「ああ、ネヴィル議員の支持者の持ちこみネタなら、確かに僕が直接お聞きしましたよ。ああいうのは新鮮さが肝要ですから、すぐ記事に起こしたんですけどね、デスクでボツになりました」
直接『スター』紙を訪ねた俺は、編集部に通してもらい、自分の机で何かを調べていたベイツから話を聞けた。
机にはタンブラーが置いてあり、そこに可愛らしいリンドウが活けてある。
「まったく、どこの娘から貰ったんだよ、この色男が」
同僚記者らしき男が、リンドウを指先で突いて、通り過ぎて行った。
俺は薄気味悪くて仕方がなかった。
「一応黙っているんですが、打ち明けてもいいですか?」
ベイツの質問へ、俺は出来る限り冷ややかに即答した。
「駄目だ。墓場まで持って行け。・・・で、なぜボツになった? やはり不倫ネタでは品がないからか?」
「僕の腕を見くびらないでくださいよ。アナーキーかつ華麗にというのが信条です。どんなネタだろうが、我が紙面の高い格調を守ってみせますよ。・・・・それはともかく、ヤバイんですよ、イアン卿のネタは」
分厚い本のページに折り目を付けて閉じてから、また新しい書籍に手を出したところで、ベイツは顔を上げた。
ページを折り曲げた書籍のタイトルが見える。
英国植物全集とあった。
新しく手を出した薄い方には、花言葉集とある。
「どういう意味だ」
ガーラントのネタが、一体なぜヤバイというのだろうか。
「あの方が皇太子殿下のロッジ会員ということは?」
秋の植物という項目を調べながら、ベイツが聞いた。
『スター』紙の花形記者ともあろう者が、今は随分と地味なネタを扱っているようだった。
派手なスキャンダルを追いかける一方で、意外と小さな記事も手掛けているのだろう。
「つまり、フリー・メイソンだから、報復が怖くて記事に出来ないってことか?」
そうとしか考えられなかった。
確かに、『ハンティング・パーティー』などという暗殺集団がいるかも知れない組織を相手に、よほどの覚悟がなければスキャンダルなど、暴き出せまい。
いかに、攻撃的な『スター』紙の記者といえども、命は惜しいだろう。
「それだけなら、説き伏せてみせますよ。それ以前に編集長が、その程度の圧力でしたら、跳ね返しています」
ベイツは強がってみせた。
「でも結局ボツにされたんだろう?」
「『ロイヤル・アルファ・ロッジ』というのが不味いんですよ」
ケンジントン宮殿に本拠地があるという、英国最高峰のロッジ。
皇太子殿下がグランド・マスターを務め、メンバーにはスティーヴンやランドルフ卿といった、王室関係者や閣僚が名を連ねるという・・・。
「結局、事が王室絡みになるから、不味いってことか・・・」
どこまで言っても、この国ではそれが大きな壁となって立ちはだかっているのだ。
警察も、マスメディアも。
「そうは言ってません」
「言ってるだろう」
「僕は何も言ってませんよ。『ロイヤル・アルファ・ロッジ』が絡むネタは、ボツになりやすいってだけのことです」
「だから、王室ネタが不味いってことだろうが!」
「あのねえジョージ」
ベイツは本から顔を上げて俺を見た。
「馴れ馴れしく呼ぶな!」
「我が国の臣民であれば、誰だって王室を冷やかすような話をされると、良い気はしません。嫌がられるんですよ、こういうネタは。わかりますか、需要がないんです」
「つまり、売れないってことか? そうは思わんけどな」
ライシアム・シアターで連続興行中の『ジキルとハイド』で主演している、アメリカ人俳優、リチャード・マンスフィールドを知らないイギリス人がいても、ヴィクトリア女王を知らない国民はいない。
王室ネタなら、誰だって飛びつく筈だ。
