10分後、チョコレート菓子だのアプリコット酒だのを、熱心に見て回っていたイバンを、適当に売り場へ置いてきて、先に僕はショッピングモールを出ていた。
日がかなり傾いていた高原の駐車場は、ときおり強く吹き付ける風がひんやりとして、少し寒く感じられた。
長く伸びた自分の影を追うようにして、アスファルトを歩く。
後ろから、店に残されたイバンが気づいて、追って来る様子はなく、少し不貞腐れた気分になる。
「なんだよ、人のこと強引に引っ張って来て、あんなに買い物に夢中になりやがって・・・」
人気の少ない駐車場に、ぽつんと置かれた白いバス。
開いたままの入り口へ回り、ステップへ足を掛け、そこで立ち止った。
中から漏れ聞こえてくる話し声に、一瞬、心臓がドキリと高鳴る。
最後列のシートにだらしなく寝そべりながら、携帯で楽しげに話している男が一人。
「・・・・・春日」
日本語で話されていたらしい会話の内容は、僕にはわからなかった。
だが、最後に聞こえて来た音声は、僕がこの夏、嫌と言うほど意識させられた、日本人選手の名前。
春日甚助。
しかも、そう呼びかける彼の声音の、なんと甘く、慈しみに満ちていたことだろう。
「おっと、あぶねえ。なんだい坊や、こんなところに突っ立って・・・」
不意に背後から掛けられた言葉で僕は入り口を振りかえり、バスへ入ってこようとしている人物へ、焦りながらステップの片側を空ける。
「すいません・・・どうぞ」
男が運転席へ戻って来ると、4人掛けの後ろのシートを独占していた彼が携帯を閉じて、入り口の方へ向かい、車内をゆっくりと歩いてきた。
「アルフォンソ、トイレの場所はすぐにわかったかい?」
「ああ、悪かったな厳島。で、すまねぇけど、もう一度だけ出て行ってもいいかい? 近くに良さげな店があったんで、そこでブローチかスカーフでも買って来ようかと思ってさ」
「もちろんいいよ。奥さんは幸せ者だね」
「そんなんじゃねえさ。手ぶらで帰ったら、小遣い減らされるからに決まってんだろ。じゃ、悪いな。マノリートもそんなところに突っ立ってねぇで、座るか、出て行くかはっきりしろってんだい」
「あ・・・すいません」
厳島と騒々しく会話をしながら、運転席からバッグを拾い上げると、アルフォンソはあっというまに、再びバスから出て行った。
ステップにとり残された僕は、車内へ視線を戻す。
意味ありげな薄笑いを浮かべて、厳島がじっと、こちらを見下ろしていた。
その距離が思いのほか近くて、焦って僕は後退る。
手首のあたりを引っ掛けた銀色のポールに、体重を半分ほど預けるような姿勢で立っていた厳島は、もう片方の掌で意味もなく携帯をパカパカと開閉すると。
「盗み聞きは感心しないな、マノリート」
先ほどの、携帯の会話のことだ。
「聞かれたくないなら、バスで話さなきゃいいでしょう」
「あっちから架かってきたんだ」
「だったらバスを出て話すとか、人に聞かれない方法はいくらでもあるじゃないですか」
「バスを無人には出来ないだろ、貴重品を放り出して出て行ってる奴もいるし」
「あなたが、留守番をしていたんですか?」
「まあ、途中からだけどな。アルフォンソだって、トイレぐらい行かせてやらなきゃ可哀相だ」
「それもそうですね・・・盗み聞きですけど、心配しないでいいですよ。どうせ日本語なんてわからないし」
「そういや、そうだったな」
「・・・春日甚助と、仲いいんですか?」
「言った傍から、わかってんじゃねぇか」
「名前ぐらいは聞きとれますよ」
「本当に名前だけなんだろうなぁ。このチームは日本人多いから、日常的に日本語が溢れ返ってるだろ。・・・アルフォンソなんて、簡単な単語ぐらいなら、もう覚えちまってるみたいだし」
「聞かれちゃ不味い電話だったんですね、やっぱり」
愛しそうに春日の名前を呼ぶ声。
何でもない間柄とは思えない。
「何だ、気になるのか?」
「べつに気になるって言うか・・・・・そりゃ、まあ無関心ではないです」
あんな風に誰かへ呼びかける、彼の声。
愉快でいられるはずがない。
「なるほどな・・・、同じブランコのカンテラ育ちで、ポジションも同じとなれば、無視しろって方が難しいか。お前ら誕生日まで一緒だもんな」
そうなのだ。
僕の誕生日は2月16日で、僕と春日は丸7歳違いということになる。
最初にこれを知ったときは、「ポスト春日」と書きたてるメディアに、いい加減うんざりしていた頃だったから、嬉しくもなんともなかった。
だが、厳島の口から同じ話を聞いた今、何故だか少しだけ嬉しく感じられる。
「僕の誕生日、知っているんですか?」
「まあな」
それがたとえ、偶然春日と同じだから、すぐに覚えられたのだとしても、なぜか悪い気はしない。
こんな風に感じている自分が、滑稽だった。
「笑っちゃいますよね、・・・本当」
「同じ誕生日が、そんなに可笑しいか?」
「ポスト春日・・・・同じブランコ出身で、同じポジション、誕生日も同じ・・・背番号まで引き継がせてもらって、それなのに・・・」
そこで一旦、言葉を切った。
不意に吹き付けて来た強い風が、この夏切り損ねた髪を乱し、車内のカーテンレールを、少し五月蠅く鳴らしていた。
誰かが無造作にシートへ放置していた、スポーツ新聞のページが捲れて、カラフルな折り込み広告が、1枚通路へ落ちて来る。
厳島がそれを拾って、新聞の下へ挟みこんでいた。
ひとつ溜息を吐く。
ほんの数時間前の失態が、まだ気持ちの上で整理出来ておらず、僕は自分で口にすることもできずにいるのだ。
何んと、なさけない様なのだろう。
プレシーズンマッチは、身体を慣らしたり、戦術をテストする以外に、20名以上いる選手を篩にかける意味もある。
ザルツァッハ戦で、欧州を舞台に戦うチームとの格の違いを見せつけられ、そしてチームメイト達とのレベルの差も思い知らされた・・・・たった1試合で、僕は始まったばかりの今シーズンを、あるいはその先のサッカー選手として人生の行く末すらも、心配しなければならない程の現実とぶつかっていたのだ。
レアル・ブランコを追い出され、2部に降格したラナFCですらもポジションを手に出来ないとなると、ここを放出された僕には明るい未来が待っているとも思えない。
あの90分は、僕に対して、十分にその可能性を感じさせてくれたのだ。
・・・何がポスト春日だ!
今後、試合を消化するに連れ、化けの皮が剥がれてゆく僕に、サポーターは期待を裏切られ、チームメイトからの信頼も崩れ、メディアにそのお粗末ぶりを書き立てられる・・・いや、僕のことなんか、あるいはあっという間に、彼らは忘れるだろうか。
そんな日が来てしまうのが、僕は怖い。
何もかも、まだ始まったばかりだというのに・・・。
「お前はお前、春日は春日・・・だろ」
「えっ・・・」

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