ホワイトチャペル署を出た俺は、逸る気持ちが抑えられず、結局ふたたびクリーヴランド・ストリートへ戻っていた。
相変わらず男娼館の場所は見当もつかなかったが、『ジャルダン・スクレ』は流石に閉まっていた。
従業員のフロア・リーダーが逮捕されたのだから、会員制のレストランとしては無理もないかもしれない。
いや、この店のオーナーとて、おそらくは事件関係者に違いないのだ。
「やあ、ジョージじゃないか。また会えたね」
振り返ると、またしてもスティーヴンがそこに立っていた。
「これは・・・昨日はどうも」
『ジャルダン・スクレ』で奢ってくれたのが、キャラハンなのかスティーヴンなのかはわからないが、一応どうとでもとれる挨拶をしておく。
「どういたしまして。呼び止めたのはこちらだからね。・・・それにしても、今日は開いていなかったか。余所をあたるしかないな・・・どうだろう、この先に良い店があるから、君も一緒に来ないかい? それとも、今日は裏付け捜査か何かかい、巡査部長?」
促すように背中を押され、仕方なく俺は一緒に歩かされる。
恐らくこの行く先に彼が言うところの、『良い店』があるのだろうか・・・本日は共にテーブルへ着くつもりはないのだが。
「いえ、その・・・事件はご存じだったんですか?」
話を少しだけ変えてみる。
裏付け捜査というからには、当然スティーヴンもリジーの事件を知っているのだろう。
「君たちはフィルを逮捕してしまったらしいね・・・残念だよ、可愛い子だったのに。まあ、これからは君が代わりに付き合ってくれるというなら、歓迎だけど」
背中に回されたままだった掌が、どことなく不気味な物に思えてきた。
そういえば、スティーヴンは俺の事を、そのフィルというウェイターに似ていると言っていた。
自分ではどこが似ているのか、それとも似ていないのか、よくわからなかったが。
「その、スティーヴンさんは、狩猟がご趣味だそうですね。その為のサークルを率いていらっしゃるとか」
歩きながら、僅かに距離をとって背中の掌から離れてみる。
「ジェムでいい。僕が率いているわけではないが・・・よかったら君も来てみるかい? 月に一度程度の狐狩りだけど、僕以外は年寄りばかりだから、呑気なもんだよ。野山を歩きながらお茶やサンドウィッチを頂いて、気が向いたときにだけ銃を構えて・・・とはいえ、一番上手いのが70歳を超えている、ウィリアム卿なんだ。僕なんて無駄撃ちばかりでね。君が来てくれると助かるよ、僕もちょうど話相手が欲しかったところだから。年寄りばかりだと、病気の話や誰が亡くなったのという話題ばかりで、退屈で仕方がないんだ・・・」
なぜか手を取られる。
「ああ、いや・・・残念ながら、どうも貧乏暇なしで・・・ええと、狩るのは狐だけですか?」
俺は、頭を掻く振りをして、手を引っ込めた。
せっかくとった距離が、また縮められていた。
今度は肩に手が回される。
俺はがっくりと肩を落とした。
なんてうざったい人なのだろうか。
「そうだね・・・兎はつまらないからね。熊でも撃てれば、楽しいのかもしれないけれど」
「或いは人とか?」
軽い気持ちで口にする。
その瞬間スティーヴンがニヤリと笑った。
「何が聞きたいのかな・・・まさか、僕らが人間狩りをしているという、荒唐無稽な噂の話かい?」
灰色の瞳を持つ上がり気味の目が、不気味に細められ、視線は間近に俺を捉えていた。
「そういう噂を耳にしたもので・・・根も葉もない話でしたら、誠に失礼ですが」
心拍数が跳ね上がる。
「たとえば、ウェスト・エンドの鼻持ちならない売春婦が住んでいる、悍しいフラットへ押しかけて、僕が猟銃で仕留めたり?」
「ヴァイオレット・ミラーは絞殺されておりますので、さすがにそんなことは思っておりません」
「いやいや、そんなことが出来るなら、さぞかし楽しいだろうねって思っただけだよ」
表情ひとつ変えずに、スティーヴンはそう言った。
「楽しい・・・ですか?」
狂っているのか・・・この人は?
