階段の最後の一段を降りて角を曲がった俺たちの目の間には、誰もいない玄関が広がっていた。
「どうやら一番乗りらしいぞ」
そう言って峰が俺の手を握ると、廊下を駆け抜けようとする。
そこへ。
「ちょっと、待ったあ!」
聞き覚えのある声が玄関へ響き渡り、廊下の角から現れた人物は、腕を組んで前方へ仁王立ちをすると、不適な笑みを浮かべながらこちらを見据えていた。
小柄な体格におかっぱ頭、臙脂の小紋に武道袴・・・・。
「江藤じゃねえか。お前罰ゲームから逃げたんだってな」
「なっ・・・五月蠅いわねっ! あっちが構わないって言ったんだから、別にいいじゃない・・・っていうか、何でそんなこと知ってるのよ!」
「いや、佐伯から聞いたんだけど・・・っていうか、お前のせいで達也さんが身代わりになったっていうじゃねえか、気の毒に。男の従兄弟同士でキスさせられたんだぞ。謝ったのか?」
「それは・・・それで、別に構わないじゃない」
なぜか底知れぬ薄笑みを浮かべている江藤が、少し不気味に見えていた。
「そのぐらいにしてやれよ、秋彦くん。僕や篤君にとってキスは挨拶みたいなもんだけど、そうじゃない人もいるんだから、乙女心を理解してあげないと」
江藤から少し遅れて角から現れた人物・・・篤とよく似たこの男は、そう言うと軽く苦笑を浮かべた。
「ほうほう、ファーストキスは何が何でも未来の恋人のためにとっておきたいと、そういうことですか。まったく少女小説の読み過ぎなんじゃねえの? そういやお前、毎晩絵日記付けてるらしいな」
「小学生じゃあるまいし、絵日記なんてつけるかーっ! 普通の日記よっ・・・っていうか、な・・・なんであんたがそれを知ってるのよ・・・!?」
「なあに、夕べうちへ現れたお前の家族が、御節を食い荒らし、ビールを1ケースと一升瓶を開けた挙句に、姉貴の素顔をさんざん語りつくしていってくれただけだ」
「馬鹿弟がぁあああああ、直(すなお)のやつ家に帰ったら覚えてらっしゃい! っていうか、あんたも何ウチの弟に、酒なんて飲ませてくれてんのよ!」
「しかしあの野郎、人様の家にしっかり女連れで上がりこみやがって、あいつ絶対大晦日から家に帰ってなかっただろう。カウントダウンの後、間違いなくヤッてるな」
「きゃああああああ、やめてやめて、聞きたくない! 想像させないでえええええ」
「冗談だ、馬鹿者」
これだから、江藤をおちょくるのは飽きないのだ。
「あんたに馬鹿呼ばわりなんてされたくないわよっ・・・って、冗談なの・・・?」
「ああ、安心しろ。直はまだ童貞だし、酒なんぞ飲ませておらん」
まあ、童貞っていうのは、多分嘘だ。
カウントダウンを彼女と過ごした野郎が、童貞の筈あるか。
「そ、そうよね・・・そんな悪い子じゃない筈だもの。ああ、びっくりした・・・言われてみれば、夕べ確かにちょっと帰ってくるの、遅かったけど、お酒なんて飲んでなかったわ、あの子」
実に単純である。
単純な処女の江藤は夢を見ている方がきっと幸せなので、そう思わせておくことにした。
「まあ、お屠蘇くらいは飲んでいったけどな。そのぐらいは許してやれ」
「うん。お屠蘇ならうちでも毎年飲んでるもの」
「軽く熱燗を5本ほどな」
直は多分、酒豪のヤリチン中学生だ。
「この外道!」
そしてひとしきり羽子板を振り回す江藤に、俺が追い掛け回された後で、峰のコイントスによって試合が始まった。
「ちょ、ちょっと休憩しませんか・・・」
距離にして軽く500メートルほどの猛ダッシュを決めた揚句に、頭頂部へ羽子板による面で一本とられていた俺は、堪らずタイムを申し出たが、江藤に軽く一蹴された。
「男なら、正々堂々と勝負なさい!」
息ひとつ乱していない江藤が、先ほど竹刀代わりにしていた羽子板を突きつけながら、宣戦布告する。
「どんな心肺持ってんだよ、あいつも俺を同じだけ追い掛けていただろうが・・・」
いかに江藤が処女とはいえ、日ごろの鍛え方が違うといったところか。
「こっちからサーブ行くぞ」
腰を曲げ、膝に手を突きながら肩で息をしている俺では当てにならないと判断したのだろう、峰が勝手に試合を進めていた。
しかし、相手は剣道の猛者である江藤と、これもまた運動神経の良さそうな達也さんだ。
一人で二人を相手にしているような状態では、そうそうラリーが続く筈もなく。
「くらええええええええええええええええええっ!」
威勢の良い江藤の雄叫びとともに、強烈なスマッシュが峰の肩の上を鋭く突き抜けていった。
「うわっ・・・」
反応が遅れた峰が振り返ったころには、羽根は床で跳ねていた。

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