「ではまず、ルールから説明しよう。コイントスによりサーブか陣地を選び、サービスのときは一度、その他は3度まで羽根を突くことができる。相手のパスを打ちそこなって地面に落とすと失点。それ以外は、羽根が相手のコートに入らなかったり、ネットタッチしたときもまた失点。サーブした羽根がネットを越しても、相手のサーブボックスに入らない場合はファールとし、ファールが2回続いた場合もまた失点となる。何か質問は?」
峰が『第34回二葉学園女子羽根突き大会公式ルールブック』と書かれた本を閉じながら俺達の顔を見渡した。
「はい、峰先生」
「なんだ、秋彦」
「そのルールブックは一体どこから持ってきたんですか」
「家を出るときに、妹が貸してくれたものだ。何しろ、恥ずかしながら俺はこれまで羽根突きを一度も経験したことがなかったから、正式なルールを知らない。だから花柄のパジャマに身を包んだまりあが、熱に浮かされ潤みきった瞳で俺を見上げながら、健気にそっと手渡してくれたんだ」
色々と突っ込みどころ満載な妄言を、恥ずかしげもなく峰が垂れ流してくれた。
どうやら二葉学園では、定期的に羽根突き大会とやらが行われているらしい。
女子が羽根突きなら、男子は凧揚げかコマ回し大会でも興じているのだろうか。
高校に上がるまで兎を飼育していたり、偏差値が高い癖に妙に子供っぽいところのある、まことによくわからない学校だ。
「ちょっといいかな、峰くんとやら」
黒道着の右腕がスッと挙がった。
「なんでしょう、本城さん」
「君の妹さんは何歳?」
「妹は2歳下ですが、それがどうかしましたか」
「君に似ているのかい?」
「似ていなくもないですね、俺も妹も母似とよく言われますから」
本城先輩の目付きが変わった気がした。
「お母様はさぞかし美しい方なんだろうね」
「めちゃくちゃ美人っすよ。でもってまりあちゃんはツインテールの超絶美少女で、こいつのストーカーです。兄もご覧のとおりの病的なシスコンで、家で何やってることやらまったく怪しい兄妹です」
俺は本当のことだけを言った。
「なんということだ、神のご意志に逆らっている・・・」
「あんたが言いますか」
眉間に皺をよせながら考え込んでしまった本城先輩に、一応突っ込んでおいた。
「はい、はーい」
今度は慧生が手を挙げた。
「なんだ、そこの女学生」
「あのさー、どうでもいいけどネットはどこにあんの?」
慧生が峰に質問した。
女学生という呼称を訂正する気はないらしい。
「ネットなら秋彦の携帯を貸してもらえ。残念ながら俺のガラケーは古すぎて、近頃では携帯用サイトですら、碌に見られるところが少なくなった」
「マジかよ! 金持ちなんだから、さっさと買い替えろよ! ・・・・じゃねーよっ、どこにコートとかネットがあんだって聞いてんだよ、元二葉の癖に、つまんねえシャレ言ってんじゃねえ!」
「キャンキャンと五月蠅い男の娘だな。そういうものは、なくてもあると念じるんだ。子供の頃によくやっただろう。巨大魔獣がいると想定して騎士になりきり、手にしていない剣を振りかざして見えない魔獣に飛びかかって行くんだ」
「ああ、よくやったな。何もない空間に向けて石とか投げて、それで隣の家の窓とか割っちまって怒られたり・・・っつうか、二葉でも城陽でも、ガキの頃にやるこたぁ同じだな」
峰でも無邪気な子供の頃があったのだと知って、ほほえましくなった。
「そうだな。人身御供の巫女役のまりあに石が当たってしまって、よく泣かれたもんだ」
「人身御供・・・しかも巫女だと?」
ついでにさっきは男の娘とか言ってなかったか。
「ああ。村の美少女を攫いに来た巨大魔獣へ、人身御供に出された哀れな美少女巫女と、魔獣退治に立ち上がった騎士ごっこ。俺とまりあの定番ごっこ遊びだ」
「はあ・・・ちなみに、他に参加者は?」
「俺たちだけだ」
「だろうな」
やっぱり異常だ、この兄妹。
人身御供の美少女巫女とか美少女戦士なんて、エロゲーのお決まりストーリーじゃないか。
