「なんで俺のマンションなの?」 春日に謝れ! 不意に頭に浮かんだ、ロッカールームで必死に叫ぶ東照宮の顔。 大人の喧嘩ってのは手を出した方が負けなんだ。 アルコールが抜け始めた鈍い頭の中に、今頃、俺を窘めるマスターの言葉が聞こえてきた。
「ウチにはカミさんと子供達がいる。深夜に行きずりの浮気相手を連れて来たと言われたら、立場がない。・・・お前、ちゃんと起きてるか?」
マンションの玄関ホールで立ち止まった厳島が、遅れ気味の俺を振り返る。
「同僚を連れて帰っただけで、なんでそんな風に言われるのさ」
俺は欠伸を噛み殺しながら、エレベーターへ向かった。
時計の針は3時を回っている。
少々歩くのが辛かった。
「・・・酔っ払いを家に入れたくないだけだ。だいたい自分の家に連れて帰ってもらって、何の文句がある。・・・ホラさっさと鍵を出せ、開けてやるから」
厳島は俺から部屋の鍵を奪うと、勝って知ったるなんとやらとばかりに、俺を引きずってズカズカと人の家へ上がり込んだ。
「座ってろ。今、水持って来てやるから、・・・って、こら、お前何すんだ?!」
俺は立ち去ろうとする厳島を後ろから羽交い絞めにして、一気にソファへ押し倒した。
「10秒でノしてやるだなんて、よく言うよ・・・。こんな簡単に組み敷かれておいて」
「何の話だ、春日・・・、大体、不意打ちは卑怯だぞ?」
「負け惜しみなんて醜いよ。素直に認めたら? 俺が間違ってましたって」
俺は彼に顔を近づけると、鼻で笑いながら言ってやった。
さっき女扱いした罰だ。
俺にそんな態度をとるヤツは、痛い目に遭わせないと気がすまない。
オリオル会長だって、ぶっ飛ばしてやったのだ。
石見に止められなければ・・・。
「下りろと言っている。・・・これが最後だぞ? 下りるんだ、春日」
「嫌だね。謝ってくれるまでここを動かないよ・・・」
俺は彼の両耳の近くに手を突いて、グッと顔を近づけながら言った。
こうして見ると、厳島は本当にハンサムだ。
JPL(日本プロフットボールリーグ)の諏訪戸の頃から、殆ど出場回数もないくせに、やたら女のファンが多かったとは聞いていたが、今となってはそれがわからなくもない。
目じりが少し上がり気味の、くっきりとした二重瞼を持つ印象的な茶色い瞳。
吸い寄せられるように、無意識のまま俺は正面から顔を近づけていた。
だが厳島は嫌そうにその目元を強く顰めると、目の前でふいっと顔を背けてみせた。
・・・失礼な。
「酒臭いぞ、春日・・・退いてくれ」
その態度が更に頭に来て、わざと息を顔に吹きかけると、調子に乗って耳へも吹きかけた・・・のが失敗だった。
「うわっ・・・ちょっと、痛ッ・・・!」
突如として反撃に転じた厳島が、体位を入れ替え、さらに絨毯を敷いていないフローリングの上へ俺を引きずり降ろし、そのまま、さっきまで俺がしていたように、上から顔を間近に付けてきた。
なんだかその様子が変だった・・・目がちょっと据わっているような。
「俺はちゃんと警告したよな?」
「・・・なんだよ一体。謝らなかったそっちが悪・・・えっ?!」
不意に触れ合った腰の違和感へ、ドキリとした。
固くなってる・・・?
「厳島・・・えっと、俺・・・ちょ、ちょっと!」
だが厳島はふいに手を放すと、俺から身体を放して立ち上がった。
同時に俺の身体がふわりと浮きあがる。
「暴れるな、じゃじゃ馬が」
いわゆるこれは、ブライダルお姫様だっこ。
「誰がじゃじゃ馬だ、下ろせよ!」
俺の主張を無視して、厳島はリビングから出ると、暗い廊下をズンズンと歩く。
行き先は俺の寝室。
止めろ、馬鹿野郎と喚き散らす俺を、どさりとベッドの上へ放り出し、そして。
「ほら、大人しくしろ」
ふたたび厳島が俺の身体を押さえつけながら、シャツのボタンへ手をかけてきた。
「やだ、ちょっと・・・!?」
俺は彼の身体を払いのけようと、必死にもがく。
ぶちぶちと胸元で音が鳴った。
「・・ったく、ボタンがとれちまっただろ。ほら、じっとしろって」
シャツを剥ぎ取られ、今度はベルトを外された。
あっという間にジーンズも脱がされて、下着1枚にされる。
「いつ・・・くしま・・・、俺・・・」
その覚悟は出来ていない。
あいつは俺のせいで副会長の怒りを買っていた。
会長たちの勘ぐりには、オリオルを殴りたいほど頭に来たというのに、・・・悔しいけど、俺の本音は・・・。
「春日」
ふと名前を呼ばれ、厳島の顔が近づいてきた。
短い息が頬にかかり、次の瞬間・・・。
「えっ・・・」
額に軽い感触が残される。
「何ビビッてんだ、この色ガキは」
「なっ・・・!?」
おでこにチュー。
厳島はニヤニヤとした笑いを浮かべて俺を見下ろしている。
馬鹿にしている顔だ。
どういうことだ・・・?
