9月15日土曜日。
朝から議員会館の前で待ち伏せしていた俺は、午前9時を15分ほど過ぎた頃になって、意中の人物を見付けた。
喋りながら玄関前の階段を上がって来る二人の紳士。
白髪交じりの髪を後ろへ撫でつけている、腹の出た50歳過ぎの男は、市議会議員のイアン・ガーラント。
その少し後ろを歩いている、ほっそりとした黒髪の青年は、秘書のアンドレアス・バーカーだろう。
なるほど、あるいはドレスを着て鞭打たれたくなるような美形なのかもしれない・・・俺にそんな趣味はないが。
「おはようございます、イアン卿。御出勤時間は午前9時だと思っておりましたから、待ちましたよ・・・ひょっとして道が混んでいましたか? この辺りはデモが禁止されていませんから」
「君・・・、君は誰だね?」
玄関を入って来たガーラントの正面に立ちはだかり、いきなり彼の腕を捕まえたせいだろうか。
ガーラントは少し怯んだ表情で及び腰になった。
しかし、すぐに俺とガーラントの間にバーカーが割って入り、俺の手首を掴んでくる。
「卿から手を放したまえ」
「お時間を少し頂けますか?」
俺は大人しく手を引くと、身分証明書を出してガーラントへ許可を乞う。
そして万一に備え、出口側を塞ぐ位置へ移動した。
よもや逃げられることはないだろうが。
「刑事か・・・何の用だ」
「アリス・レヴィについてお聞きしたい。あなたとこちらのバーカー氏は、8月以降、頻繁にホワイトチャペルのクラブ『ナイト・ホーク』へ通われていましたよね」
「つまらない質問をするなら帰りたまえ。卿はお忙しい方なんだ・・・」
またバーカーが邪魔をして、強い口調で俺を非難した。
線の細い美形の癖に、なかなか気の強い性格らしい。
だからと言って、ぜひ鞭打ってほしいと俺は思わないが。
「かまわんアンディ。・・・どうせ調べて来たのだろう? 君が言いたいことを聞こうじゃないか」
「8月末、同じ市議会議員であるブライアン・ネヴィル氏にあなたは、この議員会館入り口で呼び止められ、アリス・レヴィの紹介を依頼されて断った。その後ネヴィル氏は、あなたの仲介を、あっさりと諦めたが、あなたは気が気じゃなかった。なぜなら『ナイト・ホーク』は男装の麗人が接客をし、男の客が女装して楽しむクラブであり、マネージャーのアリス・レヴィは店内におけるあなたをよく知っている人物だからだ。今後、第二、第三のネヴィル氏が現れ、いつかアリス・レヴィや、彼女を贔屓にしている、口の軽い高級娼婦、ヴァイオレット・ミラーと知り合い、貴方の性癖を暴露されるとも限りませんからね。そしてあなたは、ベッサラビア人ギャングの『クライム・インコーポレイテッド』に依頼し、彼女達を始末した・・・」
そこまで特に表情の変化もなく聞いていたガーラントだが、『クライム・インコーポレイテッド』の名前を俺が口にしたところで、漸く目を合わせて来た。
「ほう・・・」
しかし、それだけ言うと、再び口を閉じてしまう。
俺は話を続けた。
「今月に入って施行された、『環境維持規制』ですが、あれはどういうわけか実施区域がステップニー周辺に限られていますね。理由は病棟のある医療施設の近くであるということと、商業区域における施設利用客へ配慮してということですが、そんな場所は他にいくらでもあるというのに、どういうわけかやたらとステップニーばかりが熱心だ。おかげでラスクのような五月蠅い自警団が、あのあたりで騒動を起こすこともなくなって、我々も助かってはいるんですが」
「そんなこと、私に言われても知らんよ。目障りな扇動屋が大人しくなって、良かったじゃないか」
「確かに。ちなみにこの規制案の通過にあたり、あなたは随分と熱心に、他の議員達へ働きかけ、制定を急がれていたようですね」
「元々が夏前から出ていた話だ。夏季休暇を跨いでしまって、寧ろ時間が掛かり過ぎたぐらいだよ」
「なるほど。・・・ともあれ、静寂を強制されたステップニーではデモや街宣活動がなくなり、自警団が集まっただけで、警官が飛んで来て解散を命じられるようになった。政治活動も集会も、臣民に与えられた正当な権利だというのに、あの地区においてはその自由がなくなったわけです」
「私に言っても仕方がないだろう。それは過剰に取り締まる、君達警察が改善すべき問題じゃないのか」
