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ここは深夜の城南女子学園の聖白百合宮、通称百合寮。
といっても、今は冬休みの真っ最中で、肝心の寮生はほぼ出払っており、目の前にいるのは顔見知りばかりだが。
「ようこそ皆さま、我が城南女子学園高等学校オカルト研究会主催、新春羽根突き大会へいらっしゃいました。急な決定にも拘わらず、お越し頂いて感謝致しますわ」
そう言って山崎が嫣然と微笑んだ。
山崎は茶色地の振袖に、帯は黒と銀色の縞模様。
肩から袖にかけて椿と桜の華やかな絵柄が入っており、足元はダークブラウンから琥珀色への見事なグラデーションになっている。
昨年見た黒い振袖も大人っぽかったが、これもまた山崎に似合うシックな着物だった。
結いあげた髪に挿している鼈甲の簪もまた粋である。
「昨日の今日だからどうしようかと思ったけど、何とか都合が付いてよかったよ。それにしても、素敵な振袖だね。雪子ちゃんに似合っていて、色っぽいよ・・・・うぁたたっ。何をするんだ、慧生っ・・・」
「べつにい、ただ鼻の下が伸びすぎてて床に落っこちるんじゃないかと、慌てただけだよ」
柿渋色の着物と紋羽織を着て、俺と同じような仙台平の袴を履いた進藤伊織(しんどう いおり)が、雪駄を鳴らしながら、片方の爪先を抑えてその場でピョンピョンと飛び跳ねていた。
指で抑えている方の白足袋にはくっきりと革靴の足跡が付いている。
どうやら隣で頬を膨らませながら拗ねている、香坂慧生(こうさか えいせい)に踏まれたのだろう。
「そんなもの、落ちるわけがないだろう。まったくもう・・・」
女子大付属病院の勤務医であり、山林警備隊員でもある進藤先生が、目にうっすらと涙を浮かべながら、隣の慧生を軽く睨んだ。
剥き出しではないが、雪駄の爪先を、恨みを込めて革靴で踏むのは、恐らく反則技だろう。
それにしても、日頃俺には厳しいドクター進藤が、年の離れた恋人の前ではこんな情けない顔も見せるのかという、ちょっとした意外な発見だった。
とはいえ、完全に二人きりのときには、慧生が悲鳴を上げるスーパー変質者らしいが。
「お忙しいところ、御都合をつけてくださって、本当に感謝致しますわ、進藤先生。お隣のウェイターさんも、お仕事の合間を縫ってかけつけて頂き感謝いたします。ドレスコード違反ですが、きっと喫茶店から駆け付けてくださったのでしょうから、よしと致しますわ」
「何だとてめぇ!? 制服でいいって書いてあったから、特別に店の制服で着てやったんだろうが、感謝しろよ! っていうか、喫茶店じゃねえよ、パスティチェリア・バールだよっ! だいたい、お前ら金持ち連中とは違って、僕は着物なんて持ってないんだよ! 親の金でチャラチャラ高そうな振袖なんか見せびらかしやがって、ふざけんな! 出涸らしの番茶みたいなお前の着物よりも、僕のウェイター服のほうが、ずっと可愛いに決まってるだろ! なあ、伊織ぃ〜!?」
「番茶・・・・」
「ま、まあまあ山崎・・・」
「うだだだだだっ・・・だから、慧生・・・・痛いっ、痛いって・・・わかった、慧生は可愛いからっ・・・足っ足を・・・!」
進藤先生の雪駄履きに再び重ねられた足を、慧生が肩を怒らせながら、今度は床へ捻じ込むように、全力で踏んでいた。
目の前では山崎が無表情で凍りついている。
恐らく怒りのあまり脳が一気に沸点を超えて言葉が揮発し、一時的な硬直状態に入ったのだろう。
隣に立っている、オカ研における山崎の盟友であり、クラスメイトで、学内唯一の常識人佐伯初音(さえき はつね)が、必死に宥めながら、山崎を優しく溶かそうと努めていた。
佐伯の傍らには、後輩で実力行使のルームメイトであり、女尊男卑至上主義者で佐伯の貞操を狙う第一人者小森みく・・・この組み合わせは標準装備だ。
佐伯の着物は黒地に大小の蝶が飛んでおり、帯は赤地に金糸で花車。
シックな着物に華やかな帯の組み合わせが、長身でショートヘアの佐伯に似合っていた。
小柄な小森は赤地に桜吹雪、裾には満開の桜とカラフルな鞠の刺繍が二つ。
帯は黒地に金糸で華やかに桜が描かれている。
