気を取り直し、羽根を構えて相手を見据える。
前方には佐伯、そして後方を篤が守る布陣をとっていた。
さんざん馬鹿にしてくれた篤を、泣かせてやりたい気持ちは山々だったが、順当に考えて、ここは佐伯を狙う方が得策だろう。
佐伯も運動神経が悪いようには見えないが、足元は着物で固められているから、動きは鈍いはずだ。
となると、右手で羽子板を構えている佐伯の少し左側・・・そのあたりが狙いどころだ。
「・・・行くぞ!」
俺はあえて篤に視線を向けてから、羽根を浮かせると、思いっきり右側方向へ羽根を飛ばした。
「甘い、甘い!」
「なんだと!?」
篤の声が聞こえて前方を見ると、あっというまに彼が左側へ移動して羽根を拾っていた。
さすがに佐伯は動けなかったようだったが、篤の移動が早すぎた。
「あれだけジロジロと、佐伯の左側ばかりを見つめていたんだから、そこを狙ってくるなんて、見え見えだよ。・・・まあサーブを撃つ瞬間に、あざとくも僕へ視線を寄越したあたりは、君もずいぶんとしたたかに成長したとは思うけどね」
「るっせえ! 御託並べてんじゃねえよ」
篤が打ち返した羽根はわりと緩めで、ふわりと弧を描きながらこちらへ降りてきたが、目測を誤ったらしく、俺よりもやや後方へ落ちようとしていた。
俺は焦りながら後ろへ下がる。
「俺が拾う!」
峰が声をかけてくれたので、そこで立ち止まり、次の瞬間、真後ろでカツンと羽根を弾く音が聞こえてきた。
今度は佐伯の右後ろを狙った形になったが、これには佐伯が追いついて、易々と掬いあげた。
撃ち返された羽根は俺の左側・・・つまり俺の利き手ではない側の空間を狙ってきた。
ぎりぎりのところでバックハンドを使って、それを打ち返すが、今ひとつ力が入らない。
「僕が貰う」
相手陣内のちょうど中央あたりに、それなりの勢いを保ったまま弧を描いて羽根は落ちたが、あっさりと篤が追いついた。
彼が大きく袖を翻しながら、オーバーハンドで打ち返そうとする。
俺は羽子板をぎゅっと握り締めて、飛んでくる羽根を待ち構えた。
だが、カツンと弾いた羽根は弱々しい球威と、緩やか過ぎる弧を描きながら、こちらへ飛んできた。
想像していたよりも、ずっと距離が伸びない。
「うわっあっとと・・・」
俺は右前方へダッシュしようとしたが、その瞬間に雪駄が脱げて足がもつれる。
それでも意地で、どうにか羽子板だけは差し出したが、結局バランスを崩して転んでしまった。
「秋彦!」
峰の呼ぶ声が聞こえた次の瞬間、羽子板の先にコツンという手ごたえを感じ、なんとか羽根に追いついたことを自覚した。
しかし残念ながら、羽根は敵陣ではなく俺たちの陣地へ落ちかけていた。
「峰・・・」
そしてギリギリのタイミングで、ひとつの影が滑り込むように現れて、羽子板を持つ手を精一杯伸ばし、羽根を敵陣へ返していた。
「きゃっ」
小さな悲鳴が前から聞こえてくる。
「大丈夫か?」
「ああ、・・・すまんな」
峰に抱き起こされて、相手ペアを見ると、同じような体勢で佐伯が篤に抱き起こされていた。
その佐伯の胸元からポロリとカラフルな羽根が零れ落ちてくる。
どうやら峰の打球が佐伯のオッパイを直撃して、びっくりした佐伯が尻餅を突いたらしかった。
・・・・・なんとなく、その瞬間が見られなかったことを悔やむ俺の頭は、死ぬまで煩悩まみれなのだろう。
それにしても。
「デッドボールってのは、どういう扱いになるんだ?」
「出塁するベースもないから、まあ通常通りだろうな」
峰がのほほんと言う。
「ってことは」
羽根は峰が撃って相手陣内に落ちたわけだから・・・。
「ごめんねぇ、私のせいで」
佐伯が篤に謝っていた。
「いいよ。君をカバーしきれなかった僕が悪い」
胡散臭い笑顔で篤が佐伯を庇っていた。
その調子で、これまで女を何人騙したのかと、小一時間問い詰めたい気分だったが、ぐっと堪えた。
二人の下へ、峰がつかつかと近寄っていく。
「筆と墨汁を貸してくれ」
「いやいや、いくら直談判しても、篤がおとなしく貸すわけ・・・」
そう言いかけたが、次の瞬間にはまわれ右をした峰の手に、二葉の書道セットが提げられていた。
「借りてきたぞ」
「マジかよ」
峰がケースを開けて、中から墨汁の瓶と筆を取り出し、俺に渡す。
「ほれ、思う存分やってこい」
どうやら俺に、落書きさせてくれるつもりらしかった。
「おお、サンキュ」
俺は筆にたっぷりと墨を浸すと、まっすぐに篤の下へ近づく。
「まあ、仕方ないね。お好きにどうぞ」
そう言って俺に顔を差し出した彼の頬に、俺は一言「ばーか」とだけ書いた。
そして墨汁の蓋を閉めると篤に返却する。
「ほら、返すよ」
「なんだ、もういいのかい? もっと滅茶苦茶にされるかと思った」
「恨み買うってわかってんなら、人のこと集中攻撃してんじゃねえぞ」
「何を言っているのやら。弱いほうを狙うのは勝負の鉄則だろう? 君と峰じゃ、どう考えたって君のほうが倒しやすい。それだけさ」
「お前の場合は違うだろ。人のこと散々挑発しやがって」
「心理作戦だよ。君はカッとなりやすいからね。それに、無表情な峰とは正反対で、考えてることが顔に出やすい」
「私怨がないなんて言わせねえぞ!」
「面白い考察だね、なぜそう思ったのか、その理由をぜひ聞かせて頂きたいものだ。僕を怒らせるような、いったい何をしてくれたんだい」
「も一回貸せ!」
「あ・・・・」
篤の手から筆を奪うと、額に「アホ」、もう片方の頬に「ボケ」と書き、両目の周りをぐるりと取り囲んで、鼻を黒く塗りつぶしてやった。
そして残った墨汁を、頭からかけてやる。
篤に再び筆を返して、呆気にとられている峰の元へ戻ろうとすると。
「あのさ・・・」
「ん、どした?」
立ち止まって、俺を呼び止めてきた佐伯へ聞き返す。
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