またしてもアーノルド警視がやってきて、アバラインを会議室へ連れ戻す。
これ以上、この件で話す気にもなれず、俺も席へ戻ろうとした。
その背中でキャラハンが不意に口を開く。
「イアン卿は近いうちに、議席を失うだろう」
「はい・・・?」
腰を下ろしかけた中途半端な姿勢で振り返ると、キャラハンは煙草に火を付けながら、眉間に皺を寄せている。
視線の先は窓の外。
殺風景な、ホワイトチャペルの汚れた煉瓦塀だ。
キャラハンは続ける。
「スティーヴンが所属する『ハンティング・パーティー』は、狐と呼ばれる裏切り者を狩っている・・・いわばフリー・メイソンの粛清組織だ。フリー・メイソンは友愛精神と互助精神と絶対視するが、一方で掟破りを犯した者は容赦なく始末され、その事実は完全な闇に葬られる。・・・ガーラントは君が睨んでいるとおり、ヴァイオレット・ミラーとアリス・レヴィを、ベッサラビア人ギャング組織『クライム・インコーポレイテッド』に依頼して殺害した。それも、ライバル議員の支持者へ、男装クラブ通いの事実を掴まれ、よりにもよって、辛辣な『スター』紙へスキャンダルをリークされたためにね・・・・。クラブの門番に金を握らせて支持者を暴行させ、『スター』紙へもどうにか圧力をかけて報道を抑えたみたいだが、口の軽いヴァイオレット・ミラーや、もっとも人に知られたくはない彼の性癖を知っているアリス・レヴィの口から、プライベートの恥ずかしい姿が明るみになることをガーラントは恐れた。そんなものを怖がるぐらいなら、最初からアンダー・グラウンドなクラブ通いなどやめておけと、俺は言いたいが・・・・ともかく、純粋な好奇心からアリスの事をライバル議員のネヴィルに尋ねられて、急に怖くなったんだろうな。ガーラントは、自分の言う事を何でも聞いてくれる、『クライム・インコーポレイテッド』を使って、二人を襲撃させた。君の睨んだとおりだ」
そこまで話すと、キャラハンは深く煙草を吸って、白い煙を一気に吐いた。
「そこまでわかっていて、警察は何もしないんですか」
「逮捕出来るものならしたいし、俺が直接取り調べをして、腐りきった根性と弛んで脂肪だらけの腹を叩きのめしてやりたいぐらいだ。・・・だが、俺がそれをすれば、俺だけではなくアンダーソン警視監の首が飛びかねないし、チャールズ卿もただでは済まないだろう。それだけじゃない。フレッドもなんらかの責任を問われることになる。そして君が同じことをすれば・・・・・・わかっているな」
「ええ・・・俺も、どうしようもない馬鹿ではありませんから」
組織を変えない限り、こういう問題はどこまでも付いて来る。
そして組織で動いている以上、どれほど改善を重ねようが、永遠に付き纏う問題なのだろう。
ふと、キャラハンの言っていたメンツを思い出し、改めて確認してみた。
なぜこの事件に、モンローが首を突っ込んで来るのか。
そもそもアンダーソン警視監は、何をしているのかと。
キャラハンは今度こそ、深く溜息を吐くと。
「恐らく今頃ロバート卿は、ツェルマットの山小屋でアルプスの登山道を記した地図と睨めっこをされながら、チーズ・フォンデュに舌鼓を打っておられるころだと思う」
「はぁ・・・それは一体、何事ですか」
言っている意味が、さっぱり理解できなかった。
さらにキャラハンが説明してくれたところによると、元々躰が弱いロバート・アンダーソン卿は、突然辞任してしまったモンローの後任人事としてCID部長を受け継ぐにあたり、拒否に拒否を重ねた揚句、主治医のアドバイスである一定期間をアルプスで静養することを条件として、遂に引き受けたのだという。
そんなわけで、暫くロンドンへは戻って来ないのだそうだ。
一連の連続殺人事件捜査の真っ最中に、呑気なものである。
モンローは元CID部長として実質的な犯罪捜査指揮と、恐らくは公安の独自捜査を目的として、ホワイトチャペル署へ乗りこんで来たのだろう。
事が王室絡みとあっては、確かにそれも無理はない。
「ところで君がアジトに捕まっていたという、『ヘキサグラム』だが、もう次に行っても意味はないから先に教えておく、連中は事実上の解散だ」
「どういう意味ですか? だって、さっきまで・・・」
「本日午後3時50分、付近住民の通報によりステップニー・ウェイ85番地のパブ『ライト・ハウス』で、ベッサラビア人の若者達が喧嘩をしていると通報があった。かけつけた警官によると、彼らは地元を中心に暴れ回っている、ベッサラビア人グループ『ヘキサグラム』のメンバーだと判明し、現行犯逮捕。暫く拘置所で寝泊まりしてもらうことになるだろう。連行してきてからも、随分と威勢よく、叫んでいたみたいだがな・・・見知らぬ連中が、突然ナイフを持って突っ込んで来たのだと。大した怪我がなくて良かった」
不意にさきほど、刑事課の前の廊下を、拘束されながら歩いていた赤毛の青年について思い出した。
「そうか・・・あいつ、昨日俺を襲ってきた・・・。ちょっと待って・・・、なんだか可笑しくないですか? 俺が捕まって、次の日にあいつらが喧嘩で逮捕されて、すぐにスティーヴンが助けに来てって・・・いくらなんでも、タイミングが良すぎる。そもそもどうして、スティーヴンがあそこにやって来たのか・・・」
