目が覚めた俺は、自分が置かれた状況を正確に把握するために、裕に5分以上を要した。
どうやら自分は、後ろ手に手首を、そして両足首を縛られた状態で、床に転がされているらしいこと。
そして、声を出せば呻き声しか出ないことから、いわゆる猿轡という布を噛まされており、さらにここへ来る直前に暴行された為、躰じゅうが痛くて仕方がないということ。
幸い目の前はカーテンが掛かっていない大きな窓の為、外の状況は良くわかる。
明るい空の色はまるで昼間のようだが、果たしてそれがここへ来た当日で合っているのか、それとも一晩か二晩過ぎてしまったのか。
腹はとても空いている。
といって、暴行された以外に体力の消耗は感じない。
ということは、恐らく一晩ぐらいは過ぎたのだろうが、それ以上ではないらしい。
「あんた、やっぱり俺の友達によく似てるよ」
不意にどこからか声を掛けられ、辺りを見回す。
俺だけだと思っていたが、どうやら違ったらしかった。
足元を見ると、床にそのまま胡坐を掻いている青年が一人いて、興味深そうにこちらを眺めていた。
「むぅ、うむむむむ・・・」
お前は誰だと言ったつもりだった。
「ハハハハハ、何言ってるのか全然わかんないよ」
青年は可笑しそうにそう応える。
凄く腹が立った。
「うむう、うむむむむむー! むむむむむ、うむむむむ!」
てめえ、ふざけんじゃねえ。
とっとと、こいつを外しやがれ!
・・・・・俺としては、まあそういう気持ちだった。
伝わったとは到底思えないのだが。
すると青年がすっと立ち上がり、歩きながらこちらに向かって手を伸ばしてくる。
やや逆行でよくわからなかったが、金髪と大きな丸い目。
瞳の色は明るいブルーだろうか。
どうやら、ベッサラビア人ではないようだった。
年齢は20代前半だろうか。
「むは・・・・んで?」
漸く自由になった口元。
俺は彼に聞いたつもりだった。
何故?
何故猿轡を外したのかと・・・。
「だって、あのまんまじゃ話になんないでしょう? うん、やっぱりお兄さんよく似てるよ。ああ、俺はダリル。ダリル・ハーン宜しく・・・って、握手はできないか」
「おう、宜しくな。俺はジョージ・ゴドリーだ。・・・こいつを外してくれたら、握手もできるぞ」
試しに言ってみる。
「はははは。それは流石にできないよ。ごめんね」
やはり、そこまで都合よくはいかなかった。
不意に気になった質問をしてみる。
「なあ・・・お前のその友達って、ひょっとしてフィルのことか?」
俺に似ているという、『ジャルダン・スクレ』のフィル。
自分ではよくわからないが、スティーヴンはそうだという。
「まあね」
案の定、ダリルはフィルの友人だったようだが、俺がフィルを知っていることについて、驚く様子はない。
『ジャルダン・スクレ』の客だと思われたのだろうか。
そして、ダリルがこんなところにいるということは、フィルが元いたというホワイトチャペルのゴロツキ連中の一人ということなのだろう。
「俺を襲った連中はベッサラビア人だよな。お前はどう見ても違うだろう? なぜ連中と一緒にいるんだ? お前もあいつらと一緒に、アリス・レヴィを殺ったのか?」
「ふうん、なんでも知ってるんだね。デカだから当然か・・・まあいいや、教えてあげるよ。俺達のグループはフィルが抜けたことで、事実上解散状態だったんだ。とはいっても、フィルが声をかけたら、いつでも集まる連中ばかりだけどね。けど、もうグループとして行動はしてない。俺は知り合いのツテでこの『ヘキサグラム』に入れてもらったんだよ。ここはお兄さんが言う通り、ベッサラビア人のアジトさ。その、アリスなんとかっていうのはよくわからないけどね・・・」
ダリルはそう言って伸びをすると、コキコキと関節を鳴らし始めた。
結構疲れが溜まっているらしい。
よく見れば、目元に黒い隈ができている。
もしかして、俺を一晩じゅう交替なしに見張っていたのだろうか。
張り込みでも交替で仮眠をとるというのに、御苦労な話だった。
ダリルが両腕を高く上げながら、背筋を伸ばす。
窓を背景に伸ばした腕で作られた、横顔の陰影。
「それが・・・・・」
質問を口にしながら、ふと言葉を切った。
目の前のシルエットに、なぜか俺は妙な既視感があった。
・・・なんだ、これは?
