ビジャロブレード戦は、1部、2部を通して、思い起こせる限り過去最低のゲームだった。 ・・・なぜだ!? 颯爽と走ってきた主審は、ビジャロブレード側にフリーキックを与えると、胸ポケットに指を差し入れ、タックルを仕掛けた東照宮へイエローカードを突きつけた。 カルロス・リテラトゥラのアウェー用のロッカールームには、この日、重苦しい空気が流れていた。
ベルナルド・シュステル監督の読みは悉くはずれ、ホームの利を十二分に生かしたビジャロブレードの攻撃を受けて、ラナは完全にゲームを支配されていた。
1点、2点とゴールが決まり、冷静さを失った俺たちに、自力でゲームを修復できるような余力は残っていなかった。
シュステルの顔が、徐々に表情を失くしてゆく。
監督・・・指示を・・・。
何人もの選手たちがピッチサイドを振り返っていたが、シュステル監督に動く様子はない。
彼もまた、予想外の展開に戸惑っていたのだ。
俺が冷静にならなくちゃいけない・・・。
頭をフル回転させ、皆を落ち着かせる言葉を探す。
そのときだった。
死角から現れたビジャロブレードの選手にボールを攫われ、俺は慌てて白黒ストライプのユニフォームを追いかけた。
「春日、どいて!」
後ろから掛けられた仲間の呼びかけで咄嗟に道を開け、そこへ東照宮小次郎(とうしょうぐう こじろう)が鋭いスライディングを仕掛けて、敵からボールを奪い返した。
だが、次の瞬間、エスタディオ・カルロス・リテラトゥラのピッチへ高らかにホイッスルが鳴り響いていた。
「ボールに行ってた!」
東照宮は猛然と抗議した。
俺も最初は彼を庇った。
今のはファウルじゃない。
東照宮はボールだけを綺麗に奪ったのに、掠ってもいない足をわざとらしく縺れさせて、ビジャロブレードの選手が一人で倒れたのだ。
敢えて言うならテクニカルファウルだ。
こういう瞬間に選手が演技をすることはよくあるが、少なくとも今のは審判が見間違えるほど際どいプレーではなかった筈だ。
ましてやカードが出るような危険行為では、絶対にあり得ない。
それでも俺は、主審に食ってかかる東照宮を止めることにした。
これ以上抗議を続けさせると、2枚目が出ないとも限らない。
今日のアルビトロ(審判)は、俺達に好意的ではなさそうだ・・・いや、今日も、だ。
「・・・春日っ!?」
「判ってる・・・でも仕方ない」
その後の彼は散々だった。
一度芽生えた審判陣への疑念は、なかなかゲーム中に消えるものではない。
東照宮の一件を見ていた、他の仲間達も、同じように彼らを疑いの目で見始めていた。
ゲームは俺達の負けだ。
3−0。
俺達は、自滅した。
ほんの2週間前、10ポイント近くあった、リーグ残留争い中のライバル、RCDバラレッツとの差は一気に3まで縮まった。
俺たちはこのあと、来週末のアスルグラナ戦にナランハ戦、サブマリノ戦と、格上との対決ばかりが残っている。
バラレッツもレオネス戦にラコルーニャ戦、ベルデ戦と顔ぶれはどれも強力だが、この中でモチベーションが高いのは、恐らく欧州が懸っているベルデのみ。
あとはこれといった目標が見当たらないチームばかりなので、いやらしい言い方をすれば、「買収」するのも簡単だ。
俺は信じたくもないことが、「ない」とは言い切れない。
現に選手の給料もまともに支払えていないラナには、今シーズン奇妙な出来事ばかりが付いて回っていた。
東照宮が激昂した背景には、そういう理由もあったのだ。
理不尽なジャッジ。
ロッカールームのドアが大きく開放されて、恰幅の良い初老の大男二人が入ってきた。
皆、着替えを止めて、開け放たれたままの入り口へ注目する。
眼鏡をかけた男・・・ペドロ・オリオル会長が大きな声で口火を切った。
「なんだ、あのザマは?」
ただでさえ会話が少なかった室内が、水を打ったようにしんと静まった。
入り口の傍で着替えていたチームの主将、石見由信(いわみ よしのぶ)が、脱ぎかけのユニフォームを両腕に残し、白い肌を露出させたままバツが悪そうに会長たちをチラチラと見ている。
「お前たちにはペニスが付いてないのか。どうなんだ、ン?」
副会長のアンヘル・マチャードが、耳を疑うような品のない言い方をして部屋へ入って来ると、石見の傍らで立ち止まり、舐めまわすような視線で彼の身体をじろじろと見下ろした。
アルコールが入っているのかも知れないが、だとしたら、それはそれで厄介だ。
石見は逃げるわけにもいかず、ただじっと俯いていて耐えている・・・少し頬が赤い。
怒りのためか、恥ずかしいのか・・・とにかく居た堪れないのだろう。
その後ろでナチョ・マルティネスが僅かに手を動かし、隣に立っていたファンラ・カスティリョの手を握りしめていた。
ファンラはマチャードを睨みつけながら下唇を噛み締め、その手は固く拳を握りながら微かに震わせていた。
今にも副会長の前へ飛び出しそうな若いファンラを、ナチョがさりげなく制しているようだった。
厳島も少し離れたとことで黙って立っていたが、端正な面の眉間には深い皺が刻まれていた。
「どうやらこのチームはオカマ野郎ばかりのようだな・・・。そりゃそうだ、あれだけアイツらにやらせ放題させて、まるで反撃できないのだからな」
マチャードの罵りを聞きながら、俺は微かな疑問を感じて始めていた。
彼は一体、何が言いたいのだろう?
