馬鹿事件から20分後。
宣言通りに慧生が、エスプレッソロールケーキとオリジナルカプチーノ、そしてカプチーノに付いてくる小皿に盛ったカントゥッチを、銀のトレーに載せて、テーブルへ戻ってきた。
ケーキを最初から作ったにしては、あまりにも早い。
ということは、生地やクリームなどは、元々南方氏が作り置いたものを使用して、慧生が完成させたということだろう。
「へぇ、これは美味そうだな」
生地にフォークをめり込ませて、欠片を口へ運ぶ。
ほろ苦く甘さ控えめのクリームに、しっかりとエスプレッソが入っているらしく、大人っぽい印象のロールケーキだった。
ふわふわの茶色いスポンジケーキからも、コーヒーの良い香りが立ち上ってくる。
ケーキの上には、クラッシュドアーモンドがちりばめられており、その一つ一つが丁寧に飴でコーティングされてあって、飴にもエスプレッソの香りが付いている。
隣に添えてあるアイスクリームは、黄色と薄茶色のマーブル模様になっていて、掬って食べてみると、甘いバナナアイスとほろ苦いコーヒー味が口に広がった。
色々手の込んだドルチェという印象だった。
これもまた、ケーキセットでいつもの800円だというのだから、ちゃんと採算がとれているのかと、こちらが心配になってくる。
すぐ傍でトレーを弄んでいる慧生を見る。
「あんだよ」
見ただけで、反抗的な呼応が返ってきた。
やはりいつもの彼の態度だ。
さきほどの、意気消沈したように思えた彼の様子は、単純に疲れていただけのことで、擦れ違った進藤先生と結び付けた俺が、考えすぎということなのだろうか。
「お前、サボっていていいのかよ」
もう少しだけ観察を続ける。
「るせーよ」
これでもかという生意気ぶりだった。
城南女子の連中は、既に精算を済ませて帰っていたから、今のところ客は俺一人だし、まあサボッていても問題はないのだろう。
どうせだから、思い切って気になったことを彼に聞いてみた。
「お前、ひょっとして学校でも行く気なのか?」
「・・・・っ!?」
すると、あからさまに慧生の綺麗な顔が動揺で歪んだ。
「いや・・・ほら、さっきオーナーさんが手に持っていた・・・」
俺が入店したとき、奥のテーブルに広げてあり、それを筒状に丸めて慧生の頭を、南方氏が小気味よく叩いていた紙束・・・・それは市内にある製菓専門学校のパンフレットだった。
「ああ・・・そういうことかよ」
慧生が苦々しく相槌を打って、目を逸らす。
「・・・まあ、ええと・・・その、なんだ。うん」
段々と、こちらの受け答えが曖昧になってしまう。
何か、不味い質問だったのだろうか。
あるいは、もしやその問題で、進藤氏が訪ねて来ており、ここでひと悶着あったということなのだろうか。
慧生の様子を、再び観察する。
ぎりりと、奥歯を噛み締めたような音が聞こえた。
慧生は昨年まで城西高校に通っていた。
学年は俺と同じ・・・・同い年。
慧生は2年の終わりに、高校を退学したのだ。
理由は聞いていない。
しかし、色々と想像は付く。
城陽の体育祭があった際には、出前を運びに来ていた慧生が、部室棟の裏庭で元クラスメイトだという少年に絡まれていた。
彼はたしか、野田創(のだ はじめ)・・・という名前だったと、記憶している。
”僕、学校で苛められてたって言ってなかったっけ・・・”
あのとき、慧生は確かにそう言った。
城陽ではあまり、苛め問題というものが表面化していなかったから、俺はリアルにそのイメージを捕えることが出来なかった。
しかし世の中で深刻な社会現象として、現実にあることは俺でも知っている。
それで自殺する少年少女が数多くいることも。
慧生は、何度も自殺未遂を繰り返していた・・・。
俺は本当に、慧生を”知って”いたのだろうか?
彼は一方で、口癖のように、”学校なんか行ってどうすんだよ”などと、冷めた口ぶりで言いもした。
だからこそ俺は、単純に、勉強嫌いが原因で学校を辞めたと思いこんでいたのだ。
しかしこうして、専門学校への入学を検討しているということは、何かを学ぶことに抵抗があるわけではないのだろう。
あるいは、それほどまでに学びたいことが出て来たという、意識の変化なのかも知れない。
いずれにしろ。
慧生は、果たして何を理由に、高校を辞めていたのだろうか。
そして、それを尋ねていいものかどうか、・・・俺には測りかねた。
「行かねえよ」
そっけなく慧生は言った。
03
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