「そうさ。売春婦なんて、見た目も醜悪だが、悪習と病原菌を撒き散らす、社会の汚物じゃないか。奴らを殺したからって、一体誰が困るというんだい? ・・・ああ、そうだった。あのゴミ共にわざわざ金を払って、ペニスを舐めてもらっている、哀れな男も世の中にはいたね・・・たとえば、ガーラントのような」
ガーラント・・・なぜそこで、その名前が出て来る。
「イアン・ガーランドが、ヴァイオレット・ミラー殺しに、関係あるということですか」
スティーヴンは何を知っている?
「さあね。ただガーラントが、哀れなアンディを連れて、売春宿に通っていた話は有名さ。もっとも最近は普通の売春婦に飽きて、男の恰好をした娼婦に入れ込んでいたらしいけれど。悪いけど、僕はこんな話に興味はないんだ。聞くならブライアン・ネヴィルのところへ行った方が、早いと思うよ」
ブライアン・ネヴィルもまた、市議会議員だ。
「あなたとガーラントが、『ロイヤル・アルファ・ロッジ』のメンバーだと聞きました」
「なるほど・・・ライアンが教えたんだね。ライアンの相手は同業者だと聞いていたが、ひょっとして君のことなのかな」
「いえ、違うと思います」
相手とは、恋人のことだろう。
それなら、この場合恐らくはアバラインを意味する筈だ。
「そうか・・・なら安心だ。ライアンは手ごわいからね。・・・つまり、君の聞きたい事というのはこうかい? 娼婦殺しやフィル達がしでかした事件に、僕らフリー・メイソンが一枚噛んでいるのではないかと。何しろ僕たち『ハンティング・パーティー』の真の獲物は、地上でもっとも呪われた生き物である、神をも恐れぬ人類だ。友愛を大義名分に何か恐ろしい犯罪をしているのではないかと・・・そう思って、僕の誘いに君は乗って来たわけだ。せつない僕の恋心を利用して」
「ああいや・・・そういうわけでは・・・すいません」
そうだとも、違うとも言いにくい話の持っていき方に、俺は口籠った。
どうもスティーヴンとは、普通に会話を進め難そうである。
「酷い男だな。ひとまず『ハンティング・パーティー』の存在意義については、先ほど述べた通りであり、それ以上でもそれ以下でもないと約束しよう」
「狐しか狩らない・・・そう考えて良いと?」
「その通り。従って、先般の娼婦殺しも、一連のイースト・エンドにおける殺人事件にも、一切関わりはない。・・・もちろん仮にあったとしても、フリー・メイソンが軽々しく口を割る筈はないんだけどね」
「どっちなんですか」
「ご想像にお任せするよ、刑事君」
そう言うと、灰色の目をした狼は、実にチャーミングなウィンクを寄越してきた。
調子が狂う。
「リジーの件にも関係がないと?」
「リジーというのは、君の妹さんか誰かかい?」
「いえ、知り合いです・・・娼婦の」
スティーヴンは目を見開いた。
「ほう・・・刑事というのは、誠に因果な職業だね。君のように清潔で美しく健康的な青年に、娼婦の知り合いとは・・・。要するに僕のフィル達が襲った、あの事件のことを指しているんだね」
「僕のフィル・・・ですか・・・」
「おや、嫉妬してくれたのかい?」
「いえ、全然」
うざったすぎて、殴りたくなってきた・・・あと何分持ち堪えられるのだろうか。
「つれないな。・・・当然無関係さ」
「関係があっても、どうせフリー・メイソンだから言わないんですよね」
少々面倒くさくなってしまい、口調が乱暴になる。
「それは冗談だよ。天地天命にかけて、どの事件とも無関係だ。僕らにそういう妙な噂があるのは、恐らく王室と非常に近いメンバーで構成されているため、人々の想像力を掻き立てているからだろう。御存じかどうかはわからないが、僕はかつてエドワード王子の個人教師をしていたことがあるし、ウィリアム・ガル卿は陛下の主治医だ。ジョン・ネトリーは王室厩舎の御者だし、ランドルフ卿も我々の仲間である」
ランドルフ卿?
「・・・って、まさか・・・ランドルフ・チャーチル!?」
モールバラ公爵の二男である、保守党若手の閣僚だ。
第1期ソールズベリ内閣におけるインド国務長官であり、現在は下院院内総務と、大蔵大臣を兼任している。
美貌のジェニー夫人は社交界の花形としても有名だ。
「いかにも。もっとも公務が忙しいランドルフ卿は正式なメンバーというわけではないがね。年に何度か顔を見せられる程度だ」
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