9月12日水曜日。
早朝からディレク巡査がフラットの扉を叩いたために、俺は起こされた。
「なんだ、騒々しい!」
「申し訳ございません巡査部長・・・。ですが、ハンバリー・ストリートでまた死体が・・・」
俺はすぐに寝室へ戻り、スーツに着替える。
急いでフラットの玄関へ下りると、二輪馬車が停まっており、乗って来たのであろうディレクが外で俺を待っていてくれた。
「遺体は、やっぱり娼婦なのか?」
先に馬車へ乗り込みながらディレクへ確認する。
「それがどうも、今回は様子が違うようでして・・・」
はっきりとしない物言いに、苛々とする。
「単刀直入に言ってくれ」
「男装の女のようです。そういう店の者という意味では、ひょっとしたら売春のようなこともしていたのだろうとは、思うのですが」
「男装の・・・?」
現場へ到着してみると、遺体は例のアリス・レヴィだった。
俺が昨日の朝、見世物小屋へ行った時に見た男装の麗人。
リリーの恋人、アルだ。
「遺体の身元は『ナイト・ホーク』のマネージャー、アリス・パウラ・レヴィ、29歳。フラワー&ディーン・ストリート20番地にある、女が男装をして接客するクラブだ。昨日ライアンが言っていた店のことだよ、覚えているか?」
先に到着していたアバラインが教えてくれる。
「はい、存じていますから」
「そうか」
俺はアリス・レヴィの遺体に近付き、状態を確認した。
一連の殺人事件とは違い、損壊はされていない。
後頭部に鈍器で殴ったような痕。
両腕や肩、顔に鬱血があり、舌が膨れ、喉にも両耳の下あたりに強く指で押さえたような痕が存在する。
いずれも指先で押して変色をしないことから、死斑ではなく、皮下出血とわかる。
見たところ他に外傷らしきものはなし。
従って、死因は首を絞めたことによる窒息だろうと思われた。
既に聞き込みを終えていた巡査達の情報と合わせて考えると、2、3名の襲撃者に襲われたアリス・レヴィが、まず後頭部を殴られて昏倒したところ、手足や肩を押さえ付けられ、首を絞められて殺害されたようだった。
「ウェスト・エンドの娼婦と同じ殺され方だ」
検死を担当したらしいフィリップス医師が言った。
「あれは物取りによる犯行じゃなかったんですか」
「ヴァイオレット・ミラーは所持品を荒らされていたものの、彼女のものと思われる装飾品や金品は、すべて現場周辺の側溝で発見されている。恐らく強盗を装った犯行だ」
ディレクの質問に、アバラインが回答していた。
強盗目的でもなく、性犯罪でもない。
あくまで目的は、殺害。
「体格が良い分、アリス・レヴィには顔や手足の打撲から、抵抗の痕跡は何箇所も見られるが、後頭部の損傷と、数名の襲撃者によって地面へ押さえ付けてからの絞殺・・・ヴァイオレット・ミラー殺しと同じやり方だよ」
フィリップスが断言した。
「『クリムゾン・パーティー』ですか?」
「どうだろうな」
俺の問いかけに、アバラインが曖昧な返答をする。
突然、見物していた野次馬連中から、空気を切り裂くような女の悲鳴と、それを宥める男の声が聞こえてきた。
視線を向けると、若い女らしき赤いボンネットと、もがいている彼女を抑えているような、警官の後ろ姿が見える。
リリーだろうか。
「通してやれ」
俺が思わずそう声を掛けると、途端に女が駆けだし、遺体の前まで来てがっくりと跪いた。
「アル・・・アル、誰がこんな・・・!」
アリス・レヴィの愛称を呼びながら、彼女は遺体に縋り、そのまま泣き崩れてしまう。
「巡査部長のお知り合いですか?」
「いや・・・そう俺も思ったんだが」
ディレクに聞かれ、俺は言葉を濁すしかなかった。
体格と、髪型が似てはいたものの、女はリリーではない。
見たところ、『ナイト・ホーク』に通っている、アリス・レヴィのパトロンというわけでもないらしい。
だからといって、どう見ても親族には見えない彼女が、ここまで激しく泣いているということは、恐らく。
「あなたがいなくなれば・・・私はどうすればいいのよ・・・一人でなんて生きていけない・・・アル、どうして・・・」
寄り添い、悲痛な嗚咽を漏らすその姿は、どう見ても恋人そのもの。
しかし。
「なぜ、遺体に一般人が近づいている。退かせろ」
そこへキャラハンが到着し、怒鳴られたディレクが慌てて女を、遺体から離した。
まだあどけなさの残る、丸顔の少女は、やはりリリーと同い年ぐらいだろうか。
目元や鼻を真っ赤に染めながら、なおも涙が止まらない彼女は、ディレクの支えがなければ、自分で歩くことすらできないように思われた。
群衆のさらに外側へと連れて行き、少女が落ち着くまでそこで慰めるつもりなのか、連れて行ったディレクはなかなか帰って来る気配がない。
「まあ、役得ってやつだな・・・」
呆れて視線を遺体へ戻そうとする・・・・その途中で、俺は目を止めた。
見物人の中で、じっとこちらを見ている、赤いドレスの少女。
「リリー・・・リリーじゃないか!」
俺は反射的に彼女の傍へ駆け寄りつつ、ふと気になった。
リリーは一体、いつからここにいたのだろうか。
「刑事さん・・・よく会うね」
力のない声でリリーはそういうと、微妙な表情を浮かべる。
少しだけ笑っているのか・・・それとも、少しばかり泣いていたのか。
「リリー・・・こんなことになって・・・なんと言っていいのか・・・」
慰めるつもりで、意味のない文句を並べかけた俺は、言葉が続かず中途半端に口を閉じる。
リリーは虚ろな目をして、暫く視線を宙に彷徨わせた。
そして。
「あたい・・・まだ寝ている途中だったんだ。帰んないと」
それだけ言って、彼女は俺に背を向けると、力のない足取りで見世物小屋へ引き返してしまう。
恋人の死体を目にして、寝ていられる筈もないだろうが、現場を離れるわけにいかず、俺はその後ろ姿を黙って見送った。
そしてリリーに近づいた小柄な少年が、彼女に何か声をかけると、真っ直ぐに俺の方へ向かってきた。
ホランドだ。

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