<エンド4:篤編>
仄明るい東の空を見上げつつ、校門前の時計を確認し、なるほどと納得をする。
不意に吹き付ける真冬の北風は隙間だらけの足元に厳しく、校庭から細かい砂ぼこりが寒さで過敏になっていた素肌に突き刺さる。
「うへぇ、さみい」
来た時と同じような事を呟きながら、俺は一瞬だけ立ち止っていた歩みを進めた。
ゲームを最下位で終えた俺と峰には、直後に開催された新年会の後片付けを罰ゲームとして命じられていた。
しかしながら、途中までは付き合っていた峰も、再三にわたる妹、まりあちゃんからのメールをとうとう無視しきれなくなって、一足先に帰ってしまったのだ。
まりあちゃんは年末からずっと風邪で寝込んでおり、なかなか熱が下がらないと言っていたから、仕方がないだろう。
結局後片付けを一人で済ませた俺が厨房から出て来たときに、食堂に残ってくれていたのは寮生である佐伯と小森の二人だけ。
ほんの5分前までは江藤と山崎、本城先輩も残っていたらしいのだが、新年会が始まるあたりから眠そうだった江藤を見かねて、本城先輩が車で送って行くことになり、その車に山崎も乗せて行ったのだそうだ。
あの先輩は、どこまでいってもいい男である・・・女だが。
その少し前には一条家の二人も消えていたらしく、慧生と進藤先生、そして直江は、新年会が始まる前に消えていた。
慧生と進藤先生は、用が済めばさっさと二人きりになりたかったのだろうし、直江は店に直行したのだそうだ・・・正月までバイトとは、御苦労さまである。
「ん?」
校門前に影を見つけて足を止めた。
そして背丈に気付き、軽く息を呑む。
「遅かったね」
足音が聞こえていたのだろうか、予想通りの相手の声がそう言った。
そのあとで、こちらを振り返る。
先方は確認する前から、来たのが俺だとわかっていたようだ。
「お前・・・帰ったんじゃなかったのかよ」
若草色の羽織袴・・・よく見ると、少しだけさっぱりとしている、元々短い髪。
恐らく正月前にでも切ったのだろうか。
精悍な面構えが俺を見つめて立っている。
「君を待っていたからね・・・それとも帰っていてほしかった?」
そしてこの言い種だ。
「んなこと言ってねえだろ・・・寒いからさっさと行くぞ」
「はいはい。そんなダウンを着ているのに、相変わらず寒さに弱いね君は。夏でも手足は冷たいし、冷え症の女みたいだ」
「ああ、そうですか、冷たい身体で悪うござんした! っつうか、峰と同じこと言ってんじゃねえよ、ったく・・・」
来たときに、違う相手からも似たようなことを言われていたと、俺は思い出していた。
「へえ、なるほど。もう峰は君の身体を知っているのか。堅物そうな振りをして、手が早い」
穏やかそうな顔をして、人一倍口が悪い篤が、非の打ちどころのない笑顔で思い切り毒を吐いた。
「そうじゃねえよ、ダウン着込んで寒がってるから、運動不足だって叱られただけだっつうの! 人の事待ち伏せして、いちいち、絡んでんじゃねえよ、お前はよぉっ!」
「君が絡ませたんだけどね。・・・いや、今のはナシ。せっかく二人になれたのに、喧嘩で時間を潰したくはない。歩きながら話さない?」
「ああ・・・そうだな」
校門を出て進路を右にとると、俺達は臨海公園駅方面へ向かって歩き出した。
この時間だと電車はもう動き出しているだろうが、まだ本数は少ない。
徒歩で帰るには国立公園の遊歩道を突っ切った方が近いのだが、俺は篤が歩くままに任せた。
あるいはどこかへ行こうとしているのかもしれない。
方向から察すると篤の家と言う可能性もあるのだが・・・・最後に彼の部屋を訪ねたのは、何カ月も前のことだ。
「進路決めた?」
「ああ・・・、まあな。一応、泰陽文化大っつうことで、目下猛勉強中ですが」
「そう。・・・まあ、決めていて当然だよね。峰に勉強教えてもらってるんでしょう? 彼はスパルタでしょ」
「そりゃあもう・・・。俺の家に乗りこんで来て、ゲーム一式処分されました」
また峰の話か・・・と、溜息が出そうになったが、篤の言い方に含む所はなさそうだったので、俺も素直に返事した。
「それは凄いね・・・っていうか、ちょっとやりすぎじゃない? 使用、収益、処分という絶対的な支配権は所有権を有する君に100パーセント帰属するというのに」
「法律上の解釈はそうなるが、んなまどろっこしい理屈が、卓袱台引っ繰り返して鉄拳制裁上等だと宣言しやがった峰相手に通用するかよ」
「法治国家日本はナントカ養成ギブスを生み出した国でもあるからね。峰なら本当にやりそうだ」
「ハハハハ、それは漫画の話だろ・・・つうか、お前もたいがい古いな。・・・いや、処分ってのは冗談。でもゲームから漫画からビニールロープで縛ってクローゼットに片付けさせられたよ」
「なんだ、結構甘いじゃないか。そんなのすぐに出したでしょ?」
「いんや。一旦決めたことだからな」
「へえ、君がねえ・・・」
妙に感慨深そうに言われた。
ということは、篤も俺の意志の弱さには、思うところがあったということだ。
少し傷付く。
「なんだよ、俺が自制しちゃ変かよ」
とはいえ、数時間前には峰から年越しとともに煩悩を捨てされとも説教されたばかりだから、反駁の声はきわめて弱い。
俺も一人前の大人になるためには、もう少し努力をするべきなのだろう。
「いや。やっぱり君の先生には峰ぐらい強制力のあるやつじゃないと、務まらないのかなって思っただけ」
