「何の話?」
お礼を言われた理由がわからなかった。
聞き逃したのだろうか。
「だから・・・こうして誘ってくれたり、シーズン中もいっぱい迷惑かけたし、まあその・・・いろいろと」
「そんなのお互い様だろ、まったく正倉院は変なところで気を遣うよね。それに、今日はどっちかっていうと俺がお礼を言わないと。付き合ってくれてありがとう」
「そんな、全然・・・でも、石見は本当に俺なんかと一緒にいて、よかったの?」
「どういう意味?」
俺なんか・・・か。
彼にはどうにも、こういう卑屈なところがときどきある。
アスリートをしていれば、幾度も壁にぶつかることがあるが、そこをどう早く抜け出すかもこの仕事の大きな課題だ。
正倉院は今、恐らくそういう時期ということなのだろう。
だからネガティヴになるのは仕方ないのかも知れないが・・・。
「だって、俺なんかを誘わなくても石見には・・・」
「仲間だろ」
俺は本心を言ったつもりだった。
「仲間・・・。そうだね」
だが俺の言葉を聞いた正倉院には、明らかな変化があった。
頬にはさきほどまでの赤らみが消え、逸らしたままの視線は虚ろに宙を彷徨った。
一言で言えば、落胆・・・・そう見えた。
俺の言葉は、彼の期待に応えなかったということだ。
上っ面に聞こえてしまったのだろうか。
「そうだよ。大事な仲間の一人なんだから何も気を遣う必要なんてない。俺は正倉院と一緒にいたいから誘った。だから正倉院が来てくれて、本当に嬉しいよ」
俺は思わず起き上がって、彼の目を見ながら言葉を継ぎ足した。
無意識の行動だったが、先ほどと同じように地面へ手を突き、彼を下から仰ぎ見るような姿勢で。
だが彼は、今度は俺から逃げようとしなかった。
頬も紅潮していない。
ただ虚ろな目をして苦笑していた。
「石見は本当に、いつも優しいよね。だから、つい・・・まあ、単純な俺が悪いんだけど」
「えっ・・・」
何も難しくはない筈の言葉の羅列だが、途中から言っている意味がよくわからなかった。
正倉院は自分の何が悪いと言っているのだろうか。
だがそれを考える暇も、聞き返す機会も俺には与えられなかった。
「俺が言っているのはさ、石見が誘う相手を間違えているような気がしたから・・・」
「誘う相手・・・」
咄嗟に厳島の顔が頭に浮かんだ。
天龍寺ではない事実が、俺を動揺させたが、もっとも天龍寺はここにはいないから、誘いようがない。
だからなのだと、俺は自分に言い聞かせた。
しかし厳島は、たぶん今ごろ・・・。
朝食の席でマノリートに話しかけられていた彼は、俺がレストランへ入ってきたことにも恐らく気付いていなかった。
だから俺はその場で正倉院を湖へ誘った。
そこで俺はもう一度自分が取った行動の意味を考えてみた。
もしもあの場にマノリートがいなかったら、俺はひょっとしたら厳島を誘っていたのではないか。
だとしたら、俺は・・・・正倉院を厳島の代わりに・・・。
何が、“仲間”だ。
自分の身勝手さに嫌気が差す。
しかも正倉院はひょっとしたら、自分が利用されたことに気付いてるのかも知れない・・・だとしたら最低じゃないか。
「石見がそんな感じだと、俺もまた期待しそうになるし」
「それは、どういう・・・」
また言葉の意味が理解できず、聞き返そうと視線を正倉院へ戻すと、彼はすっと立ち上がり、そのまま岸辺の楓へ向かって歩いて行った。
腕時計の針は、1時10分前になっている。
正倉院は自分のタンクトップやジーンズを、軽く触ると枝から回収し始めた。
「生乾きだけど、着られなくはなさそうだよ」
「そうかい?」
俺も立ち上がって岸辺に行くと、自分の服を手に取ってみる。
正倉院はすでにジーンズを身に付けていたが、履き方を見ると、結構湿っているように見えた。
タンクトップや半袖シャツは着ていれば、ホテルへ着くまでに体温で完全に乾きそうな状態だった。
ただし、俺のTシャツは干し方が悪かったせいか、脇の下からウェストあたりまで、まだじっとりと濡れていて、ジーンズも水気をかなり含んだままだった。
とはいえ、これらが乾くのを待っていると、逆にその間に風邪をひきそうな気がした。
顔を顰めながら、我慢をしてそれらを身につけようとすると、正倉院が自分のシャツを差し出してくれる。
「よかったらこっちを着てよ」
「けど、いいのかい?」
「俺はタンクトップがあるから大丈夫だよ。まあ、ジーンズは貸せないけどね」
「そんな厚かましいことは言わないよ。・・・ありがとう、お言葉に甘えて貸してもらうよ」
正倉院のシャツに腕を通し、自分のTシャツをグシャグシャとその場で丸めていると、彼がまた、少し頬を赤らめながら何かを言いたそうに俺を見ていた。
ちゃんと畳まないルーズさを、呆れられたのだろう。
妻にも、しょっちゅう子供の教育に悪いからと叱られる。
もちろん俺だって、息子が言葉を喋るようになったら、ぼちぼち直していこうかとは思っているが、まだ先の話だ。
ボートへ戻り、また自分で漕ごうとしていた正倉院からオールを奪うと、今度こそ俺は自分で漕いでホテル前の船着き場まで戻った。
見ている分には簡単そうに見えたのに、自分でやってみるとオールの扱いはそれほど容易ではなかった。
「上手だよ、石見」
気を遣って正倉院は、何度かそう言って励ましてくれたが、俺にはボートのセンスはからきしないことが、はっきりとわかった。
15分おきに交替を申し出てくれた、正倉院の好意を意地で跳ね除けて、往路は30分程度で来た距離を、たっぷり1時間かけて対岸まで辿りつくと、丸めて置いていた俺のTシャツ以外は、漕いでいる間に、服も靴もほとんど乾いてくれていた。
腹もだいぶ空いていたので、そのまま近くのレストランで食事を済ませ、遊歩道を散歩しながら、結局、夕方の6時過ぎにホテルへ戻った。
二人でエレベーターへ乗り込み、服はクリーニングしてから返すと告げると、正倉院は案の定、気を遣わないで良いと断ってきた。
たぶんそれは社交辞令ではないのだろうが、そういうわけにもいかないので、俺は適当に返事をして、やはりクリーニングに出してから返そうと考えた。
「それじゃあ、また夜にレストランで」
宿泊階へ到着し、エレベーターの扉が開く。
ホールへ下りようとして、乗り込もうとしていた人物とぶつかりそうになった。
「すいま・・・」
咄嗟に出た日本語に、同じ言葉で返されかけて、反射的に相手の顔を見た。
「石見・・・」
相手も俺を見ている。

  05

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