「ごもっとも過ぎて耳が痛いですね。上司から、ステップニー地区の警邏責任者へ注意してもらうように求めてみます。・・・いずれにしろ、そういった経緯で、あの地区で市民が政治活動や自警活動をしなくなった結果、幅を利かせるになったのがギャング達です。とくにステップニーはベッサラビア人の『クライム・インコーポレイテッド』が根城にしている地域ですから、五月蠅い連中がいなくなれば、その分だけ彼らは商売がしやすくなる」
「その分だけ、警察が警備を強化すればいいだろう」
「それも仰るとおりなんですが、恥ずかしながら先日来の殺人事件に、あちこちで暴動や喧嘩が絶えませんからね。なかなか思うように、目が行き届かないというのが現実なんです」
「結局君の言っていることは、ただの言いがかりじゃないか。確かに私は『環境維持規制』に賛成したし、『ナイト・ホーク』へ通っていたことも認めよう。しかし、規制の施行によって、警官が過剰取り締まりを始めたことや、ギャングの活動が活発になったことまで、私の責任にされてはたまらないよ。いい加減にしたまえ」
「そうかもしれません。ですが、『クライム・インコーポレイテッド』の利益を上部団体である『ブラック・シンジケート』が吸い上げて、さらに地下銀行経由で彼らの母国に送金されて、構成員の親族経営会社がクレメンス・フィッシャーの会社と取引し、彼の名義であなたの資金管理団体や後援会へ多額の献金がされている事実はどう説明されますか。クレメンス・フィッシャーはあなたの後援会会長ですよね」
「何か問題があるのかね。『ブラック・シンジケート』とやらの構成員の、それも親族が経営している会社と、フィッシャー氏の会社が実際に取引をしているかどうかまで私は知らないが、普通そういうものは商行為と呼ばれるんじゃないのか」
「一般的な商行為でしたら、その点において問題はないでしょう。ですが、仮に縄やら紐やらといった安価な物が、法外な価格で取引されていたとしたら、極めて興味深いということになります。しかも相手は、ギャング構成員の親族だ。それに一連の資金の流れが、明らかにあなたと、ギャング組織との繋がりを示すものである場合、それらの資金の流れは総合的に、マネー・ロンダリングと看做されるでしょう。警察を甘く見ないでください」
「証拠があるのかね」
ガーラントが重々しく聞いた。
「残念ながらありません」
俺が応えたとたん、ガーラントが大声で笑いだす。
その声が議員会館の天井の高い玄関ホールへ、面白いように響き渡る。
「大した男だ。今どきの警察は、証拠もないのに市民を犯罪者扱いするのか。呆れた捜査方法だ。そんなことだから、殺人犯一人捕まえることもできないんじゃないのかね?」
「ご意見謹んで承ります・・・」
こればかりは、俺に反論できる筈もない。
「ジョージ・ゴドリー巡査部長と言ったか・・・君は今、私に対して何をしたかわかっているのかね。市議会議員である私を議員会館の玄関口で侮辱し、貴重な公務時間を無駄にさせ、恥を掻かせて、人を犯罪者呼ばわりしたんだよ。いいか? 君は警察を甘く見るなと言ったが、同じことを言わせて頂く。議員であり、皇太子殿下とも面識のある私を、甘く見ればどうなるか・・・この件は、君の所轄署長に必ず伝えさせて頂く。君の将来はあまり良いものではないと思いたまえ」
正直に言って、失敗したと思った。
アバラインとキャラハンの顔が、交互に脳裏をよぎる。
警告はされていた筈だった・・・なのに、どうして勝算も無いのに、正面から乗りこんで真っ向勝負を挑んでしまったのか。
俺だけならいい・・・フレッド、あなたを道ずれにしたくはない。
屈辱だったが、こうするしかないだろう。
謝ってどうにかなるような問題ではないだろうが・・・。
「申しわけ・・・」
俺が頭を下げようとしたその瞬間。
「これはイアン卿、朝から随分と興奮なさっていらっしゃいますね。血圧が高くなりますよ」
聞き覚えのある声と、同時に長い腕が肩に置かれて、俺の動きを封じてしまった。
「ミスター・ジャスティスの御令息・・・」
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