9月27日木曜日。
マスターお手製の手作りラム・レーズン・スコーンに、心から感謝をしながら『テン・ベルズ』を後にする。
「まさか、お土産まで持たせてくれるなんて・・・」
甘いラム・レーズンの香りを胸一杯に吸いこみ、紙袋にたっぷりと収めた愛情たっぷり手作りスコーンの重みとしっかりと受け止め、そろそろ一度ぐらいデートに誘ったほうがいいのだろうか・・・などと考えつつ、秋深まりしコマーシャル・ロードを歩きはじめるのだった。
もちろん冗談だが。
「いやいや、それにしても最近のマスターはどうかしているだろう・・・お土産付きなんて、やっぱり俺に惚れてるんじゃないか?」
相変わらず無愛想この上ないムッスリとした顔で、「いらなければ置いて行けばいいでしょう!」なんて言いつつ、顔は真っ赤で心なしか目を潤ませながら、スコーンの袋を突き出されたら、置いて行けるわけがない。
「それで、愛情たっぷり手作りラム・レーズン・スコーンなんて、持って帰っちゃったんですか? 愛しのフレッドがいるっていうのに?」
「そうなんだよな・・・こんなもの見つかりでもしてみろ。あの眼光鋭いヘイゼルの瞳でロック・オンされた上で、こちらが根を上げるまでネチネチと尋問されて、ありもしない罪まで認めかねないぞ・・・って、なんでお前がここにいる!」
『スピッタルフィールズ・マーケット』の前で立ち止まった俺は、隣で鼻をひくひくさせながら付いて来ている、野良犬のようなベイツの眼鏡に人差し指を突きつけた。
「指紋が付くから、それ以上近づけないでください・・・。それにしても、刑事の癖に根性がない人ですね。いくら上司に追及されたからといって、ありもしない罪を認めるとは、何事ですか。・・・いや、しかし美味しそうな匂いだ。ちょっと袋の口を開けて、見せてくださいよ、その愛情たっぷり手作りラム・レーズン・スコーンを」
俺は袋の口を開けて、ベイツに見せてやった。
「お前はあの人と論議したことないから、そんなことが言えるんだ・・・おい、誰が食べて良いと言った!」
「ひとつぐらい良いじゃないですか、そんなにあるのに・・・。恋人になっても、上下関係っていうのは変わらないものなんですか?」
俺が袋の口を再び握りしめると、ベイツはいじましい手を引っ込め、指先を咥えて未練がましく視線でスコーンを追った。
人が貰ったスコーンに、なぜそこまで執着するのだ・・・。
「まあなあ・・・そこらへんは、俺が年下っていうのもある・・・・で、一体何の用だ。なぜ、俺に付いて来る」
うっかり、ベイツに乗せられて喋り過ぎてしまうところだった。
「ええと・・・誰が誰より年下なんです?」
「何の用だ!?」
俺が重ねて追及すると。
「さっき通信社の人間と会ってきたんですよ。そこでちょっと面白い話を聞いたんですがね・・・愛しのフレッドって何歳でしたっけ?」
そう言ってベイツが首を伸ばして、俺の手元を覗きこむ。
俺は溜息を吐くと、紙袋の口を開けてベイツに差し出してやった。
「ほら、好きなだけ持って行け。・・・で、どの通信社が、何の話をしていたんだ?」
「『セントラル・ニューズ・エージェンシー』ですよ。一連のホワイトチャペル殺人事件で、変な手紙が届いたらしくて・・・そうですか。それではお言葉に甘えて、ひとつ頂きますね」
ベイツは紙袋に手をガサガサと突っ込んで来ると、掌に余るほど大きなスコーンをひとつ掴んで、ガブリと齧りついた。
特別大きなものを掴んだのかと、いまいましい気持ちで袋を確認したが、スコーンは全てその大きさであり、まだ5つほど中に入っている。
「どうせあれだろ、変質者の振りをした悪趣味な悪戯とか、もしくは奇妙な捜査方法の提案や批判のたぐい・・・その手の手紙なら、警察にも死ぬほど届いてるぞ」
俺もスコーンをひとつとって、齧りついた。
甘いラム・レーズンの香りが、口の中へいっぱいに広がる。
さきほども、二つばかり食べてきたところだが、やはり美味い。
「まあその手合いでしたら、たしかに我が『スター』紙にも沢山届いていますがね・・・まったく、どうしてあなたはそういう目でしか物事が見られないのでしょう。そんなことだから、捜査がなかなか進展しないんですよ。・・・しかし美味しいスコーンですね。今度僕もマスターへ注文してみます」
「なんだ違うのか・・・じゃあどういう手紙が『セントラル・ニューズ・エージェンシー』に届いたっていうんだ? ・・・スコーンはメニューにないから、頼んでも無理だと思うぞ」
「どうしてです? ジョージはこうして、お土産まで貰えているのに」
「だって、そこはそれ。ほら・・・マスターって多分、俺に惚れてるから」
もちろん冗談だ。
「あなたって人は・・・まあ、いいでしょう。そういうことをあちこちでしていると、しまいに痛い目を見るのはご自分ですから」
なぜかベイツは、心当たりがある・・・とでも言わんばかりに、丸眼鏡の奥で目を細め、呆れたように溜息を吐いた。
「おい、俺が一体何をしたことを、お前は知ってるって言うんだ・・・。それから、どういう手紙が『セントラル・ニューズ・エージェンシー』に届けられたんだ、早く教えろ」
「それは言えませんよ」
「何だやっぱり言いがかりか!」
「何の話をしているんです。『セントラル・ニューズ・エージェンシー』に届いた手紙の内容ですよ。新聞各社へ発表されるまで、口外しない約束なんです」
そういうと、手に残っていたスコーンの欠片をパクリと平らげ、ベイツは掌をパンパンとはたいて、指先の汚れを落とした。
「おい、それじゃあさっぱりわからん。ヒントぐらい教えろ」
「駄目です。担当者と約束しましたから。破ると、今後我が『スター』紙へニュースを下ろして貰えなくなりますからね」
「なんだそれ・・・わかった。どうせ大したことないんだろ。もったいぶった言い方しやがって。・・・そうかなるほど、読めたぞ。お前は、このマスターの愛情たっぷり手作りスコーンを分けて欲しくて、俺が気を揉むようなことを言ったわけだ」
「ジョージ・・・僕はあなたの、そのどこまでも頭が悪そうで、いい年をしながら、まるで子供みたいな物の考え方しか出来ないところに、惹かれていなくもないです。ですが、もう少しだけ思慮深く狡猾にならないと、この犯人とは互角に戦えないと思いますよ。・・・さて、そんなジョージに、僕からもうひとつだけ贈り物をあげましょうか」
「てめえ・・・」
なんだか酷く失礼な言い方をされ、ベイツを殴るつもりであげていた拳は、次のセリフによって空中に縫い止められたのだ。
「ハンバリー・ストリートの見世物小屋で、あの日本人両性具有がとうとうサルと合体したようです」
5分後、俺はコマーシャル・ストリートを引き返し、ハンバリー・ストリートの見世物小屋前まで来ていた。
そこでは、頬と尻を赤く塗り、茶色い毛皮の着ぐるみを着て、長い尻尾を地面に引き摺ったサキが、泣きそうな顔をして必死に呼び込みをしていた。
翌日、また偶然道で遭遇したベイツを、俺が会うなり一発殴っておいたのは言うまでもない。


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