『右脚』
「昨日はこの世の終わりみたいな顔をしてたから、心配したよ」
スタジアムの駐車場で、運転席の扉の前に立ったイバン・ヒメネスは、苦笑しながらそう言った。
「だってさ・・・」
俺、ファンラ・カスティリョは彼のすぐ傍でミラーの前に立ち、イバンが場所を譲ってくれるのを待っている。
立っていられないわけじゃないが、じっとこうしているのは、少しだけ辛い。
慣れた道だから朝は一人でスタジアムまでどうにか来たものの、正直に言って自分で運転することは少々不安が残った。
できれば痛み止めが効いているうちに、家へ到着してしまいたいのだ。
「貸して」
やや、苛々しながら待っていると、イバンが俺に掌を見せて片手を差し出してくる。
「・・・?」
何を。
目的語を聞いていない。
それを匂わすような会話も、覚えている限りなかった筈だ。
「送ってあげるから」
イバンはやはり、何を出せとははっきりと言わなかったが、今度は俺にも車の鍵だとわかった。
しかし、そうすると新しい疑問がわき上がる。
「お前の車はどうすんだよ」
言いながら俺は薄暗い駐車場内をぐるりと見回し、そして漸く気が付いた。
彼のステーションワゴンが、ドライバーを残して消えている。
「それが、どうもマノリートに貸しちゃったみたいなんだよだね」
「みたいって何だよ・・・っていうか、マノリートはどうやってスタジアムに・・・ああ」
言いかけて途中で止めた。
マノリートこと、マヌエル・プラネスが厳島景政(いつくしま かげまさ)と一緒に来ていたことと、服が昨日と同じだったことを思い出したからだ。
ついでに、二人の並ぶ姿を見てから、俺がチームドクターとチューファ記念病院へ向かう正午近くまでの間ずっと、カピタンの石見由信(いわみ よしのぶ)が御機嫌斜めだったということも・・・。
要するに若く、美しく、恋多きマノリートは、昨日の試合終了後、憧れの厳島と一緒にスタジアムを出て、火祭りクライマックスなチューファの街へ繰り出し、どうやらそのまま一晩共に過ごすことには成功したが、何事も起きることなく朝を迎えたようなのだった。
そして厳島が副主将としての責任において、ちゃんと遅刻することもなくスタジアム練習へマノリートを連れて来てやったのであろう。
何事もなかったらしい・・・などと、なぜそんな余計なことまで俺にわかるのかと言えば、何かあったのなら、マノリートがカピタン以上に不機嫌マックスであった説明がつかないからだ。
かくして、傍迷惑な厳島はその後、虫の居所がよろしくないカピタンの様子を目の前にして、日常的な己の軽率さやだらしのなさを漸く反省し、来る時はマノリートを乗せていたその助手席に、帰りはカピタンを乗せてスタジアムを後にしたということだ。
それで、カピタンのセダンが4時を回った今もこうして、この駐車場に、ぽつんと置かれている説明も付く。
・・・・チームの日常とイバンの話、そして駐車場の状況を総合的に検討すると、俺はそのように仮説を立て、そして納得した。
「ああ、マノリートはちゃんと俺の了承を得てるから、心配しないで」
駐車場でオロオロしているイバンの携帯へ、1時間経ってから、レストランで昼メシ中の犯人が送信したメールが、パエージャの写メ付きで来たらしい。
「お前はそれでいいのかよ・・・」
もはやお人好しという個性で片付く範疇を遥かに超えて、苛めの領域なのだが。
話が結論に飛ぶが、つまりイバンがぼんやりしている間にマノリートに車を持って行かれてしまい、このままでは彼も家に帰ることができないというわけだ。
だったら、回りくどい言い方をせずに、素直に送ってほしいと言ってくれれば良いようなものだが、イバンは意地を張っているように見えないし、そういう奴でもない。
つまり、本気で彼は俺の車で俺を送りたいと欲して、ここに居るのであろう。
だから俺が断れば、本人はタクシーでも呼んで帰るつもりなのかもしれないが、逆にこちらが意地を張る理由もない。
とりあえず、そろそろ脚が痛くなってきた俺は、話しながらもけして運転席を譲ろうとはしない、イバンの意外な頑固さに折れて車のキーを渡すと、仕方なく助手席に回った。
ここはひとつ、彼に甘えて送ってもらえばいいだろう。
ついでに進行方向である車の前方の安全を確認しつつ、前から回って助手席のドアを開けると、イバンはシートやミラーを自分の位置へ細かく合わせながら、俺が乗り込むのを待っていてくれた。
ガチガチにテーピングをしたばかりの右脚を庇って、ゆっくりと助手席のシートへ座り、ドアを閉める。
俺がシートベルトを締めるのを確認すると、イバンは左へ合図を出し、ゆっくりとスタジアムの駐車場から出ていった。
02
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