『月明かりに光る』

 

規則的なリズムで水を掻く、オールの音が聞こえ始めて、20分は経過しただろうか。
緩やかに夏の風が流れる湖上には、目視できるかぎりで同じようなボートが他に5艘、パドルボートが3艘、セイルを広げたヨットが4艘と、ウィンドウサーファーが2名。
ホテル前まで視線を移すと、ジャンプ台と、その付近の湖面に、水着姿の老若男女が10数名もいるだろう。
集まっているのは、人間ばかりではない。
白亜のグランドホテルを中心とした、マロニエの木立が美しい遊歩道の辺りには、白鳥や鴨が、避暑を楽しむ観光客から、パン屑を貰おうと岸辺に群れを作っている。
透き通った湖の水面に揺らめくのは、紺碧の空を背景に抱く常緑樹の映し絵。
振り返ると山肌を樅や唐檜が生い茂るシュミッテンヘーエの稜線と、その向こうに万年雪を被った険しい山岳地帯。
ピラミッド型の綺麗な三角形を描く鋭角の山は、東部アルプス山脈、ホーエタウエルン山群のひとつでキッツシュタインホルン。
山頂付近のゲレンデでは、夏でも手軽に氷河スキーが楽しめるのだそうだ。
今頃は東寺勢源(とうじ せいげん)が、ファンラ・カスティリョやナチョ・マルティネスらを連れて、森林限界辺りを目指している頃だろう。
さすがにスキーは自重している筈だと思うのだが、どうだろうか。

 

健闘虚しくも、たった1シーズンで再びエスパニアリーグの2部へ降格してしまったラナFCは、先週の頭からオーストリアのピンツガウゼー=スートでキャンプを開始した。
ピンツガウゼー=スートとは、オーストリアアルプスの山並みに囲まれた、標高750メートル付近に位置する小さな村であり、主にスキーリゾートを中心に、夏でもゴルフにトレッキング、ハンググライディングやパラグライディング、ヨットに水上スキーと、サイクリング、ウォーキング等など、年間を通してヨーロッパ中からレジャー目的の観光客が集まってくる、山間の避暑地である。
また、アルプスを源とする美肌効果抜群の水質は、ラグジュアリーなスパリゾートを提供してくれ、美しい森と湖と、街には快適なホテルの他にお洒落なレストランやカフェもある・・・、ガイドブックによると、ここは、そんな高級保養地ということらしい。
こうして過ごしてみると確かにいい場所なのだが、俺達は遊びに来ているわけではないので、アルプスの夏を満喫とまではいかず、この綺麗な景色に囲まれながらも、バカンスを楽しむヨーロッパ人達を後目に、開幕に向けて身体を調整し、まずはポジションを確保するべく、日々鍛練に明け暮れた。
7月半ばにスタートしたオーストリアキャンプは、すでにプレシーズンマッチを二つ消化していた。
ひとつはザルツァッハを本拠地とする、FCローズブル・ザルツァッハ戦。
欧州チャンピオンズリーグ常連の、この名門チームとの対戦は、2−1でラナの負けだったが、それでも得点シーンでは効果的な攻撃の組み立てに成功しており、俺達は複数の得点チャンスを作り出すことが出来ていた。
負けはしたものの、ゲームを通してポゼッションも5割を上回り、俺個人としても監督やコーチ陣、そして恐らくはサポーター達へ、良い印象が残せたゲームだったと認識している。
その二日後にリンツで行われたヴェルシュ戦は、10対0でラナの大勝。
終始、俺達がゲームを支配していた。
もっとも、相手は2部リーグの中堅クラブチームで、これといったタイトルもなく、一度も国際コンペティションに出場したことがない相手なのだから、圧勝して当然の一戦と言えるだろう。
ラナはこの試合でいくつかの新しい戦術を試しており、前後半でメンバーを総入れ替えして挑んでいた。
この試合では新入りのマヌエル・プラネスが非常に利いており、マスコミの評価も高かったようだ。
マスコミがこの、元レアル・ブランコの若者を持ちあげた理由はほかにもある。
人目を引く容姿と、攻撃的な布陣における、完璧なゴラッソー。
そしてその後の、サービス精神溢れすぎた、余計なパフォーマンス。
羽目を外した若いマノリートは、当然のことながら、厳格なドイツ人監督のベルナルド・シュステルからこんこんと説教を食らっていたが、レギュラー獲得へ向けて大きく一歩前進したことは間違いないだろう。
そして、その騒ぎに巻き込まれつつも、終始安定したプレーを保ち、きちんとゴールまで決めてみせた厳島景政(いつくしま かげまさ)もまた、同じことだ。

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