「どうかしたのか?」
「峰君たらひどいんだよ。あたしさ、乗り物酔いするんだよ。だから通路側は困るって言ったんだけど、決まったことだから変えられないって言うんだよ?」
「ああ、ええっと・・・ひょっとして遠足の話してる?」
島津はちょっと言葉が足りないところがある。
この日のホームルームでは、4月の終わりに控えている遠足の行き先が議題だった。
続いてバスの席順を籤で決めたから、多分その結果に文句を言っているのだろう。
「1時間ぐらいバス乗るんだよ? そんなの絶対に無理だよ!」
確かあのときも峰は席順について何度か意見を募っていた筈だ。
そのうち正当な理由があると認められた何人かの席の入れ替えを、同時進行でちゃんとしていたのだが、島津は気付かなかったのだろうか。
そこで思い出した。
確か島津は、すぐ近くに鍋島啓介(なべしま けいすけ)や伊達(だて)のぼるなど、彼女と仲の良い文芸部仲間同士が集まっていて、そちらに気をとられて、おそらく席の入れ替えには気付かなかったのだろう。
だが、島津の隣といえばたしか・・・。
「お前の席の窓際、伊達だろ? お前ら仲いいし、当日こっそり代わってもらったらいいんじゃないか?」
「あの子も乗り物酔いするんだよ〜」
そういうことか。
「ねえ原田君〜・・・なんとかしてよ。あたし、このまんまじゃ遠足行けなくなっちゃうよ・・・」
副委員長に指名されて、後から文句を言っていた情けない誰かの姿を思い出す・・・。
そしてあの時俺は、直後に峰に猛抗議して、皆の前で無様に言い負かされた。
その俺を援護射撃してくれたヤツは一人もいなかった。
だから島津がこうして甘えて来ても、助けてやる義理なんてないのだが・・・・。
「まあ遠足に行けないってのは、辛いよな・・・」
「だよね!? だよね!?」
俺はその足で教室に向かうと峰に掛け合った。
「だから意見があるならどうしてその場で言わない」
峰は日誌から顔も上げずに言った。
よく見ると欠席者の欄にある一条篤の名前が、印刷になっている。
いつの間にこんな用紙を用意したのだろうか。
「その点は島津も反省してるみたいだからさ、ちょっと調整してやるぐらい別にいいだろ?」
「窓際の席は綺麗に埋まってるぞ。本気で言ってるのか?」
「だから調整なんだろうが」
峰は顔を上げてようやく俺を見た。
「今更席を弄るということは、島津の代わりに誰かを動かすってことだぞ。言われた方は当然いい気がしないだろうし、俺やお前だけじゃなく、島津に対しても風当たりがきつくなるかも知れない。それでもやれって言うのか」
そこまでは、確かに考えていなかった。
だが、話せば誰か一人ぐらい代わってやろうってヤツがいるかもしれないし、そのために俺達がいるんじゃないかと、俺は思う。
「やりもしねえで、グダグダ言ってる方がおかしいだろ」
俺がそう言うと峰がムッとした。
「じゃあ勝手にしろ」
カチンときた。
峰は当てにできないが、これで形式上、委員長の許可は得たので、俺はさっそくバスの席表を片手に、片っ端から窓際の連中を当たっていった。
だが、結果は峰の方が正しかった。
「そういうことはホームルーム中に言えよな」
放課後、最後の一人に断られて、しかも捨てゼリフを吐かれて、俺はそいつの背中を見送った。
「全滅かよ・・・ったく、このクラスにはもっと温情のあるヤツはいねえのかよ」
「困ってるみたいね」
机に突っ伏していた頭を小さな手がポンポンと叩いて、前の席に座った気配を感じた。
顔をあげるまでもない。
「はい・・・自分の無力さ加減に絶望して今すぐ消えたいほど困ってます」
「それはまた重症ねぇ。・・・あたしの有難さがわかったでしょ」
「骨身に沁みてます・・・こんな大変だとは思いませんでした」
「情けない声だすな、男の子だろ〜」
頭に置かれていた小さな手が、ぐしゃぐしゃと髪を引っ掻きまわしてくる。
俺はその手を捕まえた。
前の席からハッと息を呑む気配がした。
それでもその小さな手は、俺の手を振り払ったりはしなかった。
こうして彼女はいつでも俺の傍にいてくれる・・・たったそれだけのことが有難く、俺を弱気にさせた。
「なあ・・・・俺ってやっぱり、こういうの向いてないのかな」
俺は峰の強引さにムカついた。
何もしない彼を詰り、自分一人で解決しようとして、結局何も出来なかった。
結果は峰の言った通りだ。
俺は皆を怒らせ、そればかりか何人かは島津の我儘にも怒っていた。
多分彼女は明日から少々居づらい思いをするだろうし、下手をすると遠足まで、最悪の場合、その先まで引きずることになるだろう。
俺がやったことは、結局諍いの種をあちこちに植えつけただけだった。
「何よ、もう弱音吐いてんの?」
「だって14人に交渉して、誰ひとり説得できないんだぜ・・・情けないだろ」
「本当、情けない男。でも、そんなの今更なに? 何か驚くようなこと?」
俺はさすがにムッとして顔を上げた。
意外と傍から俺を覗きこんでいた彼女が、びっくりして身を引き、その瞬間に椅子がガタンと音を立てた。
顔が真っ赤だ。
「お前なぁ・・・・」
あまりな言われように文句を言うつもりだったが、なんだか気が抜けた。
自分で近づいておいて、その可愛い反応は何んだというのだ、全く。
そこへ女子連中がワイワイと教室へ入ってきた。