そう言って篤は立ち止り、クスクスと笑っていた。
なんとなく面白くなくなる。
「お前はそれでいいのかよ」
少し遅れて俺も立ち止まった。
警報音とともに、目の前に遮断機が下りて来る。
上り電車が入って来るようだ。
この電車を逃すと、次は30分先になるだろう。
「どういう意味?」
「だからっ・・・俺と峰が始終一緒にいて・・・それでいいのかよ」
「その判断は君が下すべきじゃないの?」
「けどさ・・・」
「僕は言うべきことは全部言ってきたつもりだし、君の人生を左右する権利まではない。押し付けちゃいけないし、君に選んで欲しい」
「篤・・・俺、まだ・・・」
3両編成の各駅停車が通り過ぎ、騒音とともに俺の声が掻き消されてしまう。
俺は何となく機会を逸し、諦めて口を閉じた。
「行こうか」
「ああ」
警報音が止み、遮断機の竿が上がって篤が再び歩きだす。
俺もそれに従った。
踏切を渡った篤は進路をすぐに左へ取ると、そのまま線路沿いに西へ進んだ。
篤の家でもなければ、日の出スポットの海浜公園でもなさそうだ。
1年前もこうして、大晦日から年始にかけて、彼と延々歩いていたことを思い出す。
水平線を煌めかせながら眩く昇る初日の出・・・開けゆく新年を二人で迎えた、真冬の海浜公園。
もう二度と、あんな時間を過ごすことはないのだろうか・・・ときおり俺に声をかけながら、1メートル程前を歩き続ける大きな背中を見つめ、俺はそんなことを考えていた。
「そういえばこのあたりに、新しい本屋ができるって知ってた?」
臨海公園駅からはさほど離れていない、学園駅を通り過ぎた辺りで篤がそう言った。
「いや・・・そうなのか?」
彼が視線を向けている方向を見ると、確かに建設現場がある。
看板に書いてある施工会社は、知らない名前だった。
基礎工事中の規模から考えて、そこそこ大きな建物になるらしい。
「なんでも西日本のブックチェーンが来るらしくて、5階建てぐらいのビルになるみたいだよ。本屋の他にも、CDとかゲームを扱ったり、カフェなんかも入るらしい」
「すげえな。・・・まあ、学校いっぱいあるし、流行んじゃねえの? うちの連中はゲームばっか買ってそうだけど」
「ははは、そうかもね。・・・でもちょっと複雑な気分だよ」
そう言いながら篤は、少しだけ寂しそうな顔をする。
どういう意味だろうと思っていると、彼は次の交差点で右に折れた。
そのまま茂みの方向へ向かって歩いて行く。
この先には城西公園があった。
俺は少しだけ苦い気持ちを覚えつつ、彼に付いて行った。
「あ、ここコンビニになってたんだ・・・」
よく知っている辺りで、思わず足を止める。
「3年前から建ってるよ」
篤が教えてくれる。
「そうなのかよ、全然知らなかったぜ。踏切のこっちって、お前んち行く以外、滅多に来ねえからなあ・・・」
篤の家に行く時は、臨海公園駅の踏切を渡ってそのまま真っ直ぐに進むため、城西公園の方向へ来ることは殆どない。
仮に公園に来るとすれば、もう少し西にある城西駅の踏切を横断してすぐに公園へ入る為、学園駅側の入り口を使うことは滅多にないのだ。
というよりも、無意識に避けていた。
「夜中に店の看板が一箇所だけ煌々と光っているからね・・・・それが結構眩しくて目立つんだよ。人通りも少ない癖にね。今だって深夜バイトの店員が、眠たそうにしているじゃないか」
ガラス張りの店舗を目線で示しながら篤が苦笑した。
言われてみると、レジの前でぼうっと立っている大学生ぐらいの男の店員が、暇そうに携帯を弄りながら、大きな欠伸をひとつしていた。
客も来ず、やることもなくなって、恐らくは交替の店員が到着するのをひたすら待っている・・・・そんな状況だろうか。
「ははは。まあな・・・学校でも始まれば、この時間なら朝練の連中がパンぐらい買いにくるかも知んねえけど・・・つうか、今、夜中って言ったか?」
言いながら俺は、篤の言葉を思い出して聞き返した。
夜中の状況を、なぜ篤が知っているというのだろうか。
すると篤が、今度は通りの反対側を指で示す。
「あの辺り・・・なんだかわかる?」
そこは幾つかの商店と閑静な住宅街。
更に向こうは、丘陵地のなだらかな斜面にひたすら緑が広がり、その一部というか境界線が今一不明瞭ではあるが、恐らく緑の大半が一条邸のものだ。
そして篤は、まさにその角度を指していた。
「ひょっとして・・・お前んちか?」
「そう。電線が重なり合ってるちょうど下あたりに、青い瓦屋根が見えるかな・・・あれが僕の部屋」
「え、そうなのか・・・!?」
言われてよく目を凝らす。
微かに朝日を照りかえしてキラキラと輝いている青い瓦屋根。
その前には見覚えのある生垣があり、方角的にも間違いない。
こうして見ると、一条邸は城西公園と比べてかなり高い坂の上にあることがわかり、それは何度か篤の部屋へ入ったことがある俺としても、平屋である彼の離れから学園都市線の線路がかなり向こうの方まで見えていたことからわかってはいた。
だが、このコンビニさえも彼の部屋から見えていたということは・・・。
「ちょうどこの公園の入り口あたりだったかな・・・昔、古い2階建ての木造のアパートが建っていたらしい」
「篤・・・」
彼が何を言おうとしているのか、俺は固唾を呑んで見守った。

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