『オンザロック』
それは、国王杯のためによるアルバシト遠征を翌日に控えた、とある火曜日午後のロッカールームでのこと。
「そういうことでしたら、録画したDVDをお貸ししますけど」
練習用のシャツに袖を通しながら、親切心でそう伝えると。
「それは助かる。じゃあ、いつ見られるかわからないから、コピーでくれるか。できればタブレットPCで視聴可能にしてくれ。明日移動中にでもバスで見られると有難い」
まうしろから、意外に・・・いや、人柄を考えれば、そう意外でもないのだが、相当厚かましいリクエストが飛んできた。
「はあ、わかりました・・・。それでしたらコピガ外してMP4に変換して・・・あ、でも待って下さい」
いつもの調子で安請け合いをしそうになった、俺、石見由信(いわみ よしのぶ)はシャツの裾をおろしながら、ふと考えなおす。
「なんだ、面倒か? だったらこのあと直接見に行くぞ。どうせお前もチェックしないといけないだろ」
「そういうことではないんですが、テレビ番組って、著作権はテレビ局側にありますよね、すると法律上マズイことになりませんか?」
「はあ?」
うしろから、予想外に大きな声で反応が返ってきて、俺はびっくりする。
隣で着替えていたファンラ・カスティリョがどうかしたのかと訊いてきた。
その向こうでバッグを探って何かを探していたらしいイバン・ヒメネスも、気遣わしげな顔で、俺を見上げている。
完全に日本語で会話をしていた為に内容がわからず、背後からの尖った反応ひとつで、喧嘩になったとでも思われたのだろう。
二人に大丈夫だとだけ伝えると、俺は後ろのスキンヘッドを振り返った。
彼、厳島景政(いつくしま かげまさ)は眉間に皺を寄せて、やや高い視点から俺をまともに見下ろしている。
後輩たちを怖がらせるつもりはなかったのだろうが、この顔では怒っているととられても無理はない。
いや。
お互いに反対側を向いて着替えていたため、俺は気付かなかったが、実際にあまり虫の居所がよくなさそうだった。
ひとまず、当面の誤解を解く必要があるだろう。
「べつに面倒とか嫌ってわけではないんです。ただ、改正著作権法でテレビ録画やBD、DVD等の、コピーガードやアクセスガードを解除してリッピングすると違法になったんじゃなかったかなあと、思い出したもので・・・」
「お前は何を言っている」
眉間の皺をさらに深く刻み、ますます視線を鋭くさせた厳島が、着替える手を完全に止めて、正面から俺と対峙した。
日焼けした浅黒い肌が見事な筋肉のシルエットを見せ、天井の蛍光灯が僧帽筋の盛り上がりを光らせている。
エスパニア人に引けを取らない、誠に美しい肉体であり、鼻梁の高いバランスのとれた顔立ちも、男性美の具現と呼ぶに相応しいが、その深い眼差しには紛れもない不審が宿っていた。
「ですから、法律の改正によって録画したテレビ番組や映画なんかのDVDソフトを、パソコンにとりこんで複製を作ると犯罪ってことですよ、たしか。・・・ようするに著作権物のコピーガードを解除してコピー作っちゃ駄目って意味ですね。・・・コンテンツ保護の観点はわからなくもないんですが、せっかくタブレットPCとかスマホとか新しい機械が登場しても、権利意識と相殺されて、使える筈の技術に制限をかけられちゃうだなんて、まったく便利なのかそうじゃないのかわからないご時世ですよ、困ったもんです」
「困った野郎はお前だよ。つまらん理屈を捏ねてないで、いいからコピー寄越せ。それとも、お前の家に行ったほうがいいのか? 俺はどっちでも構わんぞ」
「あの・・・俺の話聞いてました? ちなみに、俺はちょっと行くところがあるので、このあとうちで録画鑑賞っていうのは、困るんですけど」
「営利目的でもあるまいし、私的利用で犯罪になるわけがないだろ」
「ですから、それが違法行為になったって言ってるんです。だからこそ、改正当時にあれほどネットなんかで大騒ぎになったわけでして。・・・とはいえ、今のところ罰則規定はないみたいなので・・・」
堂々巡りは勘弁してほしいと思い、ひとまず妥協の余地がないわけではないと示唆した上で、こちらから折れようとすると。
「何!? そんな馬鹿な話があるか。それじゃあ、何か? うっかり試合の録画に失敗したサッカー選手が、同僚のチームメイトにテレビ録画のコピーを譲ってもらう事が、日本の法律では違法になってしまったっていうのか?」
くっきりとした二重瞼の目を見開いて、厳島が焦げ茶色の瞳を丸々と見せながら、さらに大きな声で言い募る。
そんな酷い話は、今この瞬間に初めて知ったと言わんばかりだ。
「ですから、まさにその話をしていたわけで・・・残念ながら改正著作権法によると、やり方によっては違法です。ちなみにコピーガードを解除しなければ、別に問題はないんですが・・・」
どうにも理解が遅いらしい厳島に、従来通り、HDDからDVDへの複製なら問題ないことも付け加えて、俺は安心させようとしたのだが。
「俺が出ていた試合だぞ? その著作権の一端も俺にはないなんて、そんなふざけた話があるか」
「ないですねそれは。著作権は概ねテレビ局や、あるいは番組制作会社ってことになります」
「そんな理不尽な法律改正がなぜ国会審議を通ってしまうんだ! 野党は・・・、参議院は何をしていたんだ!?」
そもそも、根本が理解されていないらしかった。
「サッカー番組の著作権がサッカー選手にないことは、著作権法の改正に伴って、審議された結果ではないと思うんですが・・・しかし、うっかり自分で録画をミスっただけで、自由に試合をチェックすることも出来なくなるっていうのは、確かに問題ですよねえ・・・まあ、なんとか考えてみますよ」
腕時計を外しながら時間を確認する。
練習開始の4時を5分ほど過ぎていた。
誠に心苦しいが、厳島に噛み砕いて説明をしている暇はない。
「誰なんだ?」
「何がです? ・・・ああ、実はこのあと、玉川さんと」
不意打ちに厳島から短く質問をされ、練習後の予定の話かと俺は解釈したが。
「なるほどな、テレビ局か」
「はい?」
どうやら、俺が誰と約束をしているために、うちへ厳島を招くことができないという話でもなかったらしい。
そんなことには、特に興味がないということか。
「政治家がメディアや著作権団体の利権構造に手を貸したってわけだな、つくづく欲深い連中だぜ」
「はあ・・・ああ、もう始まりますね。先、行ってます」
盛り上がった胸筋の前で太い腕を組みながら難しい顔をしている、未だに半裸の厳島へ、いちおう声だけかけると、俺はロッカールームに彼一人を置き去りにして、既に仲間達がストレッチを初めているであろう、グラウンドへ向かった。
一瞬でも、高揚しそうになった気分が静かに落ち着いてゆくのを、馬鹿馬鹿しい気持ちで感じながら。
02
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