一条は今チューファにいる。 「納得いきません」
帰国するのはゴールデンウィーク明けだ。
俺は結局、「誕生日おめでとう」の一言も言ってやらなかった。
あれからすぐに一条は俺に電話を寄越した。
出ずに切断ボタンを押すと、今度はメールが来たが、それも無視した。
翌日までにその数がそれぞれ二桁に上ったところで、俺は怒りにまかせて着信拒否の設定をした。
・・・・さすがにやりすぎたかとすぐに後悔したが、今更解除もできずにずるずると日にちばかりが経過して、遂に新学期が始まってしまった。
「ええっと、じゃあ峰の他には・・・」
相変わらず頼りのない有村好青年の言葉に、俺は意識を現在へ引き戻した。
なんとなく教室がざわついている。
黒板には『クラス委員長』と縦に書かれたすぐ隣に、峰祥一の名前。
どういうことだ?
「他に立候補者がいないようなので、じゃあ委員長は峰に決定します」
・・・なんだと???
その峰が有村先生に呼ばれて席を立ち、ゆっくりと教室の前に向かって歩いた。
机と机の間を通り過ぎてゆく峰が、俺の隣を通過する一瞬だけ横を振り向く。
奴と目が合った。
わけがわからぬ上に、どういう心境の変化なのか見当もつかないが、俺がぼんやり春休みを回想している間に、立候補によってクラス委員に決定したらしい峰。
有村青年が窓際へ移動し、ホームルームの進行役を新しいクラス委員と交替する。
俺は説明を求めて隣の江藤を振り向くが、江藤もわけわからんというジェスチャーをしてみせた。
よく教室を見渡すと、あまり皆も納得をした顔をしてはいなかった。
どうやら、新学期早々珍事が起きていたようだ。
「それでは有村先生に代わってこの後の議事を進行させていただきます。まずは副委員長を決めたいと思いますが、有村先生、俺からひとつ提案があります。いいですか?」
「えっ・・・な、何?」
教壇へ両手を肩より広い幅でついたまま、顔だけ有村先生を振りかえる峰の姿が、実に偉そうだった。
対象的なのが有村青年。
予想外の展開にいきなりのフェイントで目を丸くしてキョドッている・・・どっちが先生かわからない。
「副委員長といえば委員長の補佐ですよね」
「うん・・・、まあそうだね」
「だったら委員長による指名制にした方が何かと合理的だと思うので、それでいいですか? もちろん他に立候補者がいなければの話ですが」
「ああ、やりたい人がいないなら、・・・まあ、べつに良いんじゃないかな。みんながそれで良ければ」
有村先生の許可も下りたところで峰が俺達を振りかえり、まずは民主的に反対意見を募った、・・・形式上は。
だが、峰に真っ向から意見できる勇気がある奴などこのクラスにいるわけがない。
峰が鋭い視線でぐるりと皆を恫喝・・・いや、教室を見渡し、次にくるんと背中を向けて右手にチョークを持つと、有村先生より一回り大きく、結構綺麗な字で、黒板に『副委員長』と書いた。
そしてカツンと高い音を鳴らしてチョークを戻し、もう一度俺たちに強く睨みを利かせると。
「じゃあ、続いて副委員長の立候補者を募る。誰か俺とやりたい奴はいるか?」
昨年度の副委員長を務めていた橋本範幸(はしもと のりゆき)を見ていてもわかるが、副委員長は実のところほとんど仕事がない役職だった。
そのため1年でも2年の時でも、実は結構何人かの希望者がおり、最終的にジャンケンで決めていた。
昨年の橋本などは、修学旅行があったり、委員長の江藤が授業終了後すぐに剣道部へ直行するため、本来は委員長の仕事である戸締りを代わったりということもあって、実はまだ仕事をしていたほうだった。
それでも、その他の常設委員である図書委員や整美委員、風紀委員などにくらべれば、ずっと楽なものだ。
だから本来は結構人気がある仕事なのだが・・・・峰の最後の一言が利いたのだろう。
本年度は見事に立候補がゼロだった。
まあ、峰とコンビを組むなど、確かに考えただけで胃が痛くなりそうである。
だが、そうなると、さっきの取り決めにより峰の指名になるわけで・・・・ここでなぜだか、ものすごく嫌な予感がした。
「原田、お前やれ」
幻聴か?