俺達を侮辱して、何を引き出したいのだ。
「・・・そんな言い方、ないんじゃないですか?」
最初に反論したのは、東照宮だった。
「なんだ、お前・・・。説教はまだ終わってないぞ?」
下品な演説に水を差され、マチャード副会長が、面白くなさそうな顔で東照宮を振り返った。
「説教って・・・これの何処が説教なんですか? ただ俺たちを侮辱しているだけじゃないですか」
「ふん・・・。反則でしか相手を止められなかったヤツが、大した口答えだな。おまけに要らないカードまで貰って・・・お前はこの試合で、チームへ迷惑をかけた以外に、一体何をした?」
「あれは本来、カードを貰うようなタックルじゃないでしょう」
東照宮がマチャードから悪し様に言われたのを聞いて、俺も黙ってはいられなくなった。
仲間のミスをカバーするために、本当ならファインプレーをした筈の彼が、判定を間違えられた上に、勢いに任せて身内からこんな中傷をされていい筈がなかった。
「春日か・・・第3キャプテンが役員の説教に口答えとは、大した躾ぶりだな、シュステル?」
矛先を振られたシュステル監督は、沈黙を守った。
采配が成功したとは言い難い彼も、会長達には何かを言える状況ではない。
だが、シュステルとて、あのジャッジには納得がいかないのであろうことは、試合中に何度となく副審へ詰め寄っていた彼を思い出せばわかる。
「監督は関係ないでしょう。あなたが間違っているから、俺は意見を言っているんです。あれはミスジャッジだ」
俺は副会長を睨みつけた。
彼にだってわからない筈はないのに、なぜ俺達ばかりを責めるのだ。
段々、苛々としてきた。
「ふん・・・あくまで、東照宮を庇うのか。美しい友情だな・・・いや、ただの友情じゃないかな」
意味深にマチャード副会長が笑った。
「何が言いたいんです?」
「お前達の噂はいろいろと耳に届いているぞ・・・一線を越えるかどうか・・・とか。たしかお前はレアル・ブランコ時代にも、選手仲間から色々と愛されていたようだな。だが、当時から喧嘩っ早く、深夜の繁華街で酒気帯び運転で捕まったこともあった・・・あのとき一緒にいたお友達は誰と言ったかな。車で何をしていたものやら・・・」
言い終える前に東照宮が飛び掛っていた。
「・・・やめろ!」
厳島が慌てて止めに入ったが、遅かった。
「春日に謝れ!」
「止せって、馬鹿が・・・」
東照宮は顔を真っ赤に紅潮させて、押し倒した大男へ馬乗りになり、副会長をさらに殴ろうとした。
それを辛うじて後ろから腕を拘束して、厳島が阻止していた。
厳島に引き摺られ、ようやく東照宮が副会長の上から立ち退く。
「くだらん・・・! ちょっとしたことですぐにキレるような選手はウチには必要ない・・・複数年契約なんぞせずにおいて正解だったようだな、東照宮」
殴られ、少し赤くなっていた頬を手の甲で擦りつつ、マチャードがよろよろと立ち上がりながら、吐き捨てるように言った。
東照宮はつい先日、1年のみの契約延長を発表したばかりだった。
彼にはペリコや2部のシェリーなどから、もっと良い条件のオファーが幾つか来ていた。
それでもラナへの思いが強かったから、ようやく漕ぎつけた合意だったのだ。
それを副会長の口から、このような言い方をされては、堪らない。
この発言には、さすがにオリオル会長も、少し驚いた顔をしてマチャードを見ていた。
「仲間のために怒りや悲しみを顕にすることが、くだらないことですか? 絆や思いやりがなければ、良いチームプレーなんてできませんよ」
「そうは思えんな。チームプレーは日々の練習の積み重ねによって効果的になるものだ。名選手と呼ばれる男たちが皆、行く先々でチームメイトとベタベタしていたとは思えない」
俺の意見へ反論してきたのは、最初に怒鳴ったきり、入り口に立ったままずっと黙って俺達を見ていたオリオル会長だった。
「俺はそうは思いません。彼らにも仲間との友情はあったはずです」
「フム・・・、聡明な君とも思えない幼稚な発想だな。さては東照宮に影響されたのか? 頼むから練習中に培うのは、普通の友情までにしておいてくれたまえ。他の選手たちにまで色っぽいムードが伝染しては、さすがに対処へ困るからな」
次の瞬間、俺はオリオル会長の前へ飛び出し、そのネクタイの結び目に手を掛けていた。
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