「僕もそう思います。だから書こうとしたんですよ・・・。王室ネタが不味いなら、フリー・メイソンネタとして、そういう書き方をしようと努めました。それでもデスクが『需要がない』って言うんですから、どうしようもないでしょ」
需要がない、のではないだろう。
『需要がない』とデスクが言ったから、NGなのだ・・・そういう話のようだった。
「要するに、『スター』紙で王室ネタはタブーってこったな」
「そうは言ってません」
「お前も粘るな」
「まだ、クビになりたくないですから」
「ところで、さっきから何を調べているんだ? 王室ネタがボツったから、今度は花言葉か」
俺はベイツの手元を覗きこんだ。
まだ花言葉を調べているようだった。
「あなたの悲しみを癒したい・・・だそうですよ」
「何の話だ?」
「リンドウの花言葉です」
ベイツが机に活けた、青い秋の花を見つめながら言った。
その顔が、なんとも可憐に・・・見えるわけがない。
「なぜ、そんなものを調べている」
「今週のコラムですよ。連続殺人事件がなかなか解決できない熱血刑事が、共に現場で戦う花形記者に、ひと束のリンドウを贈った。その花言葉は、『君の悲しみを癒したい』・・・果たして刑事は、花形記者の情熱と苦しみを知っていたのか。それとも、捜査が空回りして、無駄に走り回ってばかりの刑事の悲哀を、孤高の花形記者に重ね合わせ、心を寄り添わせようとしたのか・・・その心の真相やいかに? タイトルは・・・そうですね、『刑事の純情』なんてどうでしょう?」
その後俺が、タンブラーからリンドウを抜き取り、緑がかったその水をベイツの頭にぶちまけて、屑籠に堆く積み上げてあるボツ原稿にリンドウを突っ込んでから、『スター』紙の社屋を後にしたことは言うまでもない。
いずれにしろ、どこからか『スター』紙へ圧力がかけられたことは間違いないだろう。
だからこの件は伏せられた。
そしてアリス・レヴィは殺されたのだ。


再び俺は、ベッサラビア人ギャングのアジトへ行ってみた。
「なんだ・・・?」
先ほどは誰もいなかった空き家の扉から、数名の男達が出入りして、何やら荷物の出し入れをしているようだった
俺は彼らへ近づく。
「おい・・・・・・、ちょっと待て!」
声をかけてみると、連中は顔を見合わせ、すぐにその場から走り出した。
現場にいた者が、建物の中へ何事か伝えると、裏口らしきところからも、走り去る足音がする。
言葉はさっぱり聞きとれない。
ロシア語か、あるいはスラヴ系の言語だろうか。
「待てって・・・畜生っ、一体何なんだ・・・・!」
目の前を走っていた男たちが、曲がり角で二手へ別れた。
足が遅そうな方を選んで俺は、さらに男を追いかける。
次の角でどうにか追い付き、俺は男の腕に手をかけたが・・・。
「待てよ、話を聞くだけだからっ・・・・・・なにっ!?」
別の方向から現れた連中に肩を掴まれ、ナイフを突きつけられる。
どうやら、こちらが挟み撃ちにされたようだった。
「何者だ?」
少し年長らしい赤毛の男が、英語で俺に聞いて来る。
グループのリーダーだろうか。
「俺はアリス・レヴィの元恋人の知り合いで、君達がもしもベッサラビア人なら、聞きたいことがあるんだ・・・」
嘘は言っていない。
「まどろっこしい言い方をしやがって、要するに刑事だろ」
結局最初からばれていたようだった。
次の瞬間後ろから押さえ込まれ、目の前にいたもっとも体格の大きい男が、俺の腹へ拳を鋭く入れてくる。
息が詰まり、咳こみながらズルズルと膝を突いた。
倒れたところへ、あちこちから蹴りを入れられ、そのまま俺は気を失うまで暴行を受ける。
次に気が付いたときには、連中の別のアジトと思わしき廃ビルへと連れ込まれていたのだ。


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