なぜかスティーヴンが救出に来てくれたお陰で、結果として俺は、約24時間ぶりにベッサラビア人ギャング『ヘキサグラム』のアジトから解放されていた。
アジトは案の定、ステップニーの空き家であった。
場所としては、最初に俺がアバラインと訪ねた建物の真裏にある、取り壊し寸前の廃ビル。
スティーヴンはあの場所へ、フィルの友人であるダリルを訪ねて来ていたらしい。
グループ引退後、フィルは何度かダリルがいる『ヘキサグラム』に顔を出していたらしく、スティーヴンもまた、フィルの仲介でダリルとは仲良くなっていたようだった。
それにしても、連中を捜査して襲われ、丸一日縛られて監禁されていた俺が、なにゆえ『ダリルの友人』であるというだけで、このスティーヴンが救出出来てしまうというのだろうか。
「友達に頼んで君を解放して貰っただけだよ」
馬車のなかで飄々と言ってのけるスティーヴン。
だが相手はギャング組織であり、これから俺が本格的に捜査しようとしている対象だ。
どうしてそんな場所へ、構成員の友達面をしてこの男が現れてしまうのだ。
そもそも偶然で済む話ではないだろう。
馬車はステップニー・ウェイを突き当たりまで走ると、ロンドン病院を左手に大きくカーブを描いて、ホワイトチャペル・ロードを目指す。
「あの建物にいた連中はどうしたんです?」
拘束を解かれ階下へ来てみると、『ヘキサグラム』のメンバーは消えていた。
「さあねえ、帰ったんじゃないかな」
「そんな説明を信じると思っているんですか? 今さっき自分で言ったばかりでしょう。友達に頼んで俺を解放させたと・・・そのお友達とやらの名前を教えて頂きましょうか」
「おいおい、何をそんなにむきになっているんだい? まったく君は酷いなあ・・・これでも僕は、君を窮地から救った白馬の王子様のつもりだったんだけどね」
どこぞの童話に、フリー・メイソン暗殺者の顔を持つ、白馬の王子がいるというのか!
突っ込みたい気持ちは山々だったのだが、真相がはっきりしない上に、助けてもらったのは事実である。
有耶無耶だらけで気持ち悪いのは確かだが、俺はこれ以上スティーヴンへの追及をやめることにした。
馬車は再びロンドン病院の角で曲がり、往来の激しいホワイトチャペル・ロードを西へ向けて走り出した。
もう間もなく署へ到着するだろう。
考えてみれば今日は無断遅刻もいいところで、昨日も連絡がないまま署へ戻らず仕舞いだ。
その理由がギャング組織へ監禁されていましたでは、アバラインへ合わせる顔がない。
どう言い訳したら良いものやら・・・。
・・・そういえば、終了って一体どういう意味だ?
俺は、改めてダリルのことを考えていた。
本人は友達がいるから、『ヘキサグラム』にいるだの、ベッサラビア人は憎いだのと言っていて、俺はそれを信じていたが、それにしても随分とベッサラビア人ギャングやガーラントについて詳しすぎた。
まるで、警察や探偵、あるいは新聞記者といった連中がそれなりの調査をしたかのように。
それに彼はこのスティーヴンが現れた瞬間、もう終了したのかと尋ねたのだ。
スティーヴンの回答は、とくになかったように感じたが・・・。
隣の男は窓の外へ視線を向けていた。
長い褐色の髪と灰色の瞳は、相変わらず狼を思わせる。
何が楽しいものやら、口元には不敵な笑みが浮かべられたままだった。
それを見ていると、俺はなんとなく腹が立ってきた。
ここはひとつ、正面から問い詰めるのではなく、陽動作戦を仕掛けてみてはどうか。
「それにしても、驚きましたよ。まさかダリルあんなことをしているなんて」
「ダリル? 彼が何か言っていたのかい?」
スティーヴンがこちらを向く。
表情へ特に動揺は見られないが、それまでの人を食ったような笑顔はなくなっていた。
ひとまず成功と見るべきだろうか。
「ええ、・・・言ったもなにも、彼とはさんざん話しましたからね。あなたのことも色々と言っていました。・・・まったく、それならそうと早く言ってくれたらいいのに」
不意にスティーヴンは視線を宙へ彷徨わせると、顔から完全に笑みを消した。
何か思い当たる節でもあるようだ。
つまり、ダリルとスティーヴンは繋がっている・・・そう見て良いだろう。
だとすれば、ダリルの目的は何だったのか。
スティーヴンはダリルを使っていた?
何のために?
そして、一体何を『終わらせた』というのか。
階下に『ヘキサグラム』の連中はいなかった・・・この状況が意味するものとは。
頭の中で何かが繋がり掛けた。
だが。
「ひょっとしてそれは、嫉妬かい? 嬉しいね」
「はい? ・・・って、ちょっと!?」
止める間もなく顎を捕えられ、間近に灰色の瞳が迫ってくる。
あっという間に口唇を押しあてられていた。
そして。
「君は駆け引きが上手じゃないね・・・考えていることが、全部顔に出てしまう。本当に可愛いよ」
耳元で囁かれ、次の瞬間には馬車から出て行ってしまった。
まさかと思い、窓の外を見る。
見慣れたホワイトチャペル・ロード前の景色。
いつのまにか、俺達はホワイトチャペル署へ到着していたのだ。
嫌な予感がして反対側を見ると、開け放たれた扉の向こうへ、庁舎を背にして立っているアバラインがこちらをじっと見つめている。
その表情は何とも言えず・・・。
「フレッド・・・違う。今のは誤解で・・・」
俺は急いで馬車を降りると、真っ先にアバラインへ事情を説明しようとしていた。
彼がどこから見ていたのかは知らないが。
「いいから戻って報告書をあげろ・・・いや、先に医務室へ行け。・・・それと、無事に戻ってくれてよかった」
俺を映してくれるヘイゼルの揺らめきに、真実は存在した。
ところ構わず、彼をこの腕に抱き締め、好きだと伝えたい衝動をどうにか押さえると、俺はまっすぐ庁舎へ入り、医務室へ直行した。
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