「どうかしたの?」
ダリルが目を見開いてこちらの様子を窺った。
気のせいか。
「ああ、いや・・・。『ヘキサグラム』・・・それが組織の名前なのか。アリス・レヴィのことは、本当に知らないのか? 『ナイト・ホーク』というクラブのマネージャーだった女で、男装の麗人と言う奴だ。アルというのが愛称らしいんだが・・・」
「へえ、男装の麗人か・・・美人なの? それともイケメン? お兄さんの恋人とどっちが綺麗?」
興味深そうにダリルが聞いて来る。
俺の恋人を知っているわけでもないだろうに、そんなものを比べさせてどうするというのか。
一晩中寝ずの番をしていたわりに、随分と呑気な見張りのようだった。
人懐こい性格なのかもしれない。
さきほどの妙な感覚は、或いは俺の疲れがそう思わせただけだろうか。
こちらとて、飯も食わず、暴行を受けた躰で、夜通し床に転がされていたのだ。
その疲れは、ダリルの比較ではない。
ついでに言うと、年も一回り近く違うだろう。
「敢えて言うなら、綺麗な男って感じだな。・・・もういい、要するに知らないんだな。ガーラントはどうだ、市議会議員の」
質問を変える。
「ガーラントぐらい知ってるよ、選挙権あるし。ねえ、そのアリスっていう人のこともっと教えてよ。男装の麗人ってことはやっぱりレズなの? あと、お兄さんの恋人と」
妙なところを突いてしまったらしかった。
「さあな、多分そうだろう。少なくとも女の恋人はいたみたいだ。俺の恋人については、勘弁しろ。・・・で、結局ガーラントとベッサラビア人の繋がりについては、お前も知らないってことだな?」
聞いても無駄だろうと諦めつつ、一応念を押して確認してみると。
「ああ、ええと・・・そういえば後援会の創設者が『クライム・インコーポレイテッド』の代表者じゃなかったかな。名前は確か・・・そうそう、レプケ・ツビルマンだよ。ガーラントに献金とかもしてた筈だぜ」
ダリルが応える。
「なんだその、クライムなんとかって物騒な集団は」
「『ブラック・シンジケート』傘下のグループだよ。この『ヘキサグラム』と同じ事さ。ベッサラビア人ギャングの集団だよ」
どうということのないようにダリルが教えてくれる。
だが、これは大問題だろう。
「いや、ちょっとまて。今ガーラントに献金を送っていると言ったな。外国人献金は違法だろうが」
こうなると、捜査は早い。
思わぬところで尻尾を掴んだ気がして、ギャング集団のアジトで、手足を縛られて監禁されているにも拘わらず、俺の胸は喜び勇んでいた。
「連中がそんな、すぐ警察に捕まるような真似をするわけないでしょう。献金は後援会の代表者名義で、会長はクレメンス・フィッシャーっていう会社経営とかしてる、立派なイギリス人だよ。ちなみに金も、きちんと洗浄済み。残念だったね」
ダリルが俺の頭を撫でてくれる。
馬鹿にされているのだろうが、それにしても彼は、随分と簡単に組織の情報を俺に教えてくれると思った。
騙されているのか、あるいはどうでも良い情報なのか、彼自身はベッサラビア人ではないため、組織へそれほど忠誠心がないのか、それとも友達に似ているという俺に親近感を覚えているのか・・・。
真相はわからないが、とりあえず、聞けるだけのことを聞くしかなかった。


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