芸術科学都市方面へ向かって走っていた筈の車が、突然ロータリーで指示を出したかと思うと、行き先を変えて走り始めた。
「イバン・・・?」
俺の家でも彼の家の方向でもない。
「まだ日も高いしさ・・・ちょっとデートしない?」
「あのな・・・」
ツッコミ待ちかと思って言葉を選びながら、バックミラー越しに彼の顔を見て声を失くす。
イバンは笑っていなかった。
突然、俺は妙な緊張を感じ、冗談か本気かわからないイバンの言葉でドキドキしている自分に気が付いてしまう。
なぜいきなり、そんなことを言い出すのだ・・・。
不意にジーンズの後ろで携帯電話が鳴る。
このメロディはナチョだ。
たぶん、検査の結果を心配してかけてきてくれたのだろう。
ヒップポケットから携帯を取り出し、少しの間迷っていると。
「ファンラ・・・」
静かな声で名前を呼ばれた。
「えっ・・・!?」
俺は咄嗟にそのまま携帯を切ってしまう。
焦って運転席を振り返ると、イバンが目を丸くして俺を見ていた。
車はふたたび交差点で停止している。
「いや・・・出ないのかと思って。・・・今の、たぶんナチョでしょ?」
平然と俺に聞いてきた。
「だって・・・」
気のせいか?
というか、俺は一体・・・・今、何を思った?
「ん?」
イバンが小首を傾げて俺を見ている。
本人は自分がしたことに、まったく気が付いていなさそうだった。
いや・・・俺が勝手に勘違いしたのかもしれないが。
「そんなの・・・」
これは恥ずかしい。
「・・・・・?」
「そんなの・・・出るに決まってんだろ!」
恥ずかしすぎるが、あんなことを言ったこいつだって悪い。
「でも、今切って・・・」
何が、『デートしない?』だ・・・!
「お前のせいだ」
「えっ? ・・・っていうか、ファンラ、どうかしたの、なんか顔が赤・・・」
「うるさいよ、とっくに青になってんだろ、余所見してないでさっさと出せよ! 渋滞してんだろうがっ!」
「あぁ、・・・は、はいっ。すいません、すいません!」
後ろから五月蠅いクラクションを聞きながら、四方八方へ頭を下げ捲り、イバンにしては、きっと珍しく急発進させて、ふたたび車は流れ始めた。
すぐに折り返した電話は、運がいいのか悪いのか、とにかく圏外だった。
俺は諦めて、無造作に携帯をジーンズへ戻す。
フェリーポートの少し手前で車は左折し、広い海岸通りを少しだけ走ると、右側の歩道へ寄せて停止した。
中央分離帯になっているパームツリーの並木越しには、キラキラと西日を輝かせ始めた、地中海が見えていた。
イビサ島行きの高速船が、白い水しぶきを上げながら速度を上げて出航していく。
反対側の歩道脇にはシエスタを終えたいくつかのレストランやバルが、店の照明を灯して夕方の客を待っている。
「変な時間になっちまって悪いが、わりとガッツリ食いたいから、レストランに入ってもいいか?」
「いいね、そうしようよ」
シートベルトを外しながらイバンの返事を聞き、そういえば彼も昼メシはまだだったのだと思いだした。
「よし。じゃあ、お前何食いたい? ・・・イタリアに、ドイツ、・・・ベトナム料理なんてのもあるな」
「ねえ、ファンラ」
フロントガラス越しに見えている店の看板を見て想像しながら、適当に料理の種類を挙げていると、途中で名前を呼ばれて、話を止められた。
「え・・・」
運転席側へ視線を戻した俺の目の前には、思ったよりもずっと近い距離にあるイバンの顔。

 デートしない?

そう言ったときと同じ、わりと真剣な表情だった。
彼の顔がこちらを向いたまま近づいてきて・・・俺は思わず目を閉じる。
「ファンラ」
そして僅かに顎を上げ、薄く唇を開いてじっと待った。
だが、なかなか思っていたものは、そこへ降りて来ない。
シフトレバーの傍に投げ出していた手の甲へ、そっと掌を重ねられて、その感触にドキリとする。
「あっ・・・」
小さく声を漏らしながら、少し瞼を開いた。
間近に迫るイバンと目が合ってしまう。
「これ、いるでしょ?」
脇腹のあたりに、イバンが固い物を押し付けてくる。
「え・・・?」
でも安心してほしい。
閲覧に年齢制限の設定が必要な器官のことではないから。
「ハイ、携帯。・・・背もたれの隙間に落ちてたけど、気が付いてないみたいだったから」
薄っぺらいプラスティックの電子機器を手渡される。
「はあ・・・。携帯。」
「このままだと、なんだか忘れそうだったし。またナチョから電話がかかってきそうだしね」
さっさと体勢を戻すと、シートベルトを外しながらイバンがのんびりと言う。
「・・・・・・」
その声はどこか笑いを含んでいて、俺の動揺を見透かしているように感じられて、俺はどう返していいのかわからなかった。
いや、あんな恥ずかしい真似をしたのだ。
俺の考えていたことに、彼が気づいていない筈はない。
おまけに大事な筈のナチョから架かって来た電話を、あろうことか俺はすぐに切っていた。
たった一言、デートをしようと言われたぐらいで、すっかり動揺して。
しかもキス待ちをこうもあっさりとスルーされて、恥を掻かされて・・・あんまりじゃないか!
あるいは。



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