「あー、いたいた里子〜・・・って、ひょっとしてお邪魔だった・・・?」
川口渚(かわぐち なぎさ)が、俺と江藤の顔をキョロキョロと見比べる。
「ばっ、ばか! そんなわけないでしょ!」
江藤が慌てて立ち上がった。
耳まで赤い。
「そんな必死に否定せんでも・・・っていうか、お前らどうしたんだ? 忘れ物か?」
よく見るとその中に島津もいた。
「あ・・・あのさー、原田君・・・昼間は無理言ってごめんね?」
島津が申し訳なさそうに謝って来た。
「ああ、いや俺こそ・・・本当、ごめん。結局バスの席どうしようも・・・」
「そのことなんだけど、・・・渚が代わってくれるって言ってくれたんだよ」
「へ・・・? だって、川口お前さっき・・・」
俺はつい30分前に、俺に席交替を断ってきた川口をもう一度見た。
「その代わり私が橋本と代わって、橋本が早苗と代わることにしたの」
川口は教えてくれた。
「は?」
「橋本ってば通路挟んで里子と隣になるもんだから、即答だったわよ。気持ちの悪い」
「はははは・・・」
なんだそりゃ。
つうか、気持ち悪いってひでぇ言い方すんなコイツ・・・。
「はい、これが新しい席表。さっき書き変えておいたから、これ峰君に渡して。先生の許可はもうとってある」
そう言いながら江藤は鞄から1枚の用紙を渡してきた。
綺麗に清書されて、コピーをとりなおしてある。
原本の方は有村先生の所へ持って行ったということだろう。
「江藤お前・・・」
改めて出来あがった席表をよく見て、俺は納得した。
窓側がいいと言っていた川口は橋本と交替することにより、やはり窓際を確保でき、山村早苗(やまむら さなえ)は橋本と交替することにより、友達の野口恵理子(のぐち えりこ)と隣同士になり、橋本は好きな江藤に近づけると。
そこには実に細かい心配りが行き届いた席の配置が書かれていた。
俺が闇雲に声を掛けまくってみんなを怒らせていた間、江藤は席表を片手に誰もが納得できる配置を考えて説得してくれていたのだ。
これは頭が上がらない。
「何よ・・・まだなんか文句ある?」
「あるわけねーじゃん」
どうお礼を言ったらいいのか。
「じゃ・・・、じゃあ私たちはこれで・・・ほら、島津も・・・」
女子たちがそそくさと教室を出て行った。
再び江藤と取り残される。
「だったらひとつ約束して」
「約束? ・・・なんか奢れってやつか? なんでもいいぞ」
「馬鹿! 二度と・・・二度とそんな顔見せないで」
「おいおい、こんな顔で悪かったな・・・」
「あたしをガッカリさせないって約束しなさい」
「ってお前、俺に何期待してんだよ」
「期待なんかしてないわよ、馬鹿! けど、たった一度壁にぶつかっただけで弱音吐くほど情けない男とも思いたくはないの」
「江藤・・・」
きつかった。
「それに困ってんなら、ちゃんと話しなさい。一人で抱え込んでウジウジ悩んで、空回りして・・・みっともない。そういうの止めなさいって、前にも言ったよね?」
言われた。
そのときはリタの問題や峰に振り回されて、一条としっくりいかなくなって、ドツボにハマりかけていたら、ちゃんと本人同士で話し合えって江藤に怒られた。
でも今は、峰と正面からぶつかっているのに、どうしても分かり合えない。
「あいつとは、根本的に考え方が違うんだよ・・・」
「だったらあたしに相談したらいいでしょ? 何のために傍にいると思ってんの。あたしはアンタの友達じゃないの?」
「彼女だったらよかったのにな」
無意識に口走っていた。
「馬鹿」
吐き捨てるようにまたそう言うと、江藤は席を立ってさっさと出口へ向かった。
やっちまった。
俺は額を打った。
さすがに今のは不味かったかと反省したが後の祭りだ。
これは江藤にも見放されるかも知れない。
だが。
「島津のことなら心配しなくていいわよ。皆ちゃんとわかってくれてる。万一イジメが起きるようなら、女子総出であの子を守ってみせるから」
出口の前で立ち止まると、背中を向けたまま江藤はそう告げて。
一旦言葉を切って振り返り。
「それと原田君」
「え・・・・はぁ!?」
アッカンベー!
「アンタもさっさと帰んなさいよ、この馬鹿!」
そう怒鳴って出て行った。
「アッカンベーって・・・どこの昭和の少女漫画だよ」
完敗だ。
元々俺が江藤に勝てるような器があるとは思っていないが、彼女とは何もかもが違いすぎた。
そして、自分が何を気負っていたのかと、今更ながらに可笑しくなる。
俺には江藤がいる。
それは本当に心強い仲間であり、大事な・・・とても大事な親友だ。
「マジで・・・いい女だよな」
全面的に助けてくれた彼女にあんな最低な事を言った俺を、出口までのたった数歩の無言とアッカンベーで江藤は許してくれた。
もちろん、けして思ってもいないことを俺は言ったわけじゃない。
江藤みたいな彼女がいたら幸せだと思うし、あいつの存在が俺には必要だとも素直に思う。
俺には出来すぎた女だとも。
それでも江藤をそういう対象とは見られないし、自分にとってそう思える相手はもう他にいる。
彼女の気持ちがなんとなくわかっているだけに、絶対に軽はずみで言っちゃいけない言葉だった。
「俺って最低だ」
つくづく自分が嫌になる。

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