あれから間もなく、いつもの元気はどこへやら、すっかり無言になってしまったリジーは、アバラインの指示により、ディレクにエスコートされて家路へ着いたようだった。
いまいち話が飲み込めない俺は、アバラインとキャラハンへ、『クリムゾン・パーティー』について、改めて説明を求めた。
「正確に言うなら、市議会議員イアン・ガーラントの呼びかけで、一昨年に設立された同好の士の集まりであり、他にはロイド・ボナ・・・彼は、フィルが勤める会員制レストラン、『ジャルダン・スクレ』のオーナーだ。そしてボナと同じ商工会の不動産業者、ギルバート・ブルワー、ガーラントの秘書、アンドレアス・バーカーなどがメンバーとなっている。主な活動は『ジャルダン・スクレ』で食事をしながら、お喋りを楽しんだり、食事のあとでポーカーをしたり・・・要するに仲良しクラブだな」
キャラハンの説明に、俺は相手が本庁の警視ということも忘れて、突っ込まずにいられなかった。
「ちょっと待ていぃ! フリー・メイソンがどうのこいのって、あの説明は何だったんですか」
「・・・或いは、特殊な嗜好を持つクラブで、女装を楽しみながら、男装の麗人にもてなされたり、男娼館へ通ったり」
俺の突っ込みを軽く受け流したキャラハンが、さらに説明を付け加える。
また、ここでも男娼館である。
「『ナイト・ホーク』という店を知らないか? 女の従業員が男の恰好をして接客するクラブだ。殺されたヴァイオレット・ミラーは、その店の常連客だった」
アバラインが教えてくれた。
『ナイト・ホーク』・・・そういえば、さきほどベイツと喋っていたときに、その店の名前が出ていた。
「つまり、『クリムゾン・パーティー』のメンバーとヴァイオレット・ミラーとの間に、何かトラブルがあって、リジーはヴァイオレットと間違えられて襲われたということですか・・・ペンダントを持っていたばかりに?」
「あくまで彼女が狙われたのは、ブルワーが持って行かれたペンダントを、取り返そうとしただけの話だと思う」
俺の推理に、アバラインがそう返す。
そのブルワーがフィルに襲撃を依頼したという、本人達からの証言もとれている事実を、すっかり忘れていた。
「ヴァイオレット・ミラーを襲ったのは、おそらくベッサラビア人ギャング組織だろう。フィルがいたような、町のゴロツキとは訳が違う」
ポケットから煙草を取り出し、咥えながらキャラハンが言った。
それを見ていたアバラインが、あたりまえのように自分のライターを点けてキャラハンの煙草に火を灯すと、彼自身も煙草を吸いだした。
その流れが、実に自然で、二人でいるときにいつもそうしていることが、嫌でも想像できた。
俺は頭を振って、余計な考えを吹き飛ばすと、情報を整理する。
リジーを襲った犯人は、『ジャルダン・スクレ』のウェイター、フィルと彼が集めたゴロツキども。
彼女は、9月9日の夜に『クリムゾン・パーティー』のメンバーである、不動産屋のブルワーから手に入れた会員証のペンダントを持っていたばかりに、襲撃を受けた。
怪我をしたものの、ペンダントを盗まれただけで被害が抑えられたところを見ると、襲撃の目的は、あくまでペンダント奪還に過ぎない。
だが、9月7日の夜から8日の早朝にかけ、フィッツロイで襲われたヴァイオレット・ミラーは殺害された。
キャラハンの予想では、犯行グループはベッサラビア人ギャングで、ヴァイオレットは『クリムゾン・パーティー』とも関係があるという。
俺はあの朝、馬車の中でシックと話した事を思い出そうとした。
確かハンティングがどうのと話していた筈なのだが、いまいち記憶がはっきりとしない。
そもそも、その仲良しクラブとやらは、一体何のために存在するのだろうか。
「『クリムゾン・パーティー』って、結局なんなんですか?」
「『ロイヤル・アルファ・ロッジ』から派生する少数グループ。つまり、フリー・メイソンだよ」
煙を吐きながらキャラハンが言った。
漸く俺は思い出す。
「そうだ、『ハンティング・パーティー』!」
あの朝、ヴァイオレット・ミラーが交流を持っていたと、アバラインやシックが言っていた、狐狩りグループの名前である。
馬車の中でシックは、その『ハンティング・パーティー』とやらの集会場所が、ケンジントン宮殿にあって、『フリー・メイソン』の我が国最高峰ロッジである、『ロイヤル・アルファ・ロッジ』の少数グループだと教えてくれたのだ。
キャラハンは些か目を見開いて俺を見た。
「驚いたな・・・君が『ハンティング・パーティー』を知っているとは。しかし、それなら話は早い。つまり『クリムゾン・パーティー』の主催者、ガーラントは『ロイヤル・アルファ・ロッジ』のロイヤル・アーチであり、秘書のバーカーや、『ジャルダン・スクレ』のオーナー、ロイドは、エンタード・アプレンティスということだ」
これについては、よくわからなかったため、あとでアバラインへ聞いてみたところによると、フリー・メイソンの階級を指すらしい。
簡単に言えばエンタード・アプレンティスは基本階級で、ロイヤル・アーチが上位階級である。
この他ヨークライトがどうの、ブルー・ロッジやレッド・ロッジがどうのと説明されたが、結局わからなかった。
なんとなくアバラインも途中で匙を投げた気がする。
キャラハンの話に戻す。
「先日スティーヴン氏と会っただろう。彼も『ロイヤル・アルファ・ロッジ』のメンバーだよ。彼らもまた、ロッジのメンバーを中心に、『ハンティング・パーティー』という狩猟グループを持っている」
「狐狩りサークルでしたっけ」
スティーヴンが『ハンティング・パーティー』のメンバーということは、初めて知った。
しかし、見るからに上流階級の紳士然とした彼なら、狩猟の趣味ぐらい持っていても似合う気はする。
なんとなく、キャラハンが皮肉そうな笑みを浮かべた気がした・・・。
「いかにも・・・ただし、そんなものは表向きの顔でしかなく、実際に狩っているのは、狐ではなく人だというもっぱらの噂だ」
「・・・はい!?」
人を狩っているとは・・・・つまり人殺しということではないのだろうか。
あのスティーヴンが、殺人を犯しているというのか?
