4階までやって来たところで、ぐっと辺りの空気が冷え始める。
「マジ寒い・・・」
「だから意地を張るなというのに」
「普通暖かい空気っていうのは、上に溜まるもんじゃないのか?」
上階へ上がるほど寒いというのは、どうにも不自然だった。
「暖房がついていたらの話だな。・・・だが、確かにこの寒さは可笑しい。4階だけどこからか冷気が流れている。まるでエアコンでもかけているみたいだな」
「エアコンをかけて、・・・で、わざと冷やしてるってのか?」
頭が可笑しいのか、それともエアコンが故障しているのか。
「あくまで、エアコン”みたい”って言っただけだ。本当にエアコンなら、到底ここにいることすら我慢ができないことだろうよ。だが、冷気の流れがあるってことは、何かしらの原因があるんだろう。だとすれば、これもゲームの一環だとは思わないか?」
「なるほど、そこにトレジャーが隠されているってわけか!」
「そこまではわからないがな。ここはスルーしないで、冷気の出所を突き止めた方が良さそうだ。一部屋ずつ覗いて行こう」
そう言って、峰が目の前の部屋へ入ろうとした。
彼に引かれたままの手を俺は軽く引いて、繋ぎ目を放す。
「そういうことだったら、二手に分かれて探した方がいいだろう。俺はあっち行って来る」
そう告げて、俺は別方向を指さし、一人で廊下の向こうへ行こうとした。
「ちょっと待て、秋彦」
「何・・・えっ・・?」
峰に呼び止められて振り向こうとすると、肩がほんわりと暖かくなる。
「振袖が嫌なら、これでも着ていけ」
それだけ言って真後ろに立っていた峰がくるりと背を向けると、手に赤い振袖を持ったまま、『読書室』と書かれた正面の部屋へ入って行った。
「・・・の馬鹿。自分が風邪引いても知らねえぞ」
肩から掛けられた峰の羽織は、まだとても暖かく、袖を通しながら俺は廊下を進んだ。
一部屋ずつ覗くといっても、4階に並んでいる部屋はほぼ寮生の部屋であり、覗ける部屋は結構少ない。
「ここから先は別館か・・・ん?」
ひとまず本館の突き当たりまでやってきたところで立ち止まる。
廊下はそこで二手に分かれ、進行方向は別館に続く。
そして右方向には、奥にひとつだけ、寮生の部屋以外の扉があった。
とりあえず、その部屋を覗いて行く。
「あれ・・・開いてる」
『物置き』と書かれたプレートが枠に差し込まれている扉の前に立つと、僅かに開けられた隙間に気が付き、動揺する。
扉が開いているということは、中に誰かがいる可能性が非常に高い。
峰とは先ほど分かれたばかりなので、中にいるのは当然、それ以外の誰か・・・つまり敵と遭遇しかけていることを意味している。
「しまった・・・羽根、峰に預けて来ちまった。っていうか、相手が羽根を持っていたとしても、こっち一人じゃん! せっかくのエンカウントだっつうのに、なんたる不手際! まあ、ぶつぶつ言ってもしょうがないので、入るとするか・・・」
扉を引いて足を進める。
せせこましく暗い物置きには、使われていない机や椅子、古いテレビや、カバーに穴が開いたソファ、筒状に巻いて紐で束ねてあるカーペットなどが、みっしりと押し込められていた。
本当にただの物置きのようだ。
さらに言えば、とくにこの部屋から冷気が感じられない。
無駄足のような気がしたので、すぐに部屋を出て行こうと、背を向けるが・・・。
「誰かいる?」
背後から掛けられた声に息を呑んだ。
さらに、後ろから俺に向けて強い明かりを向けられる。
「ちょっ・・・眩しいだろうが!」
「なんだ、秋彦か」
穏やかな声が俺の名前を呼んで、光源を少し下げてくれた。
「ったく・・・何で懐中電灯なんか持ってんだよ、てめえは・・・反則だろ」