頭はいつものように、左右を2カ所ずつ留めているが、トレードマークであるマスコット付きのヘアゴムではなく、赤地に桜を絞り染めした和風のシュシュと、長めの組紐を結んでいた。
なかなか凝った、可愛らしい装いだ。
「はははははははははははは、番茶とは、よく言ったものだわ!」
高笑いは、言うまでもなく我がクラスメイトであり、中学以来の俺の親友、江藤里子(えとう さとこ)。
そして江藤と山崎の仲は俺よりも古く、小学校時代からの剣道のライバルであり、切っても切れぬ因縁の仇敵同士だ。
というわけで、ゴングが鳴ったらしい。
山崎の涼しげな目元が、闇夜にキラリと光る。
「そりゃあ江藤さんに、この気品溢れる加賀友禅は着こなせるとは思えませんもの。あなたにはせいぜい、その地味な小紋がお似合いですわよ。大体振袖に武道袴を合わせるだなんて、正月早々頭可笑しいんじゃありませんの?」
「ああ、どうも変だと思ったら・・・」
江藤は赤地に小さな鞠や駒を描いた短い振袖を着ていて、それ自体は可愛らしいのだが、合わせている袴が少々変なのだ。
振袖に袴を合わせること自体は、成人式や卒業式などで、女がよくやっているのだが、何故かしっくりこない思えば、剣道用の袴を履いていたらしかった。
まあ、どこがどう違うのかと聞かれたら、俺にはさっぱりなのだが。
恐らく、生地が安っぽい化繊という以外にも理由はあるだろう。
「ち・・・違うわよ、原田くん。羽根突き大会だって言うから、動きやすい方がいいと思って・・・っていうか、あんた達が可笑しいのよ! 振袖とか、襞の多い袴でどうやって羽根を追いかけるっていうの? 本城先輩だけよ、正しいのは」
本城薫(ほんじょう かおる)とは、この城南女子学園の卒業生であり、現在は女子大こと、泰陽(たいよう)女子学院大学に通うれっきとした女だが、上から下までストロングブラックの、どこからどう見ても剣道着という勇ましい形(なり)をしていた。
ついでに胸にはちゃんと、「本城」と名字の刺繍が、橙色の毛筆体で縫い付けられている。
ちなみにおっぱいは恐らく、スレンダーな山崎や江藤よりもあるのだろうが、どういうわけか逞しい胸板にしか見えない・・・本当にちんちんは付いていないのだろうかと、疑いたくなる。
まあ、脱がせて確かめる気にもならないのだが。
そんなことをすれば、俺のほうが襲われて終わりのような気がする。
というか。
「お前、そこまで本気で羽根を追いかけるつもりだったのか・・・」
俺の記憶によると、羽根突きとは、正月になると振袖姿の可憐な少女達が、数え歌をうたいながら羽根を突きあう、我が国伝統的な年始の遊びだと認識していたのだが、何か間違っているか?
「羽根突きとは、羽子板を持った者同士が向かい合い、羽根を奪い合う真剣勝負! それはいつ喧嘩が始まっても可笑しくない、刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃないの!」
「もっと殺伐としているべきなんですね」
江藤にとってはどうやら、女子供はすっこんでろ的な世界感らしかった・・・ちょっとネタが古くて申し訳ない。
不意に冷たい風が入ってくると同時に、軽快な挨拶が聞こえてきた。
「やあお嬢さんがた、遅くなってすまないね」
聞き覚えのある声の響きにどきりとして振り返ると、玄関にはよく知っている男・・・の従兄が、着物姿で立っていた。
「あけましておめでとうございます、一条さん。お家の方は大丈夫ですの?」
「あけましておめでとう。新年会と言っても、ただの酒盛りだからね。子供も寝たし・・・まあ、押し付けて来た女房には、あとでこっぴどく怒られそうだけど」
濃紺の着流しと、同じ色の羽織を着て、両袖に手を隠すような恰好で腕を組みながら立っているのは一条達也(いちじょう たつや)。
そう言うと彼は、何が可笑しいのやら一人でハッハッと笑っていた。
こういうオッサン臭い笑い方をすると、やはり違うなあと思いつつ、黙っていれば俺でさえも間違えそうなほどよく似ているこの彼は、クラスメイトであり、一応恋人でもある一条篤(いちじょう あつし)の従兄だ。
・・・・もっとも、最近では、今でも恋人と呼んで良いのかどうかも微妙な関係になってしまっているのだが。