キャラハンが苦笑した。
「質問が多すぎるよ、巡査部長。少し整理して聞いてくれないか? 恐らく君がなんとなく察しているとおり、『ヘキサグラム』を叩いた連中はスティーヴンの差し金だ。・・・というより、『ハンティング・パーティー』が差し向けた、実行犯グループってやつだな。『猟犬』、あるいは単に『犬』と呼ばれている連中だ」
「猟犬・・・」
その奢り昂った言い方に、なんともいえない嫌悪を感じだ。
宮殿の一室に拠点を置いて、殿下をお守りするという大義を根拠に掲げ、『狐狩り』などとふざけた遊びに興じて、権力を笠に邪魔者を排除する。
だが、実際に彼らが動くのではなく、手を下すのは『猟犬』と呼ばれる若者達。
自分達は宮殿の一室で殿下とお茶でも飲みながら、高みの見物ということか・・・。
「君に情報を与えた、人懐こい青年がいた筈だ」
「ダリルですね・・・彼については、俺もなんとなく違和感がありました。フィルの友達なんて言っていたけど・・・」
「ダリルとフィルは確かに仲間だった。ベッサラビア人に仕組まれて自分達のグループが解散に追い込まれ、フィルはつるむのをやめたが、ダリルはグループの復活を願い、ベッサラビア人達への復讐を目指すようになった。そこへスティーヴンは付けこんで、手下に収めたようだ。『猟犬』達が『ヘキサグラム』を叩いている間に、ダリルはアジトへ潜入し、君が下手に動かないように監視した。そして作戦が完了したところで、スティーヴンが白馬の王子のごとく君の前に現れて、救出したという・・・ああ、ここまでバラしてよかったのかな。ジェムに恨まれるな」
白馬の王子云々には、もはや突っ込む気力もなかったが、俺はなんとなく、嫌な予感がした。
「ちょっと待って下さいよ・・・俺が動かないようにダリルが監視したということは、まさかと思いますが、最初俺は縛られてなかったってことですか?」
「さあ、そこまでははっきりとわからん。だが、彼らにしてみたら、ガーラントや『クライム・インコーポレイテッド』のことで、嗅ぎまわっている君が鬱陶しかっただけのことだろう。それ以上に目的があったとは思えない。町のゴロツキとは言え、刑事を誘拐するほど馬鹿ではないだろうし、そうする利益があるとも思えない。殺したり犯したりするつもりなら、アジトから出掛ける前にさっさと行動へ移していただろうしな。だとすると、君を連れ込んだこと自体、人目につかないところで、ちょっと痛めつけてやろうぐらいの理由しかなかったと思うぞ。たとえば君が裸で凌辱されていたというならともかく、縛る理由が俺には思いつかん」
「わかりました、俺を縛ったのはダリルですね」
縛ることが、即時凌辱に繋がるキャラハンの思考展開については、さっぱり理解ができなかったが。
それにしても、ダリルの野郎・・・人の良さそうな顔をして、ふざけた奴だ。
「あらためて言うが、スティーヴンの目的は警察の監視と警告だけではない。あくまで粛清が彼らの仕事だ」
「粛清・・・」
その言葉の意味を、もう一度噛みしめる。
『猟犬』を使って、今回『ヘキサグラム』を解散状態へ追い込んだようなレベルの話ではないのだろう。
いや、『ヘキサグラム』の連中とて、拘置所から出たあと無事でいられる保障もない。
そもそも彼らが、五体満足で拘置所を出られるのかどうかも不明だろう。
『猟犬』と呼ばれる連中が、どこにどれだけ潜んでいるのか、俺にはさっぱり想像もつかないのだから。
「ガーラントがやったことは、同じフリー・メイソンであり、『ロイヤル・アルファ・ロッジ』の存在をも危機に晒した。グランド・マスターである皇太子殿下を危険に近づけたんだ。その護衛隊と言っても良い『ハンティング・パーティー』が黙っているわけないだろう」
つまり、場合によっては暗殺がある可能性も考慮しないといけない・・・。
「そこまでわかっていて、なぜ警察が見逃すっていうんですか? 新たな殺人事件を事前に予知しながら、放置するなんて・・・」
「何の話だ? 俺はそこまで言った覚えはないぞ。・・・・そもそも君は、さっきから誰と話をしている。俺は煙草を吸いながら、独り言を言っただけだというのに。・・・とりあえず、いつまで報告書に時間をかけているつもりなんだ。そろそろフレッドが戻って来るぞ」
のんびりとした調子でそう言うと、キャラハンは俺の灰皿へ煙草を押し付けてから出て行った。
たしかに、ここでキャラハンを責めたところで、どうしようもない話だ。
それにキャラハンは、今回の件で俺が受けた悔しさや苦労を理解しているからこそ、こんな話をしてくれたのだろう。
俺は少しだけ、キャラハンという男に対する認識を改めた。
やはり、アバラインが惚れただけのことはあり、全くの正義漢だ。
そして懐の深い、大人の男である・・・俺とは違って。
第2部完了
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