幻聴だよな・・・。
「聞こえなかったのか。原田秋彦、お前が副委員長だ」
「いや、そう言ってもねぇ・・・もう決まっちゃったんだし」
その日の放課後、俺は職員室へ戻る有村先生を捕まえて、猛抗議していた。
通りすがりの2年達が次々に、何事かと俺達を振り返る。
職員室へ入ってゆく有村先生に続いて、俺も彼の席へ向かう。
隣にある、昨日から欠勤中の井伊先生の机には、真新しいハート型のフォトスタンド。
そこに映っている爽やかなラテン系の青年が、白い歯を見せながら嘘くさい笑顔を輝かせている・・・・我が担任ながら哀れな女だと、なぜか急にそう思う。
俺は井伊先生の椅子を拝借して腰を下ろすと、有村先生に向き直った。
「そもそも峰にクラス委員なんて本気で務まると思いますか? あのやり方見てたらわかるでしょう。皆怖がって、ろくに発言もしない。あれじゃあまともな議事なんてできませんよ」
「まあね・・・確かに、ちょっと峰には強引なところがあるかな」
そう言って苦笑しながら有村先生は机の隅に寄せてあったノートパソコンを開いて電源を入れる。
低いモーター音が振動してOSが起動した。
「笑いごとじゃないでしょう。もう一度委員長と副委員長を決め直してください。峰にはその場で異議を言わなかったって言い返されましたけど、あんな勝手なやり方、俺は認められないですよ・・・」
有村先生が俺を見て、クスクスと笑ったが、今度は何も言わなかった。
今の発言は俺の感情論でしかないから同意できないということだろう。
確かに峰が言ったことには一理あるし、自分に鉢が回って来て都合が悪いからやり直せというのは・・・理由はともかく、まあ俺の方が暴論だ。
「怖いんですよ・・・・峰があんなんじゃ、絶対クラスに不協和音が起きる。俺だって峰に納得がいかないのに、アイツと一緒に委員活動なんて・・・」
「だから峰は原田を選んだんじゃないかな」
アイコンが並んだシンプルな青いデスクトップ画面のまま、アプリケーションは起動せず、有村先生がぽつりと言った。
「どういう意味ですか」
「峰はお世辞にも空気が読める性格とは言えないし、ちょっと人見知りなところもある。けれど原田はその場の雰囲気を察して、先回りができるし、そういう気配りができる。峰がどういう意識の変化でクラス委員をやろうと思ったのかはわからないけど、自分に足りないものを彼はちゃんと自覚して、気心が知れている原田を頼りにした。だったら、原田は彼を補佐してやってくれないかな・・・少なくとも、僕はそう悪い人選じゃないと思うよ。委員長も副委員長も」
結局、ああだこうだと有村青年に言いくるめられ、俺はその3分後には席を立った。
それでも未練がましく職員室の入り口あたりで振り返ると、副担任教諭は既に自分の仕事へ行動を移し、何かの資料を表計算ソフトへ黙々と打ち込んでいた。
諦めて職員室を後にする。
だが、俺の嫌な予感は見事に当たっていた。
耳慣れない峰の号令で翌日から授業は始まり、そして1日が終わってゆく。
週に1度のロングホームルームの議事進行や、問題のある生徒への注意、教諭たちと俺達の橋渡しなど、峰は一見何も問題がないぐらいにその役割を器用にこなした。
リーダーシップという点では、ひょっとしたら江藤よりも上かも知れない。
だが彼の性格が災いして問題が発生するのに、そう日数はかからなかった。
「ちょっと原田君聞いてよ〜」
それは翌週のロングホームルームが終わった直後の休憩時間のこと。
トイレから出て来た所で、クラスの島津八重子(しまづ やえこ)に俺は呼び止められた。
どうやら外で待ち伏せされていたようだった。