最後にキスをしたのは、いつだっただろうかと思い返し、密かに溜息を吐いた。
「・・・はい、わかりました。伝えておきます・・・では。・・・うわ・・・」
誰かと話していた携帯通話を終わらせながら、達也さんの後ろから入って来た男が、目の前に立っている大男にぶつかりそうになって、雪駄の足でたたらを踏んでいた。
「あけましておめでとうございます、一条篤さん」
その様子を眺めながらも、笑顔をまったく崩さず、山崎が挨拶をして彼を出迎える。
こういう落ち着きぶりは本当に見事だ。
学生であり、一条グループの御曹司であり、社会人でもある篤は、俺の目から見れば充分大人びているが、うろたえた篤が、一瞬であれ子供に見えるほど、山崎の挨拶は完璧で優雅なものだ。
同じような品の良い笑顔で、他のオカ研の二人も挨拶をする。
この辺りの徹底ぶりは、恐らく県内随一のお嬢様学校たる城南の、マナー教育の賜物なのだろう。
その隣で卒業生が、腿の横に両拳を添えたまま直立不動で、後輩である山崎達を温かく見守っている。
ただし彼・・・否、彼女の凛々しいその面構えは、優雅な挨拶よりも、胆田に集中させた気を一気に吐き出すように、押忍と相手を威圧したほうが似合いそうだった。
「ああ、あけましておめでとう・・・。あの、達也さん・・・」
篤も山崎たちに挨拶をすると、手短に通話内容を目の前の従兄へ、かいつまんで話しだした。
どうやら相手は家の人だったらしい。
長着と紋羽織、そして紬の袴は全て若草色の濃淡で纏めてられているが、羽織紐と半襟だけが茶金色だった。
気取らず、礼節を保ちつつも、ささやかな個性を主張しているところが篤らしい。
「遅くなってすいません!」
さらにその後ろから、遅刻者が入って来た。
同時に、なぜだか正月早々、無性にカレーが食いたくなる。
「あらカレー屋さん。あけましておめでとうございます。お仕事もうよろしいの?」
「直江、カレー臭いぞ」
「っていうか、新撰組ってあんた・・・」
「江藤は人の事言えないぞ」
入って来たのは山崎曰くカレー屋さんこと、直江勇人(なおえ はやと)だ。
山崎が直江に優雅な挨拶を済ませ、峰が直江のマナー違反を注意し、江藤が直江の羽織に突っ込んだので、俺は江藤に突っ込んでおいた。
確かに正月早々背中に「誠」と書いた、京都土産全開の羽織を着て出歩く直江は馬鹿だが、振袖に武道袴を合わせる江藤に突っ込む資格はないだろう。
「だ、だって・・・着物で出て行こうとしたら、母ちゃんが、正月なんだから羽織ぐらい着ていけって言うし・・・」
「その羽織を着て出て来るときに、母ちゃんはいなかったのか?」
「『3夜連続世界銘水の旅』見てた・・・」
「だろうな・・・」
しかし3夜も銘水で押し切るなんて、いくら正月でもテレビはサボりすぎだろう・・・それを見たがる温い視聴者がいることにも驚きだが。
「ところで土方君、手元のそれは何なの?」
「ああ、これ? ええとね・・・」
佐伯に指摘をされて、直江が手に提げていた大きな包みを一旦床に下ろす。
というより素直に返事すんな、日本全国の副長ファンに土下座して謝れ。
直江がバイトをしている、カレー専門店『FLOWERS』の紙バッグから出てきた物は、厚紙で出来た鉢型のパッケージ。
中身はどうやら、ライス付のレトルトカレーのようだった。
電子レンジでチンして、即食べられるというやつだ。
「やだ、それってひょっとしてマスターからのプレゼント? 差しいれ?」
食い物には目がない江藤が、死んでも違うとは言わせない勢いで直江に迫る。
「うん、今年もみなさん宜しくって。俺、マスターに気に入られてるから」
「それが唯一、お前の誇りだもんな・・・ほうほう、大盛カレーにオホーツク海カレー・・・内容も定番揃いだな。悪いな、直江」
「いいってことよ。俺、マスターに気に入られてるから。はい、山崎はこれだよね」
「お気遣い頂いて、恐縮ですわ」
山崎がオホーツク海カレーを優雅に受け取る。
そんなわけで、直江がひとしきり紙バッグの中身を、全員に振る舞った。

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