(登場人物紹介ページ)
・・・ ・・・ 第3部 ・・・ ・・・


9月14日金曜日。
朝から見世物小屋へ行ってみるが、テントの外にいた大夫に聞いてみると、リリーは事件直後に実家へ帰って以来、まだ一座に顔を出していないという。
彼女の恋人であったアリス・レヴィの捜査は、事実上打ちきりにされた。
それについて納得をしたわけでもないが、王室経由であり、上層部の方針として決まった以上、俺が単独で動くことはできない。
そんな話を、どう伝えたら良いのか俺にはわからないが、彼女には知る権利だあるだろう。
ホランドとの約束もある。
ハンバリー・ストリートから引き返し、少し遅れてホワイトチャペル署に到着する。
刑事課へ行ってみると、可愛らしい婦人が椅子にちょこんと座っていて、俺に向かってぺこりと頭を下げてくれた。
はて、こんな女とどこで知り合ったのか・・・うっかりナンパして、忘れているだけなのだろうかと近付き、良く見ると・・・。
「お前・・・まさかディレクか?」
「巡査部長・・・おはようございます」
朝っぱらから、なぜかディレクが女装していた。
「おはようございます。ゴドリー巡査部長」
「遅いよあんた」
ディレクの隣には、新聞を手にしたメイスンがおり、その隣にはなぜかまたリジーが来ていた。
どうやら盛り上げたディレクの頭の鬘とボンネットの為に、隠れて彼女に気が付かなかったらしい。
「一体朝から、なんの遊びだ?」
それも随分と楽しそうである。
「遊んでいるわけではないですよ、これ見てください」
手にしていた新聞を置いて、私服のメイスンが木箱の中身を取り出して見せた。
言われなくてもわかっている。
この1週間で、また山のように届けられた警察への投書だ。
「また随分と沢山、溜まったものだな」
「そんな目で見ているから駄目なんだよ・・・ほらあんた、ちょっとじっとしなよ。口紅がはみ出しちまうから」
無理矢理、椅子へ座らせたディレクに、リジーが化粧を始めた。
半開きの口唇へ、赤い色を塗られている様子が、妙に艶めかしい。
今にも泣き出しそうな目をしてはいるが、それが却って可愛かったりする。
どうでもいいが、俺の席だ。
しかたなく、俺は窓に背中を凭れさせると、化粧をされているディレクを、手紙の束を持ったままぼんやりと見つめているメイスンの腕を叩いて、意識をこちらに向けさせた。
「ああ・・・ええと、これらは全て、寄せられた投書から、とくに新たな捜査方法の導入について、発展的な意見を述べられたものです」
「そんなにあるのか」
「はい。意見が重なっているものも沢山あるのですが・・・これは以前から提案されていたものですが、私服警官の増加を求めるものや、捜査員へゴム底の靴を履かせろというもの。これはどうやら、現在シティ警察で導入が検討されているようです。さらに、婦人警官の導入・・・」
「そんな話があるのかい? だったら、あたしがなってやるよ」
白粉を持ったまま挙手して、リジーが名乗りを上げた。
辺りに白い粉が飛んで、ディレクが噎せている。
「おい、俺の机を汚すな」
「・・・まあ、現実的に女性を捜査へ参加させることは難しいですし、やるにしても制度の変更や法整備など、時間がかかります。訓練も必要ですし。・・・ですが、一連の殺人事件の犯人が狙っているのは、まさにその女性ですから、犯人をおびき寄せるという意味において、効果的であるとは思うんです。ならば、警官を女装させて、現場へ送り込むのはどうかと・・・」
「はあ・・・それでこうなったと?」
俺がメイスンと喋っている間にも、ディレクの女装は着々と完成へ近付きつつあった。
青い瞳の大きさを強調するように、丹念にアイラインを引かれ、頬にもほんのりと紅を差し、豊かな金髪の鬘を後ろで纏めて、ドレスと同じ水色のリボンで結いあげられた。
「いやはや、どこぞの令嬢かと思えば、ミス・ディレクか・・・」
入って来たベテランの警官に冷やかされ、ディレクは一層頬を染めて、俯いてしまう。
気の毒なこと、このうえない。
要するに、実験的観点から市民の意見を取り入れて、行き詰っている捜査に突破口を切り開こうという試みであるのだろうが、実情は若いディレクを玩具にして、面白がっているというだけであろう。
ディレクも先輩達の命令とあっては、抵抗も反論も出来はしまい。
「どうかしたのか・・・何をしている?」
会議室から戻って来たアバラインが、すぐに気が付いてディレクを直接問い質した。
「あの・・・これは、その・・・」
「邪魔だよほら、退いて退いて・・・」
しかしディレクが口籠っている間に、リジーから邪険にされて、アバラインはまたすぐに部屋から出て行った。
「お墨付きが出たな、ディレク。観念しろ」
現場責任者であるアバラインが、ディレクの女装を見て何も言わなかったということは、この捜査方法は認められたも同然だ。
本人も俺の言った意味がわかったのだろう、またがっくりと首をうなだれる。
「近いうちに実現しそうな捜査方法がこれですよ」
投書の箱を片付けたメイスンが、手に持っていた新聞を広げて、俺に見せて来た。
9月9日付の『ロイズ・ニューズペーパー』紙だ。
「ブラッドハウンド犬・・・、犬を使ってどうするんだ?」
「犬の嗅覚は大変優れていて、人の一億倍とも言われています。この投書主によると、今から12年前、ブラックバーンでエミリー・ホランドちゃんという7歳の女の子が殺された事件で、地元の警察はブラッドハウンド犬を使い、実際に犯人逮捕へ漕ぎつけたとあります。投書へはチャールズ卿も大変興味を示していましたから、近々犬を交えた訓練があると思いますよ」
「あの頭の固い警視総監が、本当にそんなことするかねえ・・・・ところで、メイスン。お前ひょっとして刑事になったのか?」
「いいえ。もう試験勉強は充分なんですが、中々推薦状を書いてもらえないもので・・・。巡査部長からもお願いしてくださいよ」
「そうだな」
俺の返事を、肯定的な物と受け取ったのかどうかは知らないが、どこか満足したような様子のメイスンが、新聞を片手に部屋から出て行く私服姿の後ろ姿を俺は見送り、一人で首を傾げた。


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