机や椅子の隙間から、明かりを照らしてこちらを見ているらしい男を、忌々しい気持ちで俺は睨みつけた。
しかし、光の角度を下げたとはいえ、まだまだ逆光のため、俺からは相手の顔がはっきりと見えない。
「そうは言われてもね。これもトレジャーのひとつだから。・・・一人かい? 相棒はどこへ行ったの?」
「二手に分かれて糞寒い冷気の原因を捜索中だよ。・・・懐中電灯なんてあったのかよ、畜生。つうか、お前こそどうなんだ。佐伯は?」
「こっちも同じようなところだよ。なるほど・・・別行動中とはいえ、寒がりの君に羽織を預けて分かれるなんて、やってくれるね、峰も」
「篤・・・」
言い方に明らかな棘があった。
「ところで君、羽根はあるのかい?」
「いや。一応手に入れたけど、峰が持ってる」
「僕らはまだ手に入れてない・・・ってことは、せっかくのエンカウントだというのに、ここで君を叩きのめすことはできないわけか。残念だ」
「お前なあ・・・そういう話は、今は・・・」
「何のこと? 僕は単純に思った通りを言っただけだよ。今は敵同士じゃないか。ライバルを打ち負かしたいと思うのは、当たり前だろう」
「てめえ・・・」
「でも試合が出来ないんじゃ、ここにいても仕方がなさそうだね。僕はもう行かせてもらうよ」
そう言うと篤はこちらへ出て来て、俺の隣をさっさとすり抜けていった。
立ち止りもせず、碌に俺の顔を見ようともしないで。
「あつ・・・・・」
篤は懐中電灯の明かりを消して突き当たりまで行くと、さっさと別館の方へ進んで行った。
若草色の後ろ姿を俺は、追いかけることもできずにそのまま見送る。
胸が痛かった。
その場にあった机に手を突き、拳を握りしめる。
視界がじんわりと滲んだ。
もう、本当にだめなのだろうか。
「畜生がっ・・・!」
溢れだしそうな感情を、拳に込めて机に叩きつけた。
「おい、誰かいるのか・・・って、何んだ、お前か」
「あ・・・えっと、峰・・・」
慌てて拳で目元を拭う。
峰はそのまま物置きへ入って行くと、さきほど篤が立っていた辺りで立ち止まり、その場で身を屈めた。
「お、こっちにもあったんだな。これこれ・・・読書室と同じだ」
「何のこと・・・って、冷風気!?」
俺も峰の隣へ移動して、その場の仕掛けに唖然とした。
「ああ。しかもこの通り、この真冬に桶へ氷水まで張りやがって、ここから静穏タイプの冷風気で冷気を送りだしてたってわけだ。読書室と、さらにトイレにも同じ仕掛けが、扉に付けられた通気孔に向けて作ってあったぞ。見ろよ、氷水の表面がしっかり凍りついてるぞ」
峰が指先で、水の表面を、コツコツと突いて見せた。
「アホかあいつらは・・・」
「っていうか、この冷風気はお前が止めたんじゃないのか?」
「あ、いや・・・」
「何だ違うのか・・・。まあいい。お前以上に間抜けな先客に感謝するとしよう」
そう言うと峰は薄氷を割りながら手を突っ込んで、中から黄色いテニスボールを取り出し、先に持っていた物と並べて俺に見せて来た。
「トレジャー!?」
「トイレと読書室、そして物置き。・・・合計6点獲得だ」
「凄ぇ、これってトップじゃねえの?」
「だといいな。・・・それにしても冷風気に気付いて、これに気付かないなんて、馬鹿な野郎だな・・・」
「ああ・・・・」
俺は氷が壊された桶を見つめる。
光源のない俺達でも簡単に見つけられたこの仕掛け。
懐中電灯を持っていた篤が、本当に気付かなかっただろうか。
まさか。
「どうかしたか?」
「いや・・・なんでもない」
「行くぞ」
差し出された右手に俺は指を絡める。
「ああ」
いつも以上に冷たい峰の手に引かれて、俺は4階の物置きから出て行った。
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