『茜差すとき』 ポスト春日・・・そんな渾名、誰も欲しいなんて言っていないのに。 7月下旬の日曜日。 ラナのエンブレムをボディに大きくペイントした白いチームバスは、音楽の都ザルツァッハから宿泊ホテルのあるピンツガウゼー=スートへ向かって幹線道路を走っていた。
この夏、ラナFCはエスパニア・リーグ2部へ降格し、チームのアイドル的存在だった春日甚助(かすが じんすけ)は、彼との別れを惜しむサポーター達の涙に見送られ、フェリアのレアル・ベルデへ移籍した。
昨シーズンはレアル・ブランコBで、その前はレアル・ブランコCでプレーしていた僕、マヌエル・プラネスが、ラナへの移籍を決めたのはそんな頃。
いくつかの偶然が重なり、僕の入団発表は、概ねラナのサポーター達から好意的に捉えられていた。
レアル・ブランコの下部組織育ち、ピボーテというポジション、メディアが言うところによると、可愛らしく見えるらしい外見、様々な要素が春日を思わせ、チューファの地元スポーツ紙はこぞって僕のことを『ポスト春日』だと持ち上げてくれた。
そして、僕は当然のように、彼から背番号も受け継ぐことになった。
僕たちは、チームのキャンプ地であるピンツガウゼー=スートから、ザルツァッハを訪れ、オーストリアの強豪、FCローズブル・ザルツァッハと練習試合をした。
結果は2−1でラナの負け。
それでも、欧州チャンピオンズ・リーグ常連のクラブチームを相手に、ファンラ・カスティーリョ、イバン・ヒメネスの素晴らしい連携から、右サイドを上がっていた石見由信(いわみ よしのぶ)が押し込んで決めた前半20分の先制点は、たとえ負けたにしても称賛され、メディアやサポーターが、その後の2失点をそれほど悪し様に責めることはなかった。
失点のうちの一つは、セットプレーによるもの。
相手ディフェンダーに対する厳島景政(いつくしま かげまさ)のマークが外れ、その隙間を狙って走り込んで来たフォワード選手にヘディングで決められたゴールだ。
もう一つの失点は、僕のトラップミスが原因で、ゴールに繋がる流れを作らせてしまった。
それ以外にもこの試合における、目を覆いたくなるような僕のミスは、数え始めたらキリがない。
ザルツァッハ川に沿って広がる、標高400メートル程度の街並みは、緑深い高原の森に囲まれて、その向こうへゴツゴツとした灰色の暗い岩肌が、ところどころに見えている。
森から突き出しているように見える二つの岩山の、ちょうど間へと沈みかけている夏の太陽が、淡い光を僅かに残し、教会の塔を中心として、赤い屋根が建ち並ぶ、静かな山間の街を、憂鬱な茜色に染め上げる。
途中、トイレ休憩がてらに立ち寄ったドライブインで、少々長めの自由時間をとることになった。
ジャージ姿の選手たちが、駐車場へバラバラと降りてゆく。
ショッピングモールを覗きに行く者、カフェに入ってコーヒーを飲む者、夕焼けに聳え立つデュルンベルクの岩山をデジカメに収める者など、過ごし方は様々だった。
皆がバスから出払った頃を見計らい、手ぶらで僕ものろのろと降りてみると、夕方の湿った空気が少し鼻に付いた。
名前を呼ばれてショッピングモール側を振り返ると、先に降りていたイバンが小走りに駆け寄って来る。
「今から岩塩抗を見に行かない?」
「岩塩抗?」
そういえばハラインは、塩で有名な街だった。
「入り口からトロッコ列車に乗って、長い滑り台を降りたり、地底湖で舟に乗ったり、楽しいらしいよ。ミイラもいるんだって。1時間ぐらいで見物できるから、十分出発時間にも間に合うし、一緒に行こうよ」
イバンは僕より1歳年上と聞いていたのだけれど、なんだか子供みたいな奴だ。
駐車場を歩きながら、適当に相槌を打ってやる。
1メートル程前を歩いている、ナチョ・マルティネスやファンラも、同じ話をしているところを見ると、観光はどうやら彼らも一緒のようだった。
岩塩抗の入り口は、ここから徒歩で10分程度。
再集合は2時間後ということだから、確かに十分間に合うだろう。
不意にファンラが振り向き、何かの同意を求めると、イバンがテンション高く肯定の返事を返していた。
質問内容は、聞き逃した為にわからない。
なんだか面白くない。
「悪いけど、僕はいいよ」
誘いを断ると、僕はすぐに方向転換をして、商業施設の並びにあるトイレへ、小走りに向かった。
後ろから名前を呼ぶイバンの声が聞こえたが、無視してトイレへ入った。
イバンやファンラ達と一緒に観光したくないわけではない。
しかし、あんな酷い試合をしておいて、とても今は地底湖やミイラを見物をするような気分ではなかった。
「それぐらい、わかってくれても良さそうなのに・・・」
いつもは好ましいイバンの笑顔の無邪気さが、なぜだか癇に障った。
イバンもファンラも、今日は活躍していたから、ヘマをした僕の気持ちなんてわからないということなのだろうか。
そう思うと、余計に腹が立った。
結構空いていたトイレで用を足してすぐに出て来ると、入り口でイバンに出迎えられて驚かされる。
「なんで・・・」
ニコニコとしたいつもの笑顔。
どうやら彼一人のようだった。
不意に手をとられる。
「買い物に行こうよ」
僕の返事も聞かずに、勝手にイバンが隣のショッピングモールへ向かって歩き始める。
「地底湖はどうしたんだよ」
あんなに楽しそうに、岩塩抗の説明をしていたくせに。
「うん、ファンラ達だけで行って貰った。でも、保護者として東寺さんも同伴しているから、きっと大丈夫だよ。・・・あっ、あっちの方にお土産物屋さんが並んでいるみたいだ。見に行こう」
そう言うと、イバンは僕の手を引いたまま、小走りを始めた。
東寺勢源(とうじ せいげん)が一緒なら、確かに迷子の心配も、集合に遅れる懸念もなさそうで安心だ。
しかし今の話では、まるで当初は東寺さんの代わりに、イバンが保護者として同伴する予定だったような言い種ではないか。
もっとも、二十歳を超えたファンラやナチョに保護者が必要な事態が、そもそも可笑しいのだが。
仮にイバンが行ったとしても、世話好きの東寺さんならきっと、やはり保護者として同伴を買って出たことだろうことは、想像に難くない。
それにしても・・・一時的にであれ、ナチョと二人きりになれるかも知れなかった目論見が、あっさりと崩れたファンラは、さぞかしがっかりしたことだろう。
そんなことを考えて、内心、意地悪な笑いを堪えていると、手が強く引っ張られて、建物の中へと引き込まれた。
「おい、イバンそんなに引っ張るなよ・・・」
「時間はまだ沢山あるけど、ここ、広そうだから早く見て回らないと、良い物見つからないよ!」
そう言うとイバンは僕の手を握ったまま、両脇に店が立ち並ぶ通路を、どんどん歩き始めた。
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