである。
いつかホランドがそうしていたように、隣のテントとの隙間を伝って、直接裏庭へ入ってみることにした。
ちなみに隣のテントでは、新しい催しが始まっていた。
これもまた、お化け屋敷のようである。
抜け道を中ほどまで来たところで、俺は思わず足を止めてしまった。
「あ・・・・あん・・・」
通路の行く先で、どんな光景が待ち受けているというのか・・・微かに聞こえて来るその声は、あきらかに女の喘ぎである。
俺は出来るだけ足音を立てないように注意して、逸る気持ちを押さえながら、それでも出来る限り急いで、歩みを進めた。
通路を抜けると、そろそろ見慣れた空き地の光景であり、焚火跡にふたつのテーブルと椅子が何脚か。
いつもであればここで舞台の合間の大夫たちが、お喋りをしたり、ショーの稽古をしていたりするが、今は無人である。
ということは、この声は馬車の中から聞こえて来るものなのだろうか・・・さすがにそれを覗けば、罪に当たりそうな気がするが。
そう考えて耳を澄ますと、その喘ぎ声は一台の馬車の向こう側から聞こえて来ることに気が付き、俺はそちらへ急いだ。
馬車の陰から完全に出てしまわないように気を付け、首だけを伸ばすようにして、裏側を覗く。
そこにいたのはリリーだった。
見慣れた赤いドレスの前ボタンを完全に肌蹴け、あまり大きくはない乳房には、男の手が重なり、揉みあげるようにして蠢いていた。
相手は若い紳士のようで、リリーの首筋に半分埋めながらも、その顔がかなり端正な美形であることは、ここから見ても明らかだ。
馬車の扉に背中を預けたリリーは、男の愛撫で酔ったように首を仰け反らせ、半開きの口から、色っぽい喘ぎ声が絶え間なく漏れている。
「あぁ・・・はあ・・・んんっ・・・」
ドレスのスカートが部分的に盛り上がり、胸を揉んでいない方の男の手が、その中で忙しなく動かされていることに、俺は気付いた。
「これは・・・つまり、あれか・・・」
我知れず、呟いてしまい、俺は慌てて口を噤む。
その瞬間俺は、男と目が合った気がして、慌てて首を引っ込めると、馬車から離れることにした。
別の馬車へ行ってみると、中から小さな歌声が聞こえて来た。
なんとなく声に聞き覚えがあり、俺はその馬車の扉を開ける。
声を掛けようとしたところで、足元になんとなく気配を感じ、ふと視線を下ろしてみると。
「うわっ・・・蛇、蛇っ!」
俺はその場でたたらを踏んだ。
その瞬間中から悲鳴が聞こえて来る。
開いた扉から中を見ると、サキが手の甲を抑え、その足元にリンゴが転がっていた。
サキの目の前には、檻の中をウロウロと行き来しているチンパンジー。
名前はジョーと言っただろうか。
どうやらリンゴをやろうとしたところ、その手をチンパンジーに引っ掻かれたようである。
あるいは、俺が入り口で大声を出したせいかもしれなかった。
「なんだよ、まったく騒々しいね!」
後ろから苛々とした声が近づいてきた。
リリーである。
彼女は俺の足元から蛇を素手で拾い上げると、馬車に入り、開いたままだった籠へ突っ込んで蓋を重ねた。
あっというまの作業である。
まったく、恐れ入る。
「失礼」
不意に声をかけられ、俺が道を空けた次の瞬間、一人の紳士がテントの隙間を通って通りへ出て行ってしまった。
さきほど、リリーと情事に及ぼうとしていた、若い紳士である。
そのはずなのだが・・・。
「女・・・・?」
聞き違いだろうか。
「刑事さん、驚かせちゃって悪かったね。ヘンリーだったら、もうぼちぼち来ると思うから、もう少しだけ待っていてやっておくれよ。・・・ほらサキ、手を見せてみな」
そう言ってサキの手をとると、数本出来た赤い線へ、瓶に入った軟膏のようなものを塗り込めてやるリリー。
手のサイズは圧倒的にサキの方が大きく、しっかりとしている。
ということは、やはりサキは少年で間違いないのだろう。
「早く慣れないと、辛いのはあんただよ」
そんな説教をしながらリリーが処置を終えると、サキはテントから出て行った。
「ええと・・・さっきの紳士というか、そのスーツの麗人は・・・」
なんと質問してよいものやら、迷いつつ、俺はリリーの相手について聞いてみることにした。
このまま無視してもよかったのだが、見て見ぬふりをするには、好奇心があまりにも勝ち過ぎていた。
相手の名前を聞くぐらいなら問題ないだろう。
「アルのことかい? あたいのオトコだよ」
軟膏の蓋を閉めて、棚に収めながらリリーは言った。
そこには似たような小瓶が色々と並んでいる。
薬品棚だろうか。
動物を扱ったり、曲芸をしたり、大夫たちのショーはいずれも、それぞれに躰を張った仕事である。
怪我は絶えないのだろう。
「アル・・・アルバート・・・? その、気のせいかもしれないが・・・声を聞く限りでは・・・」
「アリス・パウラ・レヴィだよ。お察しの通りで女。けれど、あたいにとってはオトコだよ。見てたんだろ? 気付いてたよ」
どうやら覗きはバレていたらしい。
つまり、リリーとアリスは、セックスを伴う恋人関係にあるということだ。
言われてみれば、俺はリリーから直接、男に興味はないと聞かされていたから、これは驚くような事態でもないのかもしれない。
同性同士で恋愛関係が成り立つことは、他ならぬ自分とアバラインが実証済みだし、セックスもしている。
それにしても女同士だと、アレをいったいどうするのだろうか・・・さきほどはスカートの中へ手を入れていたようだが、やはりあのときアリスの指はリリーの・・・。
「だから、なに想像してんだっての、まったくいやらしい刑事だねぇ。そんなに見たかったら、見せてやろうかい?」
「えっ!?」
そんなこと・・・、いいのだろうか。
「まあ、アルは嫌がると思うけどね」
「俺だって冗談じゃないよ」
振り返ると、馬車の入り口に立ったヘンリー・ホランドが、顔を真っ赤にして真後ろから俺を睨んでいた。
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