<選択:A>
峰の手に引かれて立ち上がると、俺達は本館2階へ続く階段を上がり始めた。
「それにしても、誰もいない真夜中のでかい建物ってのは、なかなか不気味だな」
各ペアがタイムラグをつけながらスタートしているせいもあるが、今のところ後続者達の姿も見えず、俺達以外の人気が感じられない。
「誰もいないわけじゃないが、香坂と本城さんは、違うルートへ向かったのかも知れないな」
「そうか・・・別館に行った可能性もあるわけだ。だとするとしばらく誰とも会わない可能性もあるんだ・・・」
「ということになる。・・・秋彦、寒かったらもう少しこっちに寄っておけ」
手を強めに引かれる。
「いや、いいって・・・」
「そんな着物一枚じゃ寒いだろ、暖房入ってないし。ダウン着ておけばいいものを、なぜ脱いだ」
「だって、試合のときに邪魔になると思ったから」
少し後悔している。
外から入って来たときには暖かいと感じたが、暖房が入っていない百合寮は、正直、かなり寒かった。
吐く息もずっと白い。
「遠慮をするな。ほら・・・」
「いいってば・・・」
また手を引かれるが、俺はその場で足を踏ん張った。
「あいつがいるからか?」
そう聞く峰の声が、ぐっと低く響いて、ハッとする。
あいつ・・・もちろん篤のことだ。
「いや、・・・ええっと、それはその・・・」
確かに篤と俺は、今かなり微妙な状態になっている。
逆に峰とは既に、何度か口唇を重ねているし、好きだと言われてもいる。
一度は身体を開こうともした。
そろそろはっきりとしないといけないと、俺も思っているのだ。
だが、今日はそういう話をするつもりがなかっただけに、俺は戸惑った。
本音を言えば、やはりこういうところを篤に見られたくはない。
手を引く峰の力が弱まった。
「・・・悪かった。いきなりこんな話をするのは、なしだよな」
「峰」
「せっかく山崎達が正月イベントを企画してくれたんだし、今日はせいぜい楽しもう」
「ごめん」
峰はけして無理強いをしない。
いっそ力任せに奪ってくれたら俺も踏ん切りが付いたのかもしれないが、そこが彼の優しさであり、誠実な峰だから俺も心が揺らぐのだ。
峰が俺に背中を向け、軽く握った手をそっと引いて、ゲームの進行を促した。
俺も彼に続く。
ほんの少し、物足りないと感じている自分に呆れた。
暗い階段を一段ずつ上がっていく。
踊り場の窓から煌々と明るい月明かりが差し込み、窓の下には立派な木枠に収められた、大きな鏡が壁に張り付けてあった。
「凄いな、これってひょっとして創立当時からあるんじゃないか?」
峰が鏡に向かって立ち止り、低い一点に視線を留めながら、そう言った。
俺も鏡を見る。
よく見ると姿見の片隅には、『城南女子学園創立記念PTA有志贈呈品』と記されている。
城南女子の創立と言ったら、昭和20年代の筈だから、相当歴史のある鏡というわけだ。
一見曇りもなく綺麗に使われてはいるものの、言われてみれば所々に汚れや傷みが散見できる。
「あれ・・・」
不意に違和感を覚えて振り返った。
「どうかしたのか?」
「今、何かが光ったような気がしたんだけど・・・」
階段の手摺と天井の間に微かな煌めきを見つけたような気がした。
だが、どう考えてもそれは空中であり、何かがあろうはずもなかった。
「月明かりの反射じゃないのか」
あるいは宙に舞った埃に、窓から入って来る月光が反射したのだろうか・・・だが、そんなものが鏡越しに見えたりするだろうか。
そう思っていると・・・・。
「うわあっ!!!」
突然視界が真っ暗に閉ざされ、たたらを踏んだ。
「秋彦っ!」
段差を踏み外しそうになったところで、峰が呼ぶ声がして、強い力で身体を包みこまれる。
階段から落ちそうになった俺を、峰が抱きとめてくれたのだろう。
ひんやりとした絹の感触が頬を撫でながら、俺の視界を奪っていたものが、静かに空気を揺るがせつつ足元へ滑り落ちてゆく。
「何だこれ・・・」
俺達の足元で襞を作りながら固まっているもの・・・。
風情ある絞り染めの赤い生地に、色とりどりの雅な絵巻模様。
「どう見ても振袖だな」
耳元で峰がそう言って、俺は自分が彼に抱きついていることを知る。
「うわ・・・っと、ご、ごめん・・・」
「暴れるな、落ちるぞ」
焦って離れようとしたところで、俺の背中に回っていた峰の腕に、再び力が込められた。
だが、間もなく峰は俺から手を放すと、足元から着物を拾い上げ、それを広げて眺める。
「天井からこんなものが落ちて来るなんて・・・これも山崎達の仕掛けか?」
「だろうな。・・・おそらくお前が鏡越しに見た光ってのは、あれのことだろう」
そう言いながら峰が天井を見上げる。
彼の視線を追って俺も上を見ると、やはり蛍光灯から1本の釣り糸が垂れて、ゆらゆらと動いていた。
談話室と同じように、何かに反応して釣り糸に仕掛けてあったこの振袖が落ちて来たのだろう。
「まったく・・・心臓に悪いゲームだな」
「肝試しなんてものは、そういうもんだろう・・・ほれ」
ふわりと肩が温かくなる。
鏡越しに自分を見ると、紋付袴の上から、女らしい振袖を羽織っている自分がいた。
「何の真似だ!」
振袖をその場で脱ぎ落とす。
「いや、寒かろうと思って・・・っていうか、乱暴に扱うな。高そうだぞこれ」
再び俺に寄って地面に落とされた振袖を、名残惜しそうに峰が拾っていた。
「知るか!」
「寒くないのなら、いっそこっちに着替えてみないか?」
懲りずに峰が振袖を突き出してくる。
「着替えるわけねえだろ!」
「そうか、帯がない・・・」
峰がキョロキョロとする。
「そういう問題じゃない・・・」
そこらへんに都合よく、帯が落ちてると思っているのかこいつは・・・。
「まあ羽織っているだけでも・・・花嫁の打掛のようで悪くはないが」
「打掛と振袖は作り方も用途もまるで違うだろ。そういう邪道は原田制服株式会社的に許されねえんだよ」
制服会社の実質的トップであり、服の定義には小五月蠅い伯母の冴子さんが聞いたら、目を剥いて怒りそうなことを峰が言ったので、適当に釘を刺しておいた。
とはいえ、実は俺も振袖と打掛の正確な違いなんて、よくわかっていない。
「いや、ちょっと待てよ、・・・寧ろ長襦袢も帯も何も着けていない状態で、恥ずかしそうに前を掻き合わせるようにして、裾を引き摺りながら赤い振袖をだけを羽織っている姿というのも、なかなか・・・」
「行くぞ」
細かいところを突っ込まれたらどうしようと思っていたが、心配は皆無だった。
勝手に気味の悪い妄想空間へ浸り始めた峰をその場に放置すると、俺は一人で階段を上がって行った。
次へ
『城陽学院シリーズPart2』へ戻る