「皺になるから脱がせてやっただけなのに、いやらしい期待でもしていたのか?」
なんだと・・・!?
「厳島っ・・・、だってさっき・・・」
固くなっていた・・・。
思わず厳島の物を見る・・・勃ってはいない・・・?
電気を点けていないから、はっきりとは見えない。
だがサカッっていたら、この体勢で俺を平然と揶揄ったりはしないだろう。
俺の方が・・・欲求不満、なのか?
「どこ見てんだ、このスケベ野郎」
「違っ・・・!」
「それともキスじゃ物足りないのか? ・・・っておいおい、乱暴だな」
糞っ、馬鹿にしやがって・・・!
「んなわけねーだろ、このハゲ! ・・・ったく、退けよ!」
俺は力いっぱい厳島の身体を突き飛ばすと、頭までシーツをひっぱり上げて、壁側を向いて丸くなった。
絶対に顔が真っ赤になっている・・・電気が点いていなくて、つくづく良かった。
「ったく、しょうがないガキだな。あまり興奮すると悪酔いするぞ・・・っていうか、俺が店に着く前から、してたな」
「五月蠅いよ!」
「はいはい、悪かった、悪かった。・・・ああ、それとな、朝で構わないから石見に電話ぐらいいれとけよ」
え・・・?
シーツから目だけを出して後ろを振り向くと、彼は俺に背を向けて、すでに部屋の出口へ向かっていた。
「ちょっと待てよ、石見がどうかしたのかよ」
俺はベッドに起き上がり、厳島の背中に向かって詰問する。
「あいつが監督と一緒に、会長達に謝りに行ったんだよ。ちゃんと話し合いは着いたみたいだから、お前は何も心配しなくていいぞ。・・・一応、東照宮は自分で謝りに行ったらしいけどな」
「東照宮、謝ったのか・・・?」
そもそも、あいつは俺を庇って・・・。
「あの野郎は副会長を殴っちまったしな・・・さすがに謹慎処分ぐらいは覚悟してるだろ。でもまあ、お前は気にしなくてもいいんじゃねえか」
厳島はそう言った。
その声はいつもと変わらず、飄々としている。
しかし顔は逆光で表情がよく見えない。
本気で言っているのかどうかが、全然わからない。
会長達には頭に来るが、だからといってこのまま俺だけ何もしないで、本当にいいのだろうか。
「なんで、石見が・・・」
少なくとも、石見は何も悪くはない。
「そりゃまあ、・・・主将だから、じゃねえか?」
悪くないどころか、みんなの前でセクハラ紛いな辱めを受けていたのに、石見はじっと堪えていた。
会長を殴ろうとした俺を止めたのも石見だ。
その石見が、何故謝らないといけない。
そもそも俺達は、あの試合で不利な判定ばかりされていたのだ。
なのに、味方である筈の会長達から、あんな言われ方をされて、下衆な言葉で侮辱され、何も悪くない筈の石見が謝罪に行って、どうして・・・。
「・・・厳島は、平気なの?」
「そう思うか?」
廊下からゾクリとするような低い声が返ってきた。
鍛え上げられた身体の両側に垂らされている、力強く長い腕。
よくみると両方の拳が固く結ばれ、リビングから差し込む微かな照明に照らされて、少しだけ震えているように見えた。
「厳島・・・」
平気なわけがない。
それでも俺達はクラブチームという組織に属している以上、そこには秩序があり動かし難い力関係がある。
腹が立っても、黙って言う事を聞くしかない事もあるし、納得がいかなければ、要求に値する実績を作ってから、言葉で示すべきなのだ。
暴力は糾弾されて当然だ。
冷静に考えれば、厳島は第2キャプテンだ。
試合を、そして頭に血が上った俺達を、コントロールできなかった悔しさが、彼にはあるのだろう。
それは主将の石見がもっとも強く感じていた筈で。
俺達は・・・・俺が、石見を謝らせたのだ。
「明日、ちゃんと会長達に謝りに行くよ・・・許してもらえるかは、判らないけど」
「ほう。それはどういう気まぐれなんだ、お姫様?」
「・・・確かに会長達の言ったことは腹が立つし、本音を言うと謝って欲しいぐらいだよ。でも、・・・頭に来ていたのは俺達だけじゃなかった。皆が怒っていた・・・石見なんて、ハッキリと侮辱を受けたのに我慢していた。・・・暴力は人を混乱させるだけで、何も解決できない。俺達がやったことは、腹立ち紛れの乱暴であり、問題解決とは程遠い、最低な行為だ」
「そうか」
厳島の声から険が消えたような気がした。
「今から石見にメールでも入れとくよ。ありがとうって」
「そうだな。・・・じゃあ、もう遅いからさっさと寝ろよ。間違っても寝酒なんかするんじゃねぇぞ」
「ははは、しないよ。おやすみ厳島」
「ああ、じゃあな、春日」
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