峰の頭の中で展開されていたであろう、どうしようもない筋書きが、嫌になるほど想像できて、心底呆れた。
まあ、想像できてしまう俺も俺なわけだが・・・・。
「そういう話じゃねえよ! ネットとかコートを妄想しながら試合しろって、無茶苦茶だろ! ルール改正しろ!」
慧生が漸く突っ込んでくれた。
雲を掴むような人柄の本城先輩では、到底ツッコミが期待できないだけに、こうなると慧生だけが頼みの綱だったので、助かった。
慧生の申し立てがあっさりと受理されて、俺達はまもなく二手に散らばった。
「それじゃあ、行くよ」
赤、緑、黄色、青、ピンクのカラフルな羽を摘まんで、食堂の扉を背にした慧生が宣言する。
「おうよ、いつでもかかってきな」
羽子板を構えて俺も受け答えた。
「アンダーサーブだぞ」
俺の後ろで、まだ峰がルールに拘っていた。
「ごちゃごちゃと五月蠅いんだよっ!」
峰の指示を無視するように慧生が羽根をついっと目の前に浮かせると、振袖をはためかせながら勢いよく羽子板を打ちつけて来た。
カチンと小気味の良い音が天井の高いフロアに響き、なかなか鋭いサーブがこちらへ飛んでくる。
「うわっと・・・」
思いのほかスピードに乗っていた羽根があっという間に視界を横切っていき、薄暗さも手伝って俺は行方を見失っていた。
しかし背後でカチンと羽根を拾う音が聞こえて、峰が打ち返していたことを知る。
「大丈夫か」
「悪い・・」
バランスを失してふらついていた俺に気付き、峰が声をかけてくれた。
俺はミスをフォローしてくれた彼に詫びる。
「そんなへっぴり腰では、何点差がついてしまうか、先が楽しみだな」
不敵な笑みを浮かべながら本城先輩が、さらに勢いを増したレシーブを返してきた。
嘲笑されて頭に来る。
「うっせえ、暗くてよく見えなかっただけだっつうのっ!」
あきらかに俺狙いだったレシーブを本能で打ち返す。
「馬鹿、なぜまともに返すんだ!」
羽根の軌道を見て峰が俺を非難してくる。
何も考えずに打った羽根は、そのまま本城先輩の手元へ戻っていた。
「いや・・・、えっとべつに・・・」
恐らく、狙うなら慧生にしろと峰は言いたかったのだろう。
あちらが峰ではなく俺を狙って来ているように。
ちょっとだけムカついた。
だが、ここで予想外のことが起きた。
「んなろーっ、馬鹿にしてんじゃねえ!」
「こら、香坂くん・・・」
本城先輩に向かっていた筈の羽根へ、横から食らいつくようにして慧生が飛び出したのだ。
機先を殺がれた本城先輩は動揺して足を止め、まさに羽根が地面へ落ちんと言う直前で、慧生が羽子板の先でちょんとそれを掬いあげていた。
「つっ・・・」
息を呑むような、奇妙な声をあげて、慧生の身体が不自然にグラリと傾ぐ。
「慧生・・・?」
「秋彦、そっち行ったぞ」
様子が可笑しい慧生に気を取られていた俺は、峰の呼びかけで頭上を見上げた。
「おっと・・・」
目の前には緩やかな弧を描いて、羽根が俺の少し前に落ちて来ようとしていた。
条件反射で羽子板を振り上げた俺は、気持の良いスマッシュを決めて敵陣へ送り返す。
スピードに乗ったカラフルな羽の束が、直線に近い軌道を描いて食堂前の床に突き当たり、小気味の良い音を立てながらその場で跳ねた。
「よっしゃ!」
ガッツポーズを決めて振り返ると、峰も黙ってひとつ頷いた。
もう一度相手チームへ目を向ける、どうも状況が変である。
床の上で横座りをしている慧生と、傍らへ片膝を突いて寄り添っている本城先輩。
慧生の顔が苦しげに歪んでいる。
「痛ててて・・・・」
尻の辺りに慧生の羽子板が投げ出され、持ち主は右手で自分の足首を押さえている。
捻るかどうかしたのだろう。
「大丈夫かい香坂くん、ほら私に捕まって」
そう言うと本城先輩が慧生の細腕を自分の首にかけ、そのままふわりと彼を担ぎあげてしまった。
「ちょ・・・ちょっと、あんた、何すんだよ・・・」
慧生が焦って腕の中でもがき始めるが、強い力で押さえこまれて、振りほどくことはできない様子である。