それでいて、共に食事をしたり、仲良くお喋りしたりしていたのだろうか・・・本庁の警視と殺人犯が?
「もっとも、たんなる噂にすぎないがね。数ある『フリー・メイソン』陰謀説の一種だよ。だが、彼らは『ロイヤル・アルファ・ロッジ』のメンバーであり、グランド・マスターは皇太子殿下だ。殿下を危険からお守りするという意味では、表だって出来ない仕事を請け負う人間が存在していても不思議はないと、俺は思う」
「呑気な! そうなると、スティーヴンは人殺しってことですよ!? 『ハンティング・パーティー』は殺人集団じゃないですか。こんなところで、のんびりと議論している場合じゃないでしょう」
「我々とて何もしていないわけじゃない。」
キャラハンに噛みつかんばかりに怒鳴り散らした俺を、横から制するようにアバラインが強い口調で抗弁する。
「そんなこと言ったって、スティーヴンは堂々としているじゃないですか。ヴァイオレット・ミラーが殺害されても、『ジャルダン・スクレ』は営業しているし」
「ヴァイオレット・ミラー殺しに『ハンティング・パーティー』が関わっている証拠はない。俺はベッサラビア人ギャングがやった可能性を指摘したまでだ。もちろん、誰かが連中に手を出させたのだろうとは思うがな」
「何を言っているんです今さら。ヴァイオレット・ミラーが『ハンティング・パーティー』や『クリムゾン・パーティー』と関わりがあるなら、高級娼婦の彼女が何かを知って消されたってことでしょう? それに警視の方じゃないですが、『ハンティング・パーティー』が殺人集団だって言いだしたのは」
俺は段々苛々としてきた。
「悪くない線をついている、とは思うんだけどな。なにぶん証拠がない」
そう言ってキャラハンは煙草の火種を灰皿に押し付ける。
アバラインも先がだいぶ短くなった煙草を咥え、眉間に皺を寄せて腕を組んだまま、何事かを考え込んでいるようだった。
「結局・・・ことが王室絡みだから、二の足を踏んでいるということですか。男娼館と一緒で・・・」
「ジョーっ・・・」
煙草を咥えているのも忘れて口を開いたのだろうか。
口の端から零れ落ちた煙草を床から拾ったアバラインは、それを灰皿に押し付けると、俺をジロリと睨みつけた。
その目元が羞恥のためか、或いは怒りのせいなのか、ほんのりと赤い。
珍しい光景だった。
隣で見ていたキャラハンは、こっそり苦笑している。
そのキャラハンが、新しい煙草に自分で火を点けてから意見を述べた。
「我が大英帝国は君主を象徴に抱きつつも、その社会には確実に民主主義の息吹が浸透してきている。臣民には心身の自由があり、拷問、強要、違法捜査から彼らは守られているんだ。つまり警察権を笠に適正手続きもなく、我々は何物をも逮捕出来はしない・・・ということだよ」
「詭弁だ」
「違うんだジョージ・・・・本当に証拠がないんだ」
アバラインが苦々しい表情で言った。
「まあ圧力ゼロとは言わんよ・・・・君の言うところは認める。しかし証拠がないんじゃどうしようもない。『クリムゾン・パーティー』だろうが、狐狩りだろうが、集会、結社の自由が認められている以上は、やめろと言えまい」
そう言うと、まだかなり長さの残っている煙草を灰皿へ押し付け、キャラハンは刑事課から出て言った。
その後をアバラインも追って行く。
二人はどうやら、そのまま会議室へ入ってしまったようだ。
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