「あらら〜・・・似合ってる」
道着を着込んだ逞しい剣道家に抱かれる、可憐な女学生。
男女のカップルであることは間違いないのだが、抱きあげられている方が男だという事実がなんとも悩ましい。
「下ろせって、馬鹿っ・・・っててて・・・」
顔を真っ赤にしながら女学生が足をばたつかせた・・・が、すぐに身を縮こまらせながら大人しくなる。
足が痛むのだろう。
「意地を張らなくていいから、大人しく私に身を任せなさい。羽のように軽い君を寮の医務室まで運ぶことなど、私にとっては造作のないことだ。着いたらすぐに手当をしてあげよう」
「冗談じゃない、よく知らないあんたにこんなことまでされる理由は・・・」
「可愛らしいお嬢さんを運べる栄誉に与れて、光栄だよ」
「お嬢さんじゃねえ、僕は男だっての! つか、あんた女だろうが、そうは見えねえけど」
「細かいことはこの際どうでもいいじゃないか」
苦しみながらも力いっぱい暴れているつもりらしい、一応男である慧生を簡単に封じ込めてしまうと、余裕の笑顔で本城先輩が俺達の目の前を通り過ぎる。
階段に向かって歩いて行ったということは、おそらく上階に医務室があるのだろう。
こうして見ると、意外と似合いのカップルに見えてくるから不思議なものだ。
「なんか間違っているというか、いや、合ってるんだけど、何かが可笑しい」
「いいんじゃないのか? 必ずしも香坂の彼氏に遭遇するとも限らんし」
隣にやってきた峰がのほほんと言う。
「そうだ、試合・・・! ええと、この場合どうなんの?」
慧生の怪我により試合が中断したということを、俺は思い出していた。
「何を言っている。お前のスマッシュが決まって俺達の勝ちだろうが」
「あ、それでいいのか・・・」
そういえば峰に警告されて、俺は目の前に落ちて来た羽根を打ち返していたのだ。
それは確かに相手陣地の床を突いていた。
1点先取だ。
けが人が発生しようがなんだろうが、決まったもんは決まったのである。
そして一点先取により勝敗が決すると、山崎が最初に宣言していたのだから、文句なしで俺達の勝ちだ。
「つうわけだ。それじゃあ俺達も行こう」
そう言って、慧生達が歩いて行った方向と逆へ進路を取ろうとしたときのこと。
「てめぇ、女!」
聞き慣れた慧生の女性蔑視的暴言が聞こえ、俺は峰と顔を見合わせて足を止めた。
慧生がペアを組んでいる本城先輩は、確かに女で間違いないのだが、そういう暴言をぶつけられるイメージには到底ありえない。
本城先輩は、あの女嫌いの慧生がヒステリックな拒絶反応を未だに起こしていない、貴重で、恐らく地上における唯一無二の性別女性生命体だろうと、推定できる。
ということは・・・。
嫌な予感がして、再び背後を振り返った。
「雪子、これには色々とわけが・・・」
「あら先輩」
次に本城先輩と、紛れもない山崎雪子の声が聞こえて来る。
前者は狼狽え気味な言い訳であり、後者は冷静な受け答えだ。
「お前こそどういうつもりなんだ。俺と言う者がありながら、他の男へ安易に身を任せるなど・・・」
「女子大付属病院の先生にして、山林警備隊員の進藤氏とやら、それはひょっとして私のことだろうか・・・」
「進藤先生、本城薫さんはあたくしたちの先輩ですわ」
「そうなのかい、雪子ちゃん。なるほど、昨今の少子化の波に押されて、城陽に続き、伝統ある城南女子も、俺が知らない間に共学になったということか。・・・いや、待てよ。城南女子なのに、共学っていうのは可笑しいな・・・」
「畜生、離れろ! 女、それ以上伊織を誑かしたら、ただじゃおかないぞ!」
「女、女って五月蠅いですわね! 殿方がどれほど偉い生き物だって仰いますの!?」
階段の前が、なんだかわけのわからない修羅場と化していた。
「行くぞ、秋彦」
せっかくのエンカウントだが、俺達の出る幕じゃなさそうだ。
「そうだな・・・」
峰に手を引かれて俺達は階段に背を向けると、